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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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八十八話「手がかりはどこに」

 窓越しに雨の音がぽつり、ぽつりと聞こえる正午。心ごと憂く染めてしまいそうな曇り空を外に、私達は海嘯亭の食堂に集まっていた。かきいれ時の昼は過ぎ、現在の海嘯亭は一時休業中。所狭しと置かれたテーブル席の一つに座るのは、私とシロ様にレゴさん。そしてその対面側には、ミーアさんの家族であるガッドさんとレーネさんが座っていた。

 先程まで晴れていた空の突然の変容に眉を下げつつ、私は周囲の様子に目を向ける。変わらず無表情のままのシロ様に、眉を寄せては何かを考えているらしい表情のレゴさん。対面側に座るガッドさんはその強面をますますと威圧感に染め上げ、レーネさんの顔色は先程よりも青白く染まる。重苦しい雰囲気が、珊瑚によって飾られた食堂内を満たしていた。ここに軽やかに三編みを揺らして笑う少女は、どこにも居ない。


「……で、なんでミーアちゃんが奴隷騒ぎに巻き込まれたって話になったんだ?」

「……俺から話そう」


 しかしいつまでも黙り込んでいても何も変わらないと思ったのか、そこでレゴさんが一歩と踏み出す。そうだった。私はミーアさんが奴隷騒ぎに巻き込まれたかもしれない、と言ってレゴさんをこの臨時休業中かつ家族会議中の食堂へと引っ張ってきたが、彼はそれ以上の事情について知らないのである。

 説明をしなければと口を開こうとして、けれど私よりも早く口を開いたのはガッドさんだった。厳つく寄せられた眉は、ただでさえ強面な彼をますますと近寄りがたくさせていて。だがそれも仕方ないことだろう。大切な娘が突如と姿を消して笑っていられる父親なんて、居るわけがないのだ。


 ……さて、ガッドさんがレゴさんに事情を説明している間に現在の状況を説明しよう。先程も告げた通り、あの後私はレゴさんを引きずりながらも階段の方へと向かった。部屋を背に真っ直ぐと階段の方へと向かえば、そこには一通り情報を探り終えたのかシロ様が立っていて。私達はそんなシロ様と合流しつつ、人が居なくなった食堂の方へと足を踏み入れたのだ。

 入れば当然、眉を寄せたガッドさんからは「臨時休業中だ」なんてことを言われて。しかし彼の射殺さんとばかりの視線は、レーネさんの不可解そうな視線は、レゴさんが奴隷騒ぎについて調べていたということを告げた瞬間に氷解へと変わっていった。恐らく、藁にも縋りたい思いだったのだろう。そうして私達は部外者ながら、ミーアさんが姿を消したことに対する家族会議に参加させて貰ったのだ。


「……それで、店の親父はなんて?」

「買い物には来たがその後のことはわからない、だと」

「そう、か……」


 そうやって今までのことを簡単に脳内で整理している内に、話は前へと進んでいたらしい。どうやらミーアさんが買い出しに向かった商店からは碌な情報は得られなかったようだと、首を横に振るガッドさんを横目に考える。買い物には来ていたのなら、ミーアさんが居なくなったのはその後。しかしそこから繋がる情報は今の所見当たらない。


「……確かに、ミーアちゃんが奴隷騒ぎに巻き込まれた可能性は高いな」

「……! 何か、わかるんですか?」

「ああ。といっても今までの傾向と統計を知っていれば、誰にだって分かる話ではあるんだが」


 けれど私がわからずとも、レゴさんは今の情報から何かを導き出すことができたらしい。溜息と共にそう告げたレゴさんを、テーブルに手を付きながらも立ち上がったレーネさんが見つめる。必死な色を浮かべたヘーゼルの瞳は、一筋の手がかりでもいいということを強く訴えていて。それに一瞬同情的な視線を向けながらも、レゴさんは重く言葉を下ろした。傾向と統計から導き出せる、ミーアさんの現在を。


