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Full Bloom

陽翔は割とロマンティックな男です。

定期演奏会も卒部式も終わって、新学期を控えた今日は珍しく部活が休みだった。実は川瀬と花見に行く約束をしている。こんなの、もうデートだろ。って思ってるのが俺だけだったら、ちょっと恥ずかしいけど。


俺はこの時期になると、桜味のお菓子に目がない。駅前のドーナツ屋で、季節限定の桜味のドーナツを買い込んだ。桜の木の下で、桜味のドーナツを食べながら花見とか、想像したら最高じゃね?

待ち合わせは上野駅。でも、やばい。ドーナツをのんびり選びすぎて、ちょっと遅れそうだ。俺は慌てて川瀬にメッセージを送る。

『ドーナツちんたら選んでたら10分くらい遅れそう』

『ごめん』

すぐに返事が来た。

『いいよ』

『公園口で待ってる』

シンプルな返事。ほんとに“いいよ”って思ってるのか? いや、川瀬はたぶん本当にそれ以上の意味なく打ってるんだろうけど、こういう短い返事って時々ちょっと不安になる。


上野駅に着く。花見シーズンとあって、人が多い。観光客も家族連れも、カップルも、みんな桜目当てで駅の周辺はかなり混んでいた。人混みをかき分けながら川瀬を探す。……あ。いた。

――え、ちょっ。可愛すぎる。

淡いミントグリーンの、ふわっとした少し大きめのセーター。袖が余って、ほとんど萌え袖みたいになってる。そんな格好で、公園口のあたりをきょろきょろしながら俺を探してる。やばい。ずるい。可愛い。

「おーい! 川瀬ー!!」

なんとなく照れ隠しみたいに、少し勢いよく近づく。

「……痛っ、なに急に」

「ごめん遅れて」

「大丈夫。ドーナツ買ってきてくれたんでしょ」

そうそう。ばっちり限定の桜味、全種類買ってきた。……いや、それより。近くで私服姿を見ると、さらに破壊力がある。ほんとに可愛い。やばい。セーターの裾から手を入れたくなるとか、そんなことばっかり考えてしまう。とりあえず、そういう不埒な感情を誤魔化すみたいに口を開く。

「……川瀬、そのセーター似合うな」

「……そう?」

「うん、めっちゃ。川瀬のためにあるみたい」

「……なにそれ、言いすぎ」

そう言いながらも、川瀬は少しだけ照れたみたいに視線を逸らした。


実は今日、桜の香りの香水をつけてきた。俺はこういうイベントごとの時、その季節とか場所に合うものを用意したり身につけたりするのが結構好きだ。だから、っていうのもあるし、ちょっとでも川瀬に「いい匂い」とか思われたらいいな、なんて気持ちもある。

もともと香水はわりと好きだけど、桜の香りとなるとやっぱり女ものっぽい甘い香りが多い。だから、少しでもさっぱりしていて、メンズでも違和感なさそうなものを頑張って選んだ。……まあ、バイトもしてないから、お年玉と少ない小遣いで買えるような、ちょっとしたやつだけど。気づいてくれるかな、なんて思いながら二人で公園へ向かう。


上野公園は思った以上に人が多かった。

二人とも人混みはあまり得意じゃないから、ほんの少しだけ無口になる。はぐれないように、俺は勝手に川瀬の腕に手を回した。

「セーターふわふわでほんと可愛い」

「……わかったから」

そう返しながらも、川瀬は腕を振り払わない。それだけで、なんかちょっと嬉しい。

奥の方まで歩いて、ようやく座れそうな場所を見つける。桜を見上げられる位置に腰を下ろして、ドーナツの箱を開けた。

「じゃーん、限定の桜味、全種類買ってきた」

「買いすぎでしょ」

そう言いながらも、川瀬はちゃんと中を覗き込む。

あーんとかしようか一瞬迷ったけど、さすがにそれはちょっとやめておいた。

「やば、これめっちゃ美味い」

「これも美味しいよ」

気づけばもう、お互いが口をつけたものをシェアすることなんて全然気にしなくなっていた。少し前までなら意識してたかもしれないのに、今はごく自然に「そっち一口ちょうだい」ってできる。それがなんか、嬉しい。

