12
懐中電灯片手に三階までやってきた遙一は廊下の途中で唐突に踵を返した。
「しくじったかな。タフなヤツだなくそっ!」
階下から聞こえてきた不気味な笑い声にうんざりしながら前に向き直ると、そのまま廊下を進んだ。
校舎の三階中央にある階段を上がり、とうとう屋上の外に通じる白塗りの鉄の扉の前へと辿り着いた。
ここで遙一は以前肝試しに来た時のことを思い返した。
初めてここに訪れた時はどういうわけか扉の鍵は開いていた。だが、再度三枝たちを連れて戻ってきた時には鍵がかかっていた。
今回は開いているのだろうか。
おそるおそるドアノブに手を伸ばし、ほんの少しだけひねってみるとドアノブは微かに回った。どうやら開いているようだ。
だが、ここまできて遙一は固まってしまった。
この扉を押せば屋上の外へ出られる。しかし、いざ直前になって躊躇した。この先どうしたらいいのか、どう考え込んでも何も浮かばないのだ。
父や母とは違い、遙一は霊を祓えないどころか見ることすらできない。この扉の向こうにあの少女がいたとしても何もできないに等しい。それでも、これから先あの少女が何度も視界のどこかに現れるなんて苦痛には耐えられないのだ。
ただ一つ、仮にできることがあるとすれば、あの少女にコンタクトをとって一言謝罪する。それだけのことで効果があるかなんてわからない。それでも、何もしないよりは少しだけでも反抗したという証が得られるだけマシだと考えた。
だが、そう決心したのとは裏腹に、遙一の左右の足はガクガクと震えていた。さっきまで頭に血が上って熱くなっていた分、冷めた時の反動が大きいのかもしれない。それに怖さは前回の肝試しの時よりも何倍もあるだろう。この場にたった一人だからだ。
こんな状況でも逃げ出さずにいられるのは、おそらく二階に先程の肝試しグループがいるからだろう。
そして更に幸いなことに、すぐ後ろにある階段が鷹谷がメールで送りつけてきた心霊写真の撮れた場所だということを、熱くなっていたせいで忘れてしまっていた。
ここで立ち止まっていても何もならない、と遙一は深く呼吸を繰り返す。
「行くか」
覚悟を決めて鉄の扉を開けた。金属の擦れ合う鈍い音が辺りに響き渡った。目の前に屋上の景色が広がる。といっても、屋上には周りを囲んでいる柵以外に何もない。
遙一はここで懐中電灯を切った。やはり月明かりのおかげで、以前と同じように薄らと外の景色が把握できた。
扉から足を踏み出して屋上の外に出てみたが、左から右へと屋上全体を見渡してみても、あの少女はいなかった。
そのままゆっくりと前進し、柵越しに屋上からの景色を眺めてみた。
屋上を出てすぐ真正面に進めばその下は旧校舎の裏側だ。表側と同じように裏側にもまた雑木林が続いている。ただ表側の雑木林とは規模が違う。一旦そこに踏み込めば遭難してもおかしくない程の広大な雑木林が旧校舎の裏側では広がっているのだ。雑木林の前の辺りは月明かりのお陰か薄らと木々の輪郭を捉えることができるが、その向こう側ではどこまでも闇が続いていた。
遙一は後ろを振り返り、反対側の屋上端の柵へと近寄った。こちらはいつもの雑木林を挟んで現校舎が見えた。
以前に現校舎の屋上でも少女の姿を見かけたことがあったから、暫く向こう側の屋上に眼を凝らしていたが、少女の姿は見つけられなかった。
「いない……か」
遙一は無意識にほっと胸をなでおろしていた。
スマートフォンの時間を見ると、そろそろ日付が変わって一時間が経過しようとしていた。
「とりあえず、警察にさっきの連中を捕まえてもらうか」
遙一はため息をついてスマートフォンを操作しながら扉の方に向かったが、その時、扉横の壁に梯子が据え付けられてあることに気づいた。何かにとりつかれたように遙一の目線は梯子の方に固定され、スマートフォンを操作していた指は止まっていた。
あの少女がこの上にいるという可能性がないわけではないのだ。
操作途中だったスマートフォンの画面を消灯してそのままポケットに収めると、遙一は梯子に手をかけて上を目指した。
例の少女が梯子の上からいきなり顔を覗かせてくるかもしれないと警戒しながら、おそるおそる一段一段を着実に上がっていく。
やがて梯子を上りきり、屋上より更に高い小屋の上に立った。
「やっぱいないか」
屋上より高い場所に立ったからといって、別段先ほどと景色の見え具合が変わることはなかった。
遙一は仏頂面を浮かべて小屋の真ん中辺りに腰を下ろし、胡坐を組んだ。目線は旧校舎の表側、雑木林とその奥にある現校舎の方に向いていた。
不意に遙一は口元に手を当てあくびをした。
「なんか眠くなってきた。結構昼寝したはずなんだが。しかしこんな所で寝るのは是が非でも遠慮したい」
しかめっ面を浮かべて遙一は立ち上がろうとした。だが途中で足元がぐらついてバランスを崩し、しりもちをついてしまった。
「え? なんだこれ!?」
あまりにも予想外だったため、遙一は面食らった。
もう一度立ち上がろうとしたが、足腰に思うように力が加わらない。まるで体のあちこちに数十キロの重りでもつけられたかのよう。それと同時に睡魔も強まる。
睡眠薬をもられた飲み物を口にしてしまったらこんな感じなんだろうか、そんなことがふと頭に浮かんだ。
次第に意識が朦朧となり、目の前が歪みぼやける。絶対に何かがおかしい。
「くそっ!」
とうとう全身に力が入らなくなり、遙一はその場で仰向けに倒れこんでしまった。
目の前に雲一つないぼやけた星空が広がる。
「冗談…じゃねえ。こんな場所で……寝れないっつーの」
なんとか起き上がろうとするが、体は金縛りにあったかのように全く動かない。
その時、カツン、カツンと梯子を上る音が耳に入った。
遙一の表情が瞬時に強張る。心臓が一度だけ大きく脈打った。
(何か来てる!?)
梯子を上る音はどんどん近づいてくる。
それに反応するかのように心臓の脈打つスピードも速くなっていく。
まるで氷上に寝転ばされているかのように、背中を中心に体温が奪われていくような感じがした。
音はもう間近にまで迫っていた。呼吸はかろうじてできるものの、もはや声を出すことすらままならなくなっていた。
(ちくしょう! 何のために体鍛えてきたんだ! 動け! 動けよ!)
親父の教えは嘘だったのか。心の中での訴えもむなしく、体はぴくりとも動かない。その状況は、迫ってくる何かから車で逃げようとするも、なかなかエンジンがかからない様に似ていた。
やがてズルズルと何かを引きずるような音が耳に入る。
視界の上方向に微かな影が見えた。つまり、仰向けに倒れた遙一の頭上から何かが近づいてきているのだ。
ズルズルという音の発生源は、耳元までやってきた。徐に視界へと入り込んでくるその影は女の顔のように見えた。それは朦朧とする意識が見せる幻か、それとも今まさに目の前で繰り広げられている現実か、遙一には判断がつかない。
女の双眸が遙一の視線とぶつかった。その刹那、遙一の視界は血のような赤一色に染まった。




