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第51話 切り出した別れ



オフィスのビルを出た瞬間、涼しい夜風が頬を撫でた。



約束通り、凱斗(かいと)の白いアストンマーティンDBXが目の前に停まっている。

街灯の下で浮かび上がるその車は、どこか非日常の象徴のように見えた。


助手席側の窓がスッと下がり、凱斗がこちらに視線を向ける。


「おつかれ。……こっち」


その声に、私は自然と歩み寄っていた。

車に乗り込むと、心地よい革張りの香りに包まれる。

けれど胸の奥は落ち着かない。


昼間(とおる)と、顔を合わせたせいだ。


シートベルトを締めた途端、凱斗がちらりと私を見た。


「……なんか元気ないな…無理してない?」


「え?……そんなことない」


反射的に笑みを作るけれど、思わず視線を逸らしてしまう。

亨のことを言えるはずもなく、曖昧な返事しかできなかった。


凱斗はしばらく黙ったまま運転に集中していたが、やがて低い声で口を開く。


「……梓のことで、誤解してないかと思って」


その名を聞いた瞬間、胸がざわついた。

彼がアメリカ出張に行っている間、SNSに流れた写真。

“秘書と熱愛”と噂されたあの一件――。


「誤解って……また何かあるの?」


思わず問いかける。

凱斗は一瞬、表情を固くした。

ハンドルを握る手に、ちょっと力がこめられたのがわかる。


「……いや。ちょっと嫌な思いさせたかと思って…」


そこまで言って、言葉を切った。

その横顔は心配そうで、何かに追い詰められているようにも見える。


私はそれ以上聞くことができず、窓の外に視線を移した。


夜の大手町のビル群が流れていく―――


けれど胸の奥には、亨の視線と、凱斗の曖昧な言葉が残り続けていた――。



――亨のことなんて、言わない方がいい。


二次会で再会したことも、今日プロジェクトで一緒になったことも。

わざわざ、言うような事でもないような気もするからだ…



「花凛何食べたい?夕飯まだだろ?」


「なんでもいい…」


「じゃぁ…寿司でいいいかな…」


「お寿司?」


「うん、家に車置いて来ていい?」


「凱斗、お酒飲むの?」


「うん。ダメ?」


凱斗はお酒がものすごく強い。

酔いつぶれたり、絶対にしない。


それに比べて、私はそこまで強くない…


「ダメじゃないけど…今日はまだ月曜日だから、あんまり遅くなりたくないな…」


「じゃあさ、今日…うちに泊まらない?」


「えっ?」


「ちょっと…ゆっくり話したいことあるんだ…花凛の話も聞きたいことあるし」


そう言った凱斗にちょっと違和感がある。


私の話って…一体なんだろうって…


「あ…じゃあ、その時考える」


「その時?」


そう言ったら凱斗は同じ言葉を、私に聞き返して笑った。



その夜、私たちは凱斗の行きつけの、麻布のお寿司屋さんへ向かう。


外観は一見何のお店かわからない佇まいで、看板もない。

だけど、木の格子戸をくぐれば、凛とした空気に包まれる品のいいお店だ。


カウンターの奥には白木の一枚板。

磨き込まれた檜の香りと、落ち着いた照明。


凱斗はここの大将のお人柄が、とてもお気に入りだ。


私たちは彼に勧められて、すぐ目の前のカウンターに腰を下ろした。


出されたのは、透き通るようなヒラメ、軽く炙った金目鯛。

ひと口ごとに、余計な雑念が洗い流されていくよう…


凱斗は白身魚や貝が好きだ。


「花凛は、マグロ好きだろ」


凱斗はそう言って、大将にマグロを頼んでくれる。


最初は子供だって、からかわれたっけ…

この店では、玉子と茶碗蒸しがあれば私は幸せだ。


凱斗が言うには、寿司屋の玉子は、その店の個性や職人の技術が現れるらしい。

甘いものから出汁の風味が強いものまで、お店によって様々だって…。


それにここの茶碗蒸しは、絶品だ。


一口食べると誰もが言葉を失うほどの、深いコクと複雑な風味が口の中に広がる。


蓋を開けた瞬間、ほんのり甘い出汁と焦がし醤油の香りが漂い、中には海老や銀杏、そして大将の故郷で採れた特別な筍が入っている。


底には特製のカニ味噌が敷き詰められていて大好きだ。


穏やかな会話の中で、凱斗が突然私に話を振って来た。


「花凛…」


「ん?」


「梓の事だけど…」


凱斗から出たその名前に、手に持っていた箸が止まる。


「え…あ…、もしかしてまたLINEの事?」


彼の手も止まる。

箸を置き、まっすぐに私を見た。


「あいつは…」


「…や…やだな…もういいよ。彼女の話は…」


「…花凛…」


「私、知らなかったの。一日そんなの見てる暇もなくて…

さっき車の中で見つけたくらいだもん」


「……」


「仕方ないよね…それだけ凱斗も注目されてるんだよ」



そう言いながら、星野さんの事はあまりいい気がしなかった。

だって、この間あんな事があったばかりだ…


穏やかな会話の中で、私は胸の奥の重りを抱え続けていた。




だけどこの時、私は思わぬことを口にしてしまう。

もしかしてこのフルーティな吟醸酒が、回って来たんだろうか…



言うつもりなんてなかった。

なのに…


「でも…なんかもう、彼女の事色々めんどくさい…」


「めんどくさい?」


どうして好きだけじゃダメなんだろう。

お互いの気持ちだけじゃなく、他人の気持ちが交差してややこしく絡んで…


責めるのも責められるのも嫌だ。


だけど…


気持ちをかき乱されるのはもっと嫌だ。



―――亨に会って思い出した…


あの時…私は亨に(さく)ちゃんの事を責められたんだった

「男は気を引こうとしてるのに、全く警戒しない」って…


朔ちゃんは友達なのに…それを責められたのも辛かった。

それと同じで、凱斗だって”秘書”の星野さんを責められたらいやだろう…


だけど…凱斗から聞いた彼女の私への悪戯は、あまりにもひどい。

それを見過ごしてる凱斗の気持ちも、もう良くわからない…


こんなことが、あと何回起きるんだろう…


「私仕事も忙しいし…」


「……」


「もし一人になっても、ちゃんとやっていけると思う。」


「それって…」


「凱斗は星野さん切れないだろうから、私の事切っていいよ」



何でこんな事言っちゃったんだろうって思ったけど、星野さんの事は本当に嫌だった。

どんなに凱斗が星野さんと距離をおこうとしても、きっと周りがほっといてくれない。



だとしたら…

もう私が手放さなきゃいけないんじゃないかって…


そんな風に思ってしまった―――

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