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Up in the air

俺だけ宙ぶらりんかよーーーー。

「畠山は数学得意だし、やっぱ理系にすんの?」

「うん。そのつもり。橋本はどうするの?」

「消去法で文系」

教室の後ろの席で、そんな話をする。今、クラスでは二年からの文理選択を迫られていた。一年のうちに、二年から自分がどっちへ進むのか決めなきゃいけない。理系か、文系か。でも、俺にとってはそこまで大げさな選択でもない。

数学が毎回赤点ギリギリの時点で、理系は絶対にない。だから文系。消去法で。……いや、でも文系ですら名乗っていいのか怪しいレベルだけど。

「川瀬もたぶん理系だよ」

畠山がさらっと言う。

「そうだよな〜。すげぇよ、ほんと二人とも。俺とは生きてる世界が違う」

思わずそう言うと、畠山が少しだけ笑った。

将来なりたい職業とか、進学したい大学によっても選ぶものが変わってくるらしい。でも、将来の職業なんて、まだそんなの全然決まってない。


父親は公務員だ。そのおかげもあって、うちはたぶんそれなりに安定した生活をさせてもらっている。そういうありがたさはちゃんとわかってる。でも、自分が同じような仕事をしたいかって言われると、正直あまりピンとこない。毎日同じことの繰り返し、みたいなのはたぶん苦手だ。好きなことを仕事にしたい、とは思う。


音楽は好きだ。めちゃくちゃ好きだし、楽器を吹いてる時間は普通に幸せだし、歌を歌うのも好き。でも、好きだからってそれで食っていけるほど甘くないのも、なんとなく分かっている。音楽で生きていくなんて、ほんの一部のすごい人たちの話だ。俺はそこまで上手いわけでもないし、そこに人生を賭けられるほど真っ直ぐでもない。


じゃあ何がしたいんだろう。好きなことを仕事にしたい、でも音楽ではない。……その“好きなこと”が何かも、まだはっきりしてないんだけど。

「畠山はさ、将来なんかなりたいとかあんの?」

そう聞くと、畠山は少し考えてから言った。

「うーん、動物が好きだから、動物看護師とかかな」

「え、すげぇ」

思わず声が出る。もう“なりたいもの”があるのか。さすがだな、畠山。

「最初は獣医になりたいって思ってたけど、親に学費が高いから厳しいって言われて」

「獣医?! かっけぇな」

ほんとに、すごい。ちゃんとやりたいことがあって、そのために理系を選ぶ。そういうふうに考えられるのが、なんか大人っぽい。俺は……何がしたいんだろう。


ぼんやりそんなことを考えて、教室の窓の外に目をやる。川瀬は今、この隣のクラスにいる。次の休み時間には廊下で会えるはずだ。同じ学年、同じ校舎にいて、部活でも毎日顔を合わせるのに、クラスが違うだけで少し遠い。あいつは今ごろ、理系の選択科目とか、将来のこととか、俺よりずっとちゃんと考えているんだろうか。


休み時間になると、俺はなんとなくE組の教室まで足を運んでいた。文理選択の話をしてから、川瀬がどっちを選んだのか気になって仕方なかったのだ。

教室の前の方にいる川瀬をみつけて声をかける。

「川瀬ー、文理選択どっちにしたー? やっぱ理系?」

川瀬が顔を上げる。少しだけ意外そうに俺を見てから、いつもの調子で答えた。

「うん。理系にしたけど」

……だよなーーーー。心の中で盛大にうなだれる。まあ、そうだよなとは思ってた。思ってたけど、実際に聞くとやっぱりちょっとくる。


来年はクラス替えがある。でも一年だけで六クラスもあるんだから、同じクラスになれる確率なんて高くない。その上、文系と理系で分かれたら授業はほとんど被らないはずだ。ちょっと、いや。だいぶ寂しい。

それをそのまま顔に出すのもなんか悔しくて、俺は話題を変えるみたいに続けた。

「そういえばさ、川瀬って将来何になるの」

川瀬は少しだけ考えるように視線を落とす。

「……まだわかんない」

その返事に、少しだけほっとする。なんだ、一緒じゃん。俺だけが将来のこと何も決まってないわけじゃないんだな、って、ほんの少し安心した。でも、川瀬はそのあとで静かに続けた。

「……でも、医療系の仕事がいいかなって」

……かっこいい。いや、それもう“まだわかんない”の段階じゃなくないか。ちゃんと方向があるじゃん。すげえな、と思う。


たしか前に、川瀬の親は看護師だって言っていた。そういう仕事を身近で見てきたからこそ、自然とそういう進路を考えるのかもしれない。なんか、そういうのも含めて川瀬らしいなと思う。

「……橋本は? 何になりたいの?」

不意に聞き返されて、少しだけ詰まる。

「……んー、全然決まってないんだよなー」

笑ってごまかすみたいに言う。実際、本当に決まってない。好きなことを仕事にしたいとは思う。でも、それが何かはまだわからない。

「……そっか」

川瀬はそれ以上は何も言わなかった。責めるでもなく、変に励ますでもなく、ただ静かに受け止めるみたいな言い方だった。その感じが少しだけありがたくて、少しだけ困る。

――今は、川瀬といられればなんでもいい。

……なんてことは、さすがに言えなかった。そんなこと言ったら、たぶん川瀬は困った顔をする。でも、あながち嘘でもないから困る。


来年のことも、将来のことも、まだよくわからない。ただ今は、休み時間にこうして隣のクラスまで顔を見に来て、普通に話せるだけで十分だった。



三月七日。お世話になった三年生の先輩たちの卒業式。先輩たちの大切な晴れの日に、残された後輩たちは体育館のバルコニーに上がり、入場と退場の演奏を担当する。演奏するのは、卒業ソングとして定番のJ-POP。何度も合わせてきた曲なのに、今日だけは音の意味が少し違って聞こえる。

