第32話 信じるという光
王城の朝は、薄い霧のような静けさに包まれていた。
昨日の会議でロザリンがロウを擁護したことは、
王城の者たちの胸に深い余韻を残していた。
その余韻は、決して騒がしいものではない。
むしろ、誰もが言葉にできないまま胸の奥に沈めている“波紋”のようだった。
王城の廊下には、いつもと同じ足音が響く。
だが、その音が吸い込まれていく空気だけが違っていた。
まるで、王城そのものが息を潜め、
昨日の出来事の続きを見守っているかのようだった。
ロウは巡回のために廊下を歩いていた。
すれ違う騎士たちは、昨日までと変わらぬ敬意を示す。
侍女たちも、ロウに対して怯えたり避けたりはしない。
ただ──
視線の奥に、言葉にならない“揺らぎ”があった。
それは敵意ではない。
疑いでもない。
姫様はロウを信じている、
ロウは姫様の判断に影響を与えるほど近い
という事実が、
王城の者たちの胸に静かに沈んでいるだけだった。
ロウはその空気を敏感に感じ取っていた。
(……僕が姫様を守ったことで、
姫様の政治的立場に“影”が落ちている)
胸の奥に、鈍い痛みが広がる。
宰相ヴァルガは、姫を攻撃するような真似は決してしない。
そんな愚かなことをすれば、王家への反逆とみなされる。
彼は姫の前では礼節を守り、
敬意を示し、
決して声を荒げない。
だが──
沈黙の中で空気を動かすことに長けていた。
ヴァルガは文官たちに穏やかに語る。
「姫様は優しい。
その優しさが、時に判断を曇らせることがある。
ロウの存在が、姫様の決断に影響を与えている可能性がある」
批判ではない。
ただの“可能性”だ。
しかし、その一言が
文官たちの胸に静かに沈み、
やがて形のない“慎重さ”となって広がっていく。
ヴァルガはそれ以上何も言わない。
言葉を重ねる必要がないからだ。
空気は、放っておけば勝手に育つ。
午後。
ロウは会議室前で呼び止められた。
「ロウ殿。
姫様の決裁に関する会議は、
しばらくの間“王族と文官のみ”で行うことになった」
騎士団長の声は、どこか申し訳なさを含んでいた。
「……姫様の判断に、あなたの影響が強いと見られているようだ」
ロウは静かに頷いた。
(……僕が姫様を守ったことで、
姫様の政治的判断に疑いが向けられたのか)
胸の奥が痛む。
だが、その痛みは“姫との距離”ではなく、
姫の立場が不当に揺らされていることへの痛みだった。
ロウは書状を折りたたみ、
胸元にしまった。
その指先は、わずかに震えていた。
会議が終わった後、
ロザリンはロウを見つけると、迷いなく歩み寄った。
その歩みは、昨日と同じ。
何も変わらない。
「ロウ。
あなたが私を守ったことが、
政治の場で話題になっているわ」
ロウは目を伏せた。
「……申し訳ありません。
僕の行動が、姫様の立場を──」
ロザリンは首を振った。
「違うわ。
あなたは正しいことをした。
間違っているのは、
それを“政治の材料”にする人たちよ」
ロウは息を呑んだ。
ロザリンは続ける。
「私はあなたを信じている。
それは誰に何を言われても変わらない。
あなたが私を守ったことは、
私にとって誇りよ」
その言葉は、
ロウの胸の奥に深く沈んでいった。
(……姫様は、僕を信じてくれている)
その事実が、
ロウの心を強く支えていた。
姫の政治的立場に“影”が落ちた。
しかしその影は、
ロザリンの強さと意志によってすぐに薄れていく。
むしろ、
ロザリンがロウを信じ続ける姿勢を見た者たちは、
二人の絆をより強く感じるようになった。
王城の空気は変わりつつある。
だが、
その中心にいる二人は揺らがない。
その揺らがなさこそが、
ヴァルガにとって最も厄介な“光”だった。
第32話 信じるという光
王城の朝は、まだ冷たい。
けれど、胸の奥に灯っているものだけは、昨夜よりも確かだった。
ロウが私を守ったことで、
王城の空気が静かに揺れ始めている──そのことは、私にも分かっていた。
