表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/86

第83話 翻弄される俺




花凛(かりん)…」


名前を呼んだ瞬間、俺はもう理性を手放していた。

その声に彼女が応えるようにして首を傾げた瞬間、堪えきれず唇を重ねる。


柔らかな花凛の唇の感触に、全身の血が一気に熱を帯びた。

離れていた半年間に積もった想いが、もう抑えられそうにない…


彼女に唇を重ねるたび、理性の境界線が曖昧になっていくのを感じる。

花凛を抱きしめれば抱きしめるほど、どうしようもない渇望と切なさが胸に溢れて来た。


俺は軽く開いたそれを押し開き、舌で花凛を探る…


温かさが流れ込んできて、胸の奥の空虚な部分が満たされていく気がした。


こんな風に抱きしめていれば、遠距離も相楽(さがら)の事も…不安だって全部消えてしまうんじゃないか…愚かにもそんな錯覚さえする。


この時花凛の指が、俺のシャツをぎゅっと握った。

その小さな仕草でさえ、心臓の鼓動を小さく跳ねさせる。


その唇を求めながら、俺は彼女の後頭部に手を添えた。

逃げられないように、もっと深く自分の中に引き寄せるように…



「…ふっ…」


小さな声が、花凛から漏れる。

その響きに高ぶりが添えられ、俺は思わず彼女の腰を強く抱き寄せた。


「花凛…」


名前を呼ぶたびに、胸の奥が熱く締め付けられる。


俺は…

花凛と一年も離れるなんて、本当にできるんだろうか…


今時”遠距離”なんて、大したことないと思ってた。

声を聞くことも、顔を見る事も今の時代簡単だ。


だけど…


「…離れるのが…嫌だ…」


思わず口にしてしまい、笑ってごまかそうとした。

だけど、苦しいだけで声にならない…。


花凛を縛ることはできない。

だけど…見送る勇気も持てそうにない…


掠れる声が、自分でも驚くほど情けなく聞こえた。

けれどもう、綺麗ごとではいられない―――


もし彼女の隣に、別の誰かが立つ日が来たら――わずかな現実を帯び始めたそれに、息が詰まりそうだ。


凱斗(かいと)…私もう少しで、帰らなきゃ…」


その時小さくつぶやいた彼女の声に、胸がざわついた。

たったそれだけの言葉が、鋭く胸に刺さるように響く―――


時間を気にしている―――ただそれだけのことが、距離を置かれたようで苦しかった。


同時に、彼女の視線がちらりと時計へ流れるのを感じ取る。


とんなに熱を込めても、花凛の心は”ここにあらず”だ。


「花凛…やっぱ、今日ここにいろよ…な?」


思わず、言葉が漏れた。


触れる唇は温かいのに、花凛の心がこっちへ傾いてこない…


俺との温度差が、手に取るように感じられる。


「だって…明日仕事なんだもん…」


彼女の唇の隙間から、微かな声が漏れる。


”仕事”――

それに、胸の奥が一瞬で冷たくなった。


俺の頭を過るのは、相楽の存在だ。


あいつは花凛と同じ職場で、同じ時間を共有している。

半年前、俺と花凛に距離ができてからも、側にいたのはあいつだった。


そして今…あいつの存在が無視できないのも現実だ。


相楽は花凛に告白した。

花凛と同じMBAを取るためにアメリカに行くとは聞いている。

でも、あと一年の間に何が起きるかわからない。


今日花凛と話して、確実に彼女の中であいつの存在が大きくなってるのを感じた。


俺がどれだけ必死につなぎとめても、もし一年後…

花凛の隣に相楽がいたら―――


その光景を想像した瞬間、胸が焼けつくような痛みに包まれる。


「相楽より…俺だよな…」


自分でも情けないと思うくらい、震えた声が出た。

花凛は驚いたように目を見開き、それから俺の顔を正面から覗き込んだ。


「……なんでそんなこと聞くの?どうしちゃったの?凱斗…」


彼女は、そんな俺に戸惑いを見せる。

そんな顔…させたくないのに…


「……花凛…俺…めっちゃ後悔してる…」


「……」


「半年もお前の側から、離れた事…」


それを聞いた花凛は、両手で俺の頬を包み込んだ。


「大丈夫だよ。離れてても…私は、ずっと思ってたから」


そう言って優しく微笑むと、そっと俺の鼻先にキスをした。


「花凛…」


「どうしちゃったの…そんな弱気な凱斗珍しい…」


心配そうな目の前の花凛を、俺は思わず両腕でぎゅっと抱きしめた。


この半年間、花凛が俺を忘れてしまうんじゃないかと、何度も不安になった。


慌ただしい生活の中で、別の誰かを好きになってもおかしくないと…

夜、眠れない度に心をしめつけていたその恐怖を、今花凛のたった一言が溶かしてくれた気がする…


何でもっと早く連絡しなかったんだろう。

どうして意地を張ったりしたんだろう―――


こんなに胸の奥が切なく、どうしようもなく愛おしいのに…。

湧きあがる想いに突き動かされて、俺は再び花凛をこの胸に抱き寄せた。


「…俺も…。ずっと…花凛だけだった」


そう言った俺に、彼女は小さく頷く。


「私ね…やり残した仕事があるの…それがちょっと気になってて…」



「仕事?」


「うん…だから…帰りたいわけじゃないの…ホントはここにいたい…」


申し訳なさそうにそうつぶやいた花凛の頬に、俺は微笑んでそっとキスをした。


「なんだ…。それなら…仕方ないよな…」


本当は、どうってことない事なのかもしれない。

花凛が言う事を信じていれば、今まで通り一緒にいられるのかもしれない…



だけど…


「俺…お前の事好きすぎだわ…」

きっと…全ての答えは、これなんだろう―――。


思わずそうつぶやいた俺に、花凛は呆れたように笑った。


彼女は笑ってるけど、これは本当だ。

その気持ちを気にして、それにずっと振り回されて…


俺は…花凛に、翻弄されっぱなしだ。




それから花凛が帰るまでの少しの間、俺たちは二人で東京タワーを見つめていた。


窓辺で後ろから花凛を優しく抱きかかえ、彼女の肩にそっと顎を乗せてみるこの景色は、半年間ずっと願っていたものだ。


あの不安と孤独な夜を乗り越えて、ようやくたどり着いた場所。

俺の腕の中にいる花凛は、柔らかくてすごく温かい。


まるで失くしていたパズルの最後のピースが、ぴったりとはまったような感覚だった。


花凛は何も言わず、ただ静かに俺の腕の中で東京タワーを眺めている。


時折、俺の顔を振り返ったり、他愛もない事で笑ったり…。

その仕草一つ一つが、たまらなく愛おしい。


そんな彼女が、今の俺の不安を一つずつかき消してくれる気がした。

失うかもしれないと、さっきまで怯えていた時間が嘘のように、今はただ満たされた幸福感だけが胸に広がっていく―――


この腕の温もり、この柔らかな感触、そしてこの静かな時間。


これらすべてが、今ここに花凛がいるという確かな証だった。


「…花凛」


思わずその名前を口にして、抱きしめた両腕に力を込めた。


彼女は何も言わず、ただ俺の腕の中にさらに深く身を預けてくれた。

その小さな仕草だけで、俺の心は再び満たされていく…。



俺たちは、これからもこうしてずっと二人でいられるよな。

この時俺は、そう信じていた――――いや、信じていたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