「まず、奴隷として攫われた人達の特徴について教える。俺が聞いた限りでは、若い人間の嬢ちゃん方が攫われたって話が多かった」

「……ミーアさんみたいな人達、ってことですか?」

「ああ。それと十に満たない子供、って話もあったな」


 成程。今までに攫われたのは若い人間の女性と、小さな子供たち。無力な人達をピンポイントで狙うその悪辣さには、反吐がでそうになった。十歳以上の子供を狙わないのは、その子供が男の子で屈強に育った場合に何かしらの抵抗があるから、ということなのだろう。リスク管理を徹底しているその有り様が、とても憎らしい。

 人間の女性と対象を絞っているのも、恐らくリスク管理の一部なのだろう。この世界には人間以外に幻獣人や、獣人と呼ばれる動物的な特徴を持った人が居る。幻獣人を避けるのは当然のこととして、獣人を避けるのだってきっと抵抗があると厄介だから。確かシロ様から聞いた話によれば、獣人は性別関係なく人間の何倍もの身体能力を持っている人が多いらしい。代わりとして法術が使えないらしいが、高い身体能力は奴隷として諸刃の剣となる。こんなことは言いたくないが、商品価値に見合う形でリスクも釣り上がるのだ。考えれば考えるほど、この奴隷騒ぎの首謀者は徹底としていた。強く反抗できない人だけを集めて、内部からの反逆を防いでいるのだ。


「そこに更に付け加えるなら、奴らは権力者の関係者も避けているようだった。今までに幻獣族や貴族たちの関係者が攫われたことはない。それに一気に大勢を攫うなんてこともしない。だからこそ燻るかのような火種は消えないまま、あいつらはいつまでものさばっているってことだ」


 燻る、レゴさんのその表現は的確とも呼べた。決して消えることはないまま、されど目立つこともないまま。表面に表情を出さないままに、内側を侵食してはのさばり続ける。いっそのこと目立つ人物を狙ってくれれば大きな騒ぎになって捜査だって好転とするだろうに、大勢を攫えば嫌だって目に付くだろうに、レゴさんの忌々しそうな口調から察するにその例はないのだろう。ただひたすらにじわじわと、臆病なほど慎重に。犯人はまるで質量を持った霧が如く、ゆっくりと首を絞めては蝕んでいるのだ。ムツドリ族が統治する、この国を。


「……攫われてから見つかった人って、居るんですか?」

「……それは」


 薄ら寒くなるような影を思えば、自然と口の中に溜まった唾液が喉を滑り落ちていく。食堂に広がった沈黙は、私と似たような心情を誰もが抱えていたから。憤りたくなるような、末恐ろしくなるような、それを。けれど静まり返った食堂に、今度はか細い声が響く。尋ねるようで、されど芯に確信を潜めたその声。言葉に詰まったレゴさんの様子を見て、その声はますますとか細くなる。瞬間その声の主は、レーネさんは、顔を悲痛に歪めた。


「……居ないん、ですね」


 今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに揺れている声。それを聞いたせいか、ガッドさんが拳を握ったのが視界の端で見えた。わかっていて、けれどわかりたくなかったこと。それは数年と続いているらしいこの奴隷騒ぎが、未だに収まっていないこと。それは反転すれば、収めるための情報が足りていないことを示していて。

 例えば一人でも被害者が見つかって、そうしてその話を聞けているのなら。それならば事態はどん詰まりではなく、例え一歩だとしても前に進めていたことだろう。けれど奴隷騒ぎに巻き込まれた被害者のその後を知るものは、犯人たち以外に誰一人としていない。だからこそ維持組織と呼ばれるムツドリの領地の警察側の人達は、未だにこの奴隷騒ぎの首謀者の尻尾すらも掴めていないのだ。燻る火を手のひらで掴むのが、無理なように。


 ミーアさんが助かる見込みは、現状限りなく薄い。それがどうしようもない事実だった。


「…………」

「そん、な……」


 レゴさんが二人に話せるