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遙一が旧校舎の前にある雑木林に姿を現したのは、深夜日付が変わる頃だった。三枝も鷹谷もいない。たった一人だった。
木々の間を縫うように続く真っ暗闇の道を、懐中電灯の明かりで照らし、あちこちで聞こえる虫の鳴き声に一人分の足音を紛れ込ませながら進む。
本当なら、自室で意気込んだまま昼過ぎに家を発ったので、放課後の時間帯を狙って旧校舎に突入している手筈だった。だが、その計画は脆くも崩れたのである。
実際に遙一は一度は放課後に旧校舎の前まで訪れていた。しかし、いざ旧校舎内に侵入しようと鍵の壊れた窓を開けようとした所で、見回りにやってきた生徒指導の先生に見つかってしまったのだ。
遙一は自分の不運さを呪い、捕まるまいとすぐさま逃走した。こうして最初の侵入は失敗したのだ。
その時遙一は決心した。日を改めて突入するという姑息な考えを捨て、今夜旧校舎に一人で侵入することを。
そして今、遙一は雑木林の中を突き進んでいる。
遙一は放課後にやってきた時は当然制服姿だった。それから帰宅せずに書店やゲームセンターで時間をつぶしていたので制服のままである。
もう少しで雑木林を抜けるだろう、そう思っていた矢先に笑い声のようなものが耳に入ってきて、遙一はその場で凍りついた。
彼の足音が途絶え、虫の鳴き声や風に揺れて擦れ合う枝葉の音だけがあちらこちらから聞こえてくる。
暫くじっとして耳をそばだてていたが、笑い声らしきものは聞こえてこなかった。
「空耳か」
ほっとため息をついて歩き出そうとした瞬間、また小さな笑い声が聞こえた。
「……間違いない。誰かいる」
確信を持って更に歩を進めると雑木林の出口から旧校舎が見えてきた。
しかし、こんな時間こんな場所に、いったい誰が好き好んで居るというのか? その問いに答えるかのように、旧校舎二階のとある窓に小さな明かりが灯った。誰かが旧校舎内で懐中電灯を使っているようだ。それに微かにだが話し声が聞こえた。
「なるほど。先客か」
そう。遙一が学校に着く前に、肝試しに訪れたらしい団体が先に旧校舎に侵入していたのである。
この先に人がいることがわかったからか恐怖心が緩んだらしく、安心感から遙一は早足で雑木林を抜けきった。それと同時に遙一は面食らった。
「なんだよこれ!?」
遙一は目の前を懐中電灯で照らしたまま立ち尽くしてしまった。
一階の窓ガラスはほとんど全て割られていた。更に二階のいくつかの窓にもその被害が及んでいた。
一階の木造の壁のいたるところには、ペイントスプレーによる粗雑な色合いの落書きがされていた。それはアルファベットを歪めたように並べた英単語であったり、何かのマークらしきものであったりと様々だった。また落書きの他に、何かを叩きつけてできたような穴もあった。穴の形状からしておそらくバットと思われる。窓ガラスもそれで割られたのかもしれない。
足元を見下ろせば、学校の近くにあるファーストフード店で持ち帰りし、それを食べ終えて出たゴミが辺りに転がっていた。更にそのゴミに紛れて数本の煙草の吸殻が落ちていた。
この時になって遙一はあることに思い至った。
いくら建物が古いからといって旧校舎の中の話し声が外まで漏れ聞こえてくるわけがない。窓ガラスが割られていたから、中で響き渡っていた声が外へと筒抜けになって、雑木林の中にまで届いていたわけだ。
これだけの所業、もはや肝試しとは表現できない。破壊行為だ。
放課後に見た時の旧校舎の姿から一転、この数時間で何十年もの時を得て朽ち果てたかのように、見る影もないくらいに変わり果てていた。それまで恐怖で旧校舎を毛嫌いしていたはずの遙一ですら、見るに耐えないと思えるくらいに。
「あの連中がやったのか!」
二階の懐中電灯で灯された窓を見上げた瞬間、ガシャン、とガラスの割れる衝撃音が響き渡った。コンマ数秒遅れて遙一は事態を飲み込む。
(やばっ!)
二階で割られた窓ガラスの破片が、彼の頭上へと襲いかかったのだ。
その場から慌てて退いて、なんとかガラス片を避けると、改めて今割られた二階の窓を見上げた。
窓を割った侵入者の姿は見えなかった。おそらく中の侵入者も遙一が下にいることに気づいていないだろう。
遙一の意識していないところで、懐中電灯を握る右手が力み、微かに軋むような音が鳴る。
彼の中にある恐怖心が次第に怒りの色へと塗り変えられていく。
中央の出入口へと近づき、散らばったガラス片を踏み進むと、ジャリ、ジャリと音がした。それでも足を止めず、出入口の前まで来て立ち止まる。
侵入者がいる二階を見上げ、切れ長の眼をさらに鋭くして睨みつける。
「例え旧校舎であってもここは俺の通う学校の一部。それを破壊した責任、その身で味わわせてやる!」




