序章 乙女達
その話を聞いた途端、乙女達は思わず言葉を失った。
魔狼フェンリルに、食べ物を届けること。
〝かあさま〟は事も無げにそう告げる。
「そんな、怖いわ。幾ら鎖に繋がれているからって」
「災いを齎すとの予言で、主神様が封じたのよね」
「物凄く強い魔力を持った、獰猛な獣なのでしょう?」
「最後の悪足掻きで、武神様の腕を噛み切ったと聞いたわ」
「何て、恐ろしい……」
「いやよ、絶対に嫌!」
優美な姿の娘等は口々に捲し立てる。
嫌だ。
怖い。
行きたくない。
本当に、そんな必要があるのか。信じられない。
揃いの白いドレスを纏った乙女達は、感情の赴くままに動く。とても賑やかだ。踊りの名手として名を馳せるだけあって、常日頃から身振り手振りがよく似ていた。煌びやかな装飾品が、しゃらしゃらと音を立てる。
そんな輪から外れた娘は、自分の左耳に触れた。雫形の飾りが揺れている。真っ直ぐな白金の髪は、一房だけ編み込んである。露になった耳朶で、細い銀鎖で留められた瑠璃の石が、きらりと光を弾いた。
「わたしが引き受けるわ」
水を打ったように、その場が静まり返った。次の瞬間、乙女達はさらに蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。
「駄目よ、危ないわ」
「あなた、末っ娘で一番ちびっちゃいじゃないの」
「食べられちゃったら、どうするの!」
「ねぇ、〝かあさま〟、主神様にとりなして、何とかお断りになって下さいませ」
ふわふわと揺れる姉達の黄金の髪を眺めながら、娘は肩に零れた一房を後ろへ払い除けた。
「誰かがやらなければいけないのなら、わたしに任せて。少しでも皆の役に立ちたいの」
〝かあさま〟程の神格もなければ、姉達のように詠えない。踊りも下手だ。身が軽いのが取り柄だけれども、それも体付きが貧相なだけにすぎない。姉達とは似ても似つかない。
そんな自分でも、何か一つ出来ることがあれば良いのにと、ずっと思っていた。
「ねえ、お願い。わたしに、そのお役目をさせて」
〝かあさま〟は心持ち瞼を閉ざして、うっすらと微笑を浮かべている。狼狽える姉達を前に、何時もと変わらない表情だった。ついと伸ばされた腕で、輪になった青玉の飾りが揺れた。穏やかな言葉が、朱唇から零れる。
「分かりました、貴女に任せます」
娘は晴れやかな笑顔になった。
「ありがとう、〝かあさま〟!」
如何しても、末の妹の気持ちが変わらないと悟った姉達は、無理矢理はしゃいだ声を上げる。
「だったら、とびっきりの御馳走を用意しなくちゃね」
「ユグドラシルの牡鹿を貰ってくるわ」
「麦酒も上等なものを開けましょう」
「ねえ、〝かあさま〟、北風の食卓掛けを貸して下さいな」
フェンリルの機嫌を損ねたら大変だ。少しでも美味しいものを持たせようと、一生懸命になってくれる。
明るく朗らかで、煌々しい。
だから、娘は姉達が大好きなのだ。
恐ろしい怪物だというフェンリルのことは、噂程度でしか知らない。けれども、きっと何とかなるだろう。〝かあさま〟がいるのだから、絶対に大丈夫だ。
それよりも、初めて託された大きな役目に、娘は胸を弾ませた。