退場の演奏をしながら、休符のたびに客席へちらっと目をやる。フルートの先輩たち、どんな顔してるかな。他にも、コンクールや合宿、マーチングで世話になった先輩たちの姿が見える。顧問の佐々木先生は指揮をしながらもう目が潤んでいて、それにつられたのか、演奏しながら泣いている部員もいた。


卒業式が終わると、生徒たちは一斉にグラウンドへ出た。春にはまだ少し早い風の中、あちこちで花束が渡される。ダンス部やバスケ部の後輩たちは、先輩に駆け寄って泣きながら抱きついたり、写真を撮ったり、見るからに“別れの瞬間”という空気を作っていた。全く接点のない運動部の顔のいい先輩なんかは、ネクタイもボタンも全部女子に持っていかれて、制服がぼろぼろになっていた。……すごいな、あれ。俺にはたぶん、一生縁のない世界だ。


で、俺たち吹奏楽部はというと。


「先輩、定演のセッティング表出来ました!」

「おう、ありがと!佐々木先生に提出しといて」


……結構いつも通りだった。泣いてる人なんて、ほとんどいない。いや、たぶん、誰もいない。なぜなら。明日も普通に、三年生に会えるから。

三月二十八日には定期演奏会がある。三年生はそれが三年間の集大成で最後の舞台。そしてその次の日が卒部式。俺たちにとって、本当に先輩たちを送り出す日はその日だ。だから今日の卒業式は、世間的には“お別れ”でも、吹奏楽部にとってはまだ途中にすぎない。

それが少しだけ、吹奏楽部らしいと思う。最後の最後まで、先輩たちは“先輩”のままなのだ。グラウンドの端で、フルートの先輩たちがいつもの感じで集まっている。柳先輩も、洸太先輩も、堀部先輩も、制服姿なのに全然“もう会えない人”には見えない。むしろ、明日の部活でまた普通に会う顔だ。

「なんか、卒業式って感じしないっすね」

誰かがそう言って、みんな少し笑った。

「まあねー。明日も来るし」

「普通にリハあるし」

「まだ終わってない感じする」

そう。まさにそれだ。まだ終わってない。終わらせてもらえない、というか。ありがたいことに。

でも、その“まだ”があるからこそ、たぶん本当に終わる時はちゃんと寂しいんだろうな、とも思う。今日泣いていない分だけ、三月二十九日に全部来るのかもしれない。グラウンドに立ちながら、俺はなんとなく三年生たちを見た。笑っている先輩たち。写真を撮っている先輩たち。いつも通りみたいに話している先輩たち。

この人たちがいなくなるなんて、まだ全然実感がない。たぶん、明日のリハでも普通に怒られるし、普通に褒められるし、普通に「橋本うるさい」って言われる。そう思うと少し安心する。でも同時に、その“普通”があと少ししか残っていないことも、わかっていた。


運動部の、ネクタイもボタンも全部持っていかれて制服がぼろぼろになったイケメンの先輩を見て、ふと思った。

――吹奏楽部も最後、ああいうのあるんだろうか。

先輩のボタン、欲しいとか。誰かに、くださいって言ったりするんだろうか。じゃあ、川瀬は。優矢先輩のボタン、欲しいとか思うんだろうか。胸の奥が、じわっと嫌な感じでざわつく。

あれ以降、優矢先輩と川瀬が夜飯に行ったり、あからさまに仲良さそうに話していたりする雰囲気はない。ない、はずだ。少なくとも俺の前では。

――それが逆に少し怖い。

俺に見えないようにしてるだけだったら?なんて。いや、さすがに考えすぎか。


でも、こういう日に限って変なことを考える。卒業式。別れ。先輩。最後。そういう言葉が並ぶと、余計に落ち着かない。


定期演奏会では、一年間の集大成として夏のコンクール曲も演奏する。ということは、川瀬の『蒼の海辺で』のソロも、もう一度聴ける。それを思うと、胸が少しだけ明るくなる。また聴けるんだ。あの音を。あの、小ホールの空気を一瞬で海に変えたみたいなソロを。楽しみだ。普通に。すごく。


でもその一方で、胸の底にほんの少しだけ、どろっとしたものも流れる。また周りの先輩たちに、

「川瀬ってすごいね」

とか、

「ソロめちゃくちゃ綺麗だった」

とか、そんなふうに声をかけられるんだろうか。……いや、実際すごいんだけど。すごいのは事実だし、俺だって誰よりそう思ってる。でも、俺が知ってる川瀬のすごさを、周りも当たり前みたいに見つけて褒めるのが、ほんの少しだけ面白くない。


ほんと、心狭いなと思う。でも、それでもやっぱり、楽しみな気持ちの方が大きかった。また会場を静かに圧倒するんだろう。また、みんなが息を止めたみたいに聴き入るんだろう。

そしてそのたびに俺は、誇らしいような、悔しいような、どうしようもなく好きみたいな気持ちを、ひとまとめに抱えるんだと思う。


定期演奏会。先輩たちと一緒に立つ、ほんとうの最後のステージ。その中でまた川瀬の音が聴ける。それだけで、今は十分だった。


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