第78話 君を好きな理由
私は渋谷に迎えに来てくれた凱斗と待ち合わせをして、ランチをすることになった。
お気に入りの、落ち着いた茶懐石の店だ。
渋谷の雑踏から一歩足を踏み入れると、そこには別世界が広がっていた。
モダンな和の空間に、心地よいジャズが静かに流れている。
席に通され、運ばれてきた「茶懐石膳」は、小さな羽釜に炊かれた、つやつやの白いご飯と、色とりどりのおばんざい。
一口食べると、お出汁の優しい香りが口いっぱいに広がり、疲れた心に染み渡っていく。
温かいお茶を一口飲むと、心がふっと軽くなるのを感じた。
でも…こんなにも穏やかな時間は、ここまでだった―――
「午前中の英語、それって毎週?」
「あ…うん。出発までは一応行こうかなって。三か月前から通ってるの」
「確かイギリスってIELTSだったよな?」
「うん…ちょっと前に…一回受けた」
「ていうかさ…ちょっと気になったんだけど、これって相楽も一緒?」
「……」
「一緒なんだな」
答える前に自分で答えてる。
絶対に聞かれると思った…。
「あ…先に帰ったよ?」
「当たり前だろ。俺達と一緒にランチするわけないし」
凱斗、相楽君の事ずっと気にしてる…
と…とりあえず話を変えなきゃ。
凱斗…今のでもっと機嫌悪くなった気がする。
目つきも変わった…
「ちゃんと…言えたよな?」
「何を?」
「は??」
あ!!しまった!!そうだ…凱斗と約束してたのに!!
「あっ…言った!!言ったよ!!」
「えっ?あいつなんて言ってた?!」
「……」
なんて言ってたって…そう聞く顔が、一瞬笑顔になったけど…
≪…そんな人に俺、桜庭を譲りたくない≫
あんなこと相楽君が言ったなんて…口が裂けても言えない…
「…あ…あのね…」
「うん」
「……今日は、先に帰るって」
「それだけ?」
「……」
「俺たちがより戻したって聞いても、それだけ?!」
「あ…うん」
「ふぅん…」
どうしよう…
本当の事が言えない…
「…でも…ちゃんと言った…」
うん。これは本当だもん。
「そっか、よくやった!」
凱斗は、今度は急に笑顔になって料理に箸をつけ始める。
ふぅ…。
なんだか、さっき飲んだカフェラテと、この状況で全く食欲が無いわ…
「お、これおいしいな…」
そうなんだ…
美味しいんだね。
凱斗楽しそう…
私は、相楽君が怒った事考えたら食欲もないな。
ちょっと凱斗に、話聞いて欲しいよ…
「凱斗…」
「ん――?」
「…相楽君ね…」
「……」
「さっき無茶苦茶怒って、帰っちゃったの…」
「……」
「なんか…私、心苦しいな…」
「は?」
「え?」
「いや、お前何言ってんの?」
凱斗は眉を寄せて苛ついた表情で箸を置くと、私の顔を正面から見据えた。
今度は…凱斗が目の前で怒りだす。
「……」
「向こうには、好き勝手言わせとけよ。大事なのはお前の気持ちだろ?」
「……」
「俺は相手には、はっきり言うよ?自分の感情をごまかすとか絶対嫌だから。言ったって理解できないヤバイ奴もいたけどな。誰とは言わないけど…」
「……」
「仮に相楽がもし文句言ってくるようなら、俺が受けて立つ」
「や…やめてそんなの…」
「何…?もしかして…お前、相楽の事気にしてるんじゃないよな?」
「…えっ?」
「俺より、あいつが気になる?」
凱斗に言われて、そんな事ないって…
私はすぐに言えなかった。
今まで隣にいる事が当たり前で、苦しい時ずっとそばにいてくれたのに
凱斗に「より戻そう」って言われて、嬉しくて二つ返事して…
あんなに真剣に考えてくれてた相楽君の気持ちは、どうなるんだろう…
黙ったままの私に、意外にも凱斗は優しく話しかけて来た。
「花凛…」
「……」
「何で…俺が花凛を好きかわかる?」
「…えっ?」
「絶対に誰にも渡したくない理由。俺…初めて言うよな?」
「……うん」
「人を好きになる理由ってさ、それぞれあると思うんだ。きっと相楽にもな…」
「……」
「気が合うからとか、趣味が同じだとか…一緒にいて楽だとか?後、自分にとってかわいく見えるとか?」
凱斗はそこまで言うと、ふっと笑った。
「だけどさ…俺はそんな単純な理由だけじゃなくて…お前のダメなところも好きになれるからかな…」
「ダメなとこ?」
「欠点も含めて全部、好きでいられる。それと、俺ムダな事に時間使うの嫌いだろ?」
「うん」
「だけど…お前に使う時間にムダなんて一秒も無い。俺の時間、全部使いたいくらいだ」
「……」
「まぁ、現実は無理だけど…ずっと一緒にいても全く苦じゃない事かな。一人でいるよりずっといい…」
「凱斗…」
「そう言うの、大事じゃない?」
「…うん」
「…少なくとも俺は、花凛以外の人にそんな事思った事ないから。それと、お前は俺のバックボーン全く気にしないとこだな」
「バックボーン…?」
私が首を傾げると、凱斗は一瞬だけ苦笑した。
「俺の家のこととか、環境とか、肩書とか…そういうの。それ気にする女が多すぎる」
「……」
「だけど花凛は最初から、ただの“俺”を見てくれてた」
胸がなんだか、じんわりと熱くなる。
初めて聞かされる「凱斗の気持ち」
「……花凛」
「うん」
「俺、お前といる時間が、一番“自分らしい”気がするよ」
その目はとても真剣で、少し照れくさそうで…
でもまっすぐで飾らないその言葉が――私の胸に深く刺さった。
凱斗の笑顔が、胸の奥を温かく満たしていく。
――そうだ。やっぱり私が好きなのは、凱斗なんだ。
半年の空白があっても、この気持ちは消えなかった。
だけど――。
ふいにさっきの相楽君の声が、頭をかすめる。
≪俺より、桜庭の側にいるべきだった≫
≪…そんな人に俺、桜庭を譲りたくない≫
真っ直ぐで、苦しそうで。
あんな相楽君の表情、今まで見たことなかった。
「……」
心臓がちくりと痛む。
どうして、今ここで思い出すんだろう。
凱斗の隣で「素直になりたい」――
それは確かなのに、相楽君の真剣な眼差しも、頭から消えてくれない。
私の胸の奥で、二つの気持ちが小さくぶつかり合ってざわついている。
心臓の奥でその気持ちを、必死に押し込めた。
――今、考えることじゃないよね。
凱斗がじっと私の顔を見て、首を傾げる。
「花凛?」
一瞬、目が合った。
危ない…このままじゃ心の動揺を見透かされてしまう。
わざと明るく笑ってみせた。
――笑顔の裏で、私の心はまだ揺れている。
凱斗の優しさを感じながら、私はその時それを必死に隠していた。




