第50話 度重なる偶然
ガラス張りの会議室の奥に置かれた、長いテーブルの上。
そこには、整然と資料とノートPCが並んでいる。
今日は大手メーカーの「次世代事業戦略プロジェクト」のキックオフ会議。
私たち外資系戦略コンサルティングチームは、グローバル市場分析と競合ベンチマークを担当。
一方、シンクタンクである五菱総研チームは、規制や国内市場の調査、政策的な観点からの示唆を担っている。
つまり、私たちが「外の目線」、彼らが「内の目線」。
二つの視点を掛け合わせることが、この案件の肝だった。
冒頭、クライアント役員が口火を切る。
「今回の新規事業は、国内だけでなく海外市場でも勝負していきたい。そのための戦略を、皆さんの知見を合わせて導きたい」
それに続いて、司会役のパートナーが各チームの紹介をする。
そしてプロジェクトリードである私に、自然と視線が集まった。
「本日は、当社側からグローバル市場の最新データを共有いたします。
特に欧米での競合動向、価格戦略、そしてサプライチェーン再編の事例を中心に」
私は立ち上がり、スライドをめくりながら説明を始める。
声は冷静を装っていた。
でも視界の端で、こちらを見ているある横顔に気づいた瞬間、鼓動が早まる。
そこにいたのは亨だった。
―――昨日大原先輩の二次会で、再会した元彼。
しかも今、この場にいるのは「五菱総研の主任研究員」としての亨。
私の元カレであることは、誰も知らない。
亨は淡々と私の説明の後を受けて、国内動向の補足を始めた。
「国内市場に関しては、規制緩和のタイミングや補助金スキームの変化が大きな影響を与えると考えています。特にこの二年間、官庁側の方針が揺れているので……」
その声を聞いているだけで、嫌でも昔の記憶が蘇る。
私が凱斗に素直になれなくなった、あの頃の出来事。
手に持つ資料がわずかに震えているのが、自分でもわかった。
その時隣の相楽くんが、すっと口を挟んでくる。
「補助金の件ですが、当社でも欧州のケースを比較しました。
例えばドイツでは、スタートアップへの直接投資と補助金を組み合わせる仕組みがあり、日本にも示唆があるかと」
さらりと会話を横取りするように見せかけて、自然に場を引き受ける。
まるで、最初からそう決めていたかのような堂々とした口調。
彼のおかげで、私は一瞬呼吸を整える余裕を得た。
冷静さを取り戻すと、相楽君に続ける形で再び会話に戻ることができた。
「つまり、海外での成功事例を日本にどう適用できるか――その視点を我々で検討する必要がある、と考えています」
クライアントも大きく頷き、議論はスムーズに進んでいった。
会議が一段落し、短い休憩に入ったその時―――
紙コップのコーヒーを手にした相楽が、声を潜めて私に言った。
「……大丈夫? さっき、少し顔色悪かったよ」
「……え? 全然、平気だよ」
「そう? ならいいんだけど」
彼はそう言って、少しだけ口角を上げると、私の背中をポンと叩いた。
それから会議が無事に終わり、重々しい議題もひとまず片付く。
クライアントの役員たちが握手を交わしながら退出していく中、私もノートPCを閉じて一息ついた。
―――そのときだ。
「……桜庭さん」
抑えた声が、耳に届く。
ふと顔を上げると、そこには亨が立っていた。
一瞬、昨日の夜の光景が蘇る。
大原先輩の結婚式二次会。
表参道の華やかな会場で、久しぶりに顔を合わせた彼は、昔と変わらぬ余裕の笑みを浮かべていた。
私にとっては過去の人だ。
そして二度と顔を、合わせたくなかったのに…
「……お疲れさまです」
できるだけ事務的に。
それなのに彼は、まるで何もなかったかのように穏やかに微笑んだ。
「もしかしたら今日、花凛に会えるかなって思ってたんだけど…。
ほら、俺も学生の頃、ここでインターンしてたからさ。
同期や先輩が、今こうしてクライアント側にいるのも面白いもんだよな」
彼は懐かしむように言う。
「花凛」って笑いかける亨の顔は、あまりにも普通すぎて怖いくらいだ。
――そうだ、亨は学生時代からここでインターンもしていた。
だから知り合いも、沢山いる。
「そうですね」
私は、なるべく感情を挟まずに返した。
すると亨は一歩近づいてきて、声を落とす。
「……でも俺にとっては、昨日のほうが衝撃だった。
あんな場所で花凛に会えるなんてさ…」
「すみません。今は仕事中ですから」
「分かってるよ。ただ……懐かしかっただけ」
その時彼の瞳が、過去の感情をまだ手放していないことを物語っていた。
そのやり取りを、少し離れた場所で相楽君がじっと見ていた。
彼はあえて近づいてはこない。
けれど、あの目は確実に状況を察している。
亨は最後に名刺を差し出しながら、低い声で言った。
「今度、ゆっくりご飯でも行こうよ。ちょっと話したい事あるし、また連絡するね」
そう告げて、軽やかに会議室を出ていく。
裏には、携帯の番号が書いてあった。
末尾0420だ…
私は深呼吸し、テーブルの上の資料を整えるふりをした。
そのとき、相楽君がすっと隣に立つ。
「桜庭……大丈夫?」
「え?」
「黒瀬さん……昔ここでインターンしてたんでしょ。さっき阿東さんが言ってた」
「……」
「だからって、無理して相手することないと思うよ。
仕事上の付き合いなら、それだけでいいんじゃない?」
彼の声は軽いけれど、眼差しは真剣だ。
余計な詮索をするでもなく、ただ静かに私の言葉を待っていた。
「……ありがとう。インターンの頃から、ちょっと苦手な先輩だったんだ」
そう言って、私は微かに微笑む。
彼は何も言わずに、ただ静かに私の肩に手を置いた。
それから何気にスマホをチェックすると、LINEに凱斗からのメッセージが入っているのに気づく。
「えっ…?朝の7時に入ってる…」
今日は忙しくて、スマホ全然見てなかった…
私は急いで返信する。
≪ごめんね。今気づいた≫
既読はすぐにつき、仕事が何時に終わるかって聞かれた。
出来たら今日、会いたいって…
今日なら八時には…なんとかなるかも。
≪八時には大丈夫そう≫
≪大手町に車で迎えにいく。仕事終わりそうになったら連絡して≫
こうしてその日の夜、私は凱斗と会う約束をした。