とはいえ、さすがにちょっと買いすぎた。ドーナツは美味いけど、だんだん甘さに飽きてくる。

「もうお腹いっぱいなってきたな」

「だから買いすぎなんだって」

ていうか、食べるのに必死で、肝心の桜をあんまり見てない。その時、川瀬がふいに言った。

「……さっきから思ってたけどさ」

「え、なに」

「……橋本、なんか今日いい匂いする」

言いながら、俺の首筋のあたりに少しだけ顔を寄せて、すん、と匂いを嗅ぐ。

――やばい。

嗅いで欲しくてつけてきたくせに、いざこうやって嗅がれると普通にどきっとする。なるべく平然を装って答える。

「だろ? この前、桜の香りの香水買ったからつけてみた」

「……へぇ、そういうの好きなんだね」

「わりと好きなんだよなー。今持ってるから、ちょっとつけてみる?」

「……いい」

え、なんでだよ。こういうとき、必ず断ってくる。

「あんま香水とか好きじゃない?」

「……そうじゃないけど」

「じゃあちょっとつけよ」

川瀬の手首を取って、半分無理やりワンプッシュする。ふわっと広がる、甘酸っぱい桜の香り。

「……」

満開の桜。ミントグリーンのセーター。その手首に、桜の香り。めちゃくちゃいい。思わずスマホを向けて、写真を撮る。

「……ちょっ、今撮ったでしょ」

「いーじゃん。なんか今日の格好と桜、合うなと思ってさ」

「じゃあ俺も橋本のこと撮る」

えー、俺はモノトーンっぽい服だし、全然桜に合わないけどな。それでもパシャパシャ写真を撮り合って、じゃれ合って、気づけばまたかなり近い距離にいる。最近、さらに距離が近づいた気がする。それが、すごく嬉しい。ふと思い出して、口に出す。

「同じクラスになんねーかな」

「……厳しいでしょ」

「……だよな」

めちゃくちゃなりたい。でも、一緒にいる時間が増えたら、その分かっこ悪いところももっと見られるんだろうな、と思うと少し複雑だ。

――いや、やっぱ嫌じゃない。むしろそれでも一緒にいたい。


たわいもない話をしながら、二人で桜並木を歩く。その途中で、ふと見ると、川瀬がさっき香水をつけた手首のあたりを、こっそりすん、と嗅いでいた。

「……なんでもない、見ないで」

「あ! やっぱそれいい匂いっしょ」

「……別に」

なんでそんなに素直じゃないんだ。そういうとこも可愛いけど。俺は川瀬の手首を掴んで、自分でも匂いを確かめてみる。

「……っ、なに」

「あー、今の方がいい匂いかも」

「……なにそれ」

「香水って、つけたてとちょっと経ってからで匂い変わるからさ。人によっても変わるし」

「……ふーん」

「俺が首につけてるのと比べてみ」

そう言って、モックネックの襟を少しだけ下げて首元を差し出す。まあ、川瀬にもう一回嗅がれたかったのも、ちょっとだけある。ほんとにちょっとだけ。

「……っ」

川瀬の鼻先が、首筋にかすかに触れた。その瞬間、思わず少しだけ身体が跳ねる。

「……確かに、ちょっと違うかも」

そう言う川瀬の声も、少しだけ近い。


男子高校生が二人で、こんなふうに手首とか首筋とかの匂いを嗅ぎ合ってたら、たぶん普通に見たらちょっとおかしい。でも、そんなのもうどうでもよかった。桜の下で。俺たちにだけ、甘酸っぱい空気が広がっていた。



別に、ただ桜を見に行くだけだ。そう思っているのに、朝から少し落ち着かなかった。服を選ぶのにも少し時間がかかったし、待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いてしまったのも、たぶんそのせいだと思う。