だけど、揺れているのは“周囲”であって、
私の心ではない。
むしろ、揺れが大きくなるほど、
私の中の“確信”は強くなっていく。
朝の巡回を終えたロウが、廊下を歩いていく。
その背中は、いつもと同じように静かで、
誰よりも王城の空気を敏感に感じ取っているようだった。
私はその背中を見つめながら、胸が痛くなる。
(……ロウ。あなたは、自分のせいだと思っているのね)
昨日の会議で、私があなたを擁護したこと。
それが“政治の場”で波紋を生んでいること。
あなたはきっと、
「自分のせいで姫様の立場が揺らいだ」と思っている。
でも──
それは違う。
あなたが私を守ったことは、
私にとって誇りであり、
誰に何を言われても揺らがない“真実”なのだ。
侍女たちの視線が、少しだけ慎重になった。
文官たちの会話に、私の名がそっと混ざる。
騎士たちは、ロウを見る目に“畏れ”を含ませるようになった。
でも、それは“敵意”ではない。
ただ、王城が“変化”を感じ取っているだけ。
私はその空気を受け止めながら、
胸の奥で静かに思う。
(……誰が何を言おうと、私はロウを信じる)
それは、政治でも、立場でもなく、
私自身の意思だ。
昼下がり、私は中庭でロウを見つけた。
彼は花の影に立ち、剣の手入れをしていた。
その横顔は、いつもより少しだけ硬い。
「ロウ」
声をかけると、彼はすぐに立ち上がった。
その動きは丁寧で、どこか距離を置こうとしているようにも見えた。
「姫様。……何かご用でしょうか」
その言い方が、胸に刺さる。
(……ロウ。あなたは、私から離れようとしているの?)
私はゆっくりと近づいた。
「ロウ。あなた、私に遠慮しているでしょう?」
ロウは目を伏せた。
「……姫様の立場に、僕が影を落としてしまったからです」
やっぱり。
あなたは自分を責めている。
私は首を振った。
「違うわ。
影を落としたのは、あなたじゃない。
“あなたを利用しようとする人たち”よ」
ロウは驚いたように顔を上げた。
私は続ける。
「あなたが私を守ったことは、
誰に何を言われても、私の誇りよ。
あなたの行動が裏目に出たんじゃない。
裏目に見せようとしている人がいるだけ」
ロウの瞳が揺れた。
私はロウの前に立ち、
その瞳をまっすぐに見つめた。
「ロウ。
あなたは、私の命を守ってくれた。
あの森で、私の前に立ってくれた。
誰よりも早く、私の危機に気づいてくれた」
胸の奥が熱くなる。
「そんなあなたを、
どうして疑うことがあるの?」
ロウは言葉を失ったように、ただ私を見つめていた。
私はそっと言葉を重ねる。
「私はあなたを信じている。
あなたの判断も、あなたの行動も、
あなたの優しさも、全部」
風が吹き、花びらが舞った。
その中で、ロウの表情がわずかに緩む。
(……ああ、この表情。
私だけが知っている、あなたの柔らかさ)
胸が温かくなる。
ロウは静かに言った。
「……姫様。
僕は、あなたを守るためなら、
どんな影を背負っても構いません」
その言葉は、
私の心を深く震わせた。
(……ロウ。
あなたはいつも、自分のことより私を優先する)
だからこそ、私は言う。
「ロウ。
あなたが私を守るなら、
私はあなたを信じて守るわ」
ロウの瞳が大きく揺れた。
「……姫様が、僕を……?」
「ええ。
あなたは私の守護者であり、
私が信じる“ただ一人”よ」
その瞬間、
ロウの胸の奥に沈んでいた影が、
少しだけ溶けていくのが分かった。
王城の空気は、まだ揺れている。
政治の波は、これからもっと大きくなるかもしれない。
でも──
私とロウの間にあるものは揺らがない。
それは、
“信じる”という光。
どんな影が落ちても、
その光だけは消えない。
私はロウの手にそっと触れた。
「ロウ。
これから何があっても、私はあなたを信じるわ」
ロウは静かに頷いた。
その頷きは、
言葉よりも強い誓いだった。v




