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第54話 納得が行かない人事



火曜日――午前十時。

役員フロアの会議室…



私は凱斗(かいと)の正面の席に腰を下ろし、役員朝会に出席していた。


私の右手正面に座る佐田さんは、今日は端正なスーツ姿。

そして私の向かいには凱斗。


目の前の凱斗は、いつものように完璧だった。


上質な白いシャツは首元のボタンが一つ外されているが、だらしない印象は微塵もない。

イタリア製の高級スーツは、彼の185センチの長身に吸い付くようにフィットし、一目でその質の高さがわかる。その佇まい全てが、絵になるようだった。



朝から何の曇りもない、きりっとした顔立ち。


佐田さんが話す内容に、その瞳の奥には何一つ聞きこぼすまいとする、ひたむきなまでの真剣さが宿っている。


その、鋭くそれでいて知的な眼差しに、私は思わず息を呑んだ。



―――なんとしてでも手に入れたい。


会議中だというのに、そんな言葉が頭の中を駆け巡る。

彼の隣に立つのは、絶対に私。


佐田さんの話を聞きながらも、時折彼の方に視線を向ける凱斗の横顔に釘付けになった。



佐田さんは、この日緊急の重要事項を幾つか説明する。


その後、淡々と資料を机に置き、最後に視線を私に向けた。



「それから梓。来月から、サンフランシスコの国際広報チームに異動してもらう」


その言葉に、私の表情が一瞬固まる。


サンフランシスコの国際広報チーム?


それはさっき説明されたばかりの、来月新設される初の海外支社だ。


「……え?私が?」


「さっき説明したシリコンバレーに新設するチームだ。これから海外投資家やグローバルブランドとの折衝が必要になる。君のPR経験を、最大限に活かせる場所だと俺が判断した」


佐田さんの声は、いつも通り冷静でぶれない。


これが、冗談ではない事を物語っていた…



「ちょっと……待って。――どうして私が急にアメリカに……?」


思わず視線を凱斗に向けると、何も言葉を発しないままこちらを見つめている。

問いかけるような、いや…… 責めるような冷たい視線だ。



淡々と新設部署の説明をする佐田さんの言葉が、耳に入ってこない。

でも凱斗は、ここで一切言葉を挟まなかった。


「梓が優秀だからだよ。瀬島にも相談したし」


「瀬島さん?」


思わず彼の方を見ると、切なさと惜しむ気持ちを滲ませながらこっちを見ている。

彼は、大学からの先輩だった。


学生時代から私の優秀さを買ってくれていて、ここに引き抜いてくれたのも彼だ。



「役員秘書の立場のままだと、君の対外的な広報力を十分に発揮できない。だが国際広報チームなら違う。キャリアを生かせるまたとないチャンスだ。梓が前職で培ったネットワークも活きると思うし、君にとってもプラスになる異動だ」


「……でも、私は――」


私は言葉を詰まらせ、思わず凱斗に視線を向けてしまう。


その時、すっとそらされた視線…



「異動は、正式に決定した」


佐田さんが締めくくるように、私に低い声で告げた。


「詳細は人事から通知が行く。新しいプロジェクトに全力を尽くしてくれ。よろしくな。期待してるから」


これは…絶対に凱斗が決めた事だ。


私は全ての業務を完璧にこなしてきた。

そこから外されるような理由は、一つも見つからない。



私の事が、邪魔になったんだ…



会議室を出た瞬間、私は足音を強く立てて凱斗の隣に並んで追いかけた。

ヒールの音が廊下に響き、振り返った社員たちがちらりとこちらに視線をやる。


「凱斗!」


彼を呼び止める声は、もう周りを気にする口調じゃなかった。



「……何」



「これ決めたの、あなたでしょ!!」


「……」


「私の何が悪いの!?成果をだしてきたつもりよ!? あなたのために、どれだけ時間割いてきたと思ってるの!」


私は、凱斗を睨みつける。

悔しさと、必死さと彼への執着――全部が抑えられそうにない。


凱斗は足早だった歩みを止め、深くため息をついた。

迷惑そうな、それでいで面倒くさそうな顔だ…


周囲を気にしてから、今まで聞いた事もない冷たい低い声で言う。


「もう、いい加減にしてくれ」


「……!」


「お前の仕事は、俺も認めてるだろ。優秀だからこそ、次の場所を任せるんだ」


「でも私は――凱斗の隣で!」


「もう一度言う。これは仕事上の判断だ。」


「……」


「そっちがどう思おうと勝手だけど、俺は今まで仕事のパートナー以上に見たことは一度もないから」


ピシッと、冷たい空気が廊下に走った。


私はその言葉に思わず顔が引きつり、言葉を飲み込む。


凱斗は視線を外すことなく、こっちを真っ直ぐに見つめて言い放った。


「俺にとって一番大事なのは、花凛だけだ」

…と…


そしてすぐに、背を向けて歩き出す…



振り返ることなく、足早にエレベーターホールに向かうその背中。


こんな仕打ち、今まで受けた事なかった。

誰もがみんな私の機嫌を取り、微笑めば頼み事はなんでも聞いてくれる…それが男だ。


桜庭花凛…私のどこがあの子に劣ってるって言うの?!


「……ふざけないで!どうしてあんな女なの!」


あんな女に、どうしても負けたなんて思いたくなかった――――







―――その日の夜。


私は、とある人に会う事にした。


ずっと“忙しいから”と断っていたけれど、時間ができたと連絡をすると彼は、喜んでその日すぐに時間を作った。



「梓ちゃん!久しぶり!!」


私は、神楽坂で彼と待ち合わせた。

彼の職場にも近く、私がそっちに出向くと言うととても上機嫌だった。


待ち合わせた店は完全個室のある居酒屋。

「ごめんね。忙しいのに急に呼び出して」


「大丈夫!俺も今日丁度時間が空いてたんだ」



彼は、私が学生時代にモデルをしていた時知り合った、出版関係の社員だ。

名前は岸谷晃.35歳。


かつて何度も、私に言い寄って来たことがある男だった。


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