上野駅の公園口は、花見の時期らしく人が多かった。待ちながらスマホを見る。橋本からメッセージが来ていた。

『ドーナツちんたら選んでたら10分くらい遅れそう』

『ごめん』

なんとなく、想像できる。店で一人、時間を忘れて限定ドーナツを選んでいる橋本の姿。そういうところ、ほんとうに橋本らしい。

『いいよ』

『公園口で待ってる』

短く返して、スマホをしまう。きょろきょろしながら人混みの向こうを見る。その時、

「おーい! 川瀬ー!!」

大きい声が飛んできた。思わずそっちを見る。橋本が、いかにも急いできたみたいな顔でこっちへ向かってくる。

「……痛っ、なに急に」

「ごめん遅れて」

「大丈夫。ドーナツ買ってきてくれたんでしょ」

そう言うと、橋本は少しだけ嬉しそうに笑った。たぶん、それを言ってほしかったんだと思う。そのあと、不意にじっと見られる。

「……川瀬、そのセーター似合うな」

「……そう?」

「うん、めっちゃ。川瀬のためにあるみたい」

「……なにそれ、言いすぎ」

そう返しながら、少しだけ視線を逸らす。正直、ちょっと嬉しい。今日はこの服にしてよかったな、なんて思ってしまうくらいには。


橋本は今日も、いつも通り少し気取った感じの服を着ていた。黒っぽい大人びた服がちゃんと似合うのが、少し悔しい。ああ、今日もちゃんと考えてきたんだな、と思う。

公園まで歩く途中、人混みがかなりすごかった。こういう人の多い場所はあまり得意じゃない。無言になりかけたところで、橋本が当然みたいに腕を組んでくる。

「セーターふわふわでほんと可愛い」

「……わかったから」

そう返す。でも、その腕を振り払う気にはならなかった。人混みの中で、ああいうふうにくっつかれると、少しだけ安心する。


奥の方に座れそうな場所を見つけて、二人で腰を下ろす。橋本が得意げにドーナツの箱を開けた。

「じゃーん、限定の桜味、全部買ってきた」

「買いすぎでしょ」

本当に買いすぎだった。でも、橋本がこういうことに全力なのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。

「やば、これめっちゃ美味い」

「これも美味しいよ」

自然に半分こしたり、一口交換したりしながら食べる。少し前なら、誰かが口をつけたものをそんなに気にせず食べるなんて考えられなかったのに、今はもうごく普通のことみたいになっている。そういう変化を、橋本はあまり意識していないのかもしれないけど、自分は、わりとちゃんと意識してしまう。


食べ終わりかけた頃、さっきからなんとなく気になっていたことを口にした。

「……さっきから思ってたけどさ」

「え、なに」

「……橋本、なんか今日いい匂いする」

少しだけ近づいて、首元のあたりを確かめるように嗅ぐ。橋本が、一瞬だけわかりやすく固まった。

「だろ? この前、桜の香りの香水買ったからつけてみた」

「……へぇ、そういうの好きなんだね」

「わりと好きなんだよなー。今持ってるから、ちょっとつけてみる?」

「……いい」

断ったのは、別に嫌いだからじゃない。むしろ、少し気になった。でも、こういう時に素直に「うん」と言うのはなんとなく悔しい。

「あんま香水とか好きじゃない?」

「……そうじゃないけど」

「じゃあちょっとつけよ」

言うなり、橋本がこっちの手首を取って香水をつける。ふわっと広がる、甘酸っぱくて少しだけ軽い桜の香り。

「……」

自分の手首なのに、なんだか妙に落ち着かない。そのまま桜の下に立っていたら、急に写真を撮られた。

「……ちょっ、今撮ったでしょ」

「いーじゃん。なんか今日の格好と桜、合うなと思ってさ」

「じゃあ俺も橋本のこと撮る」

そう返しながらスマホを向ける。別に桜にはそこまで合ってない気もするけど、でも橋本は今日の服もちゃんと似合っていた。少し前より、こういうふうに冗談っぽく写真を撮り合えるくらいには距離が近い。それが、少しだけ嬉しい。


「同じクラスになんねーかな」

「……厳しいでしょ」

「……だよな」

そう返しながら、自分も少しだけ同じことを思っていた。でも、確率的には同じクラスになれないって思っていた方が、落ち込まなくて済むと思う。


桜並木を歩いている途中、さっきつけられた香水の匂いがまた気になって、こっそり手首を嗅いでみた。……いい匂い。その瞬間、橋本と目が合う。

「……なんでもない、見ないで」

「あ! やっぱそれいい匂いっしょ」

「……別に」

別に、じゃない。思っていたより、かなり好きな匂いだった。でも、それをそのまま言ったら橋本が調子に乗る。橋本がこっちの手首を掴んで、匂いを確かめる。

「……っ、なに」

「あー、今の方がいい匂いかも」

「……なにそれ」

「香水って、つけたてとちょっと経ってからで匂い変わるからさ。人によっても変わるし」

「……ふーん」

「俺が首につけてるのと比べてみ」

そう言って、橋本がモックネックの襟を少し下げて首元を差し出す。その仕草が妙に色っぽくて。一瞬だけ迷ったけど、断るのも変な気がして、少しだけ顔を寄せる。

「……っ」

鼻先が、橋本の首筋にほんの少しだけ触れた。その瞬間、自分でもわかるくらいどきっとする。

「……確かに、ちょっと違うかも」

そう答えると、橋本は満足そうに笑った。たぶん、最初からこうしたかったんだろうなと思う。


桜も、ドーナツも、香水も。

橋本がいちいち楽しそうで、こっちまで少し浮かれてしまう。


たぶん今日の花見は、桜を見に来たというより、橋本が春の空気ごと、全部楽しそうに持ってきた日なんだと思う。そして、自分はそういう橋本に、たぶん思っているよりずっと弱い。

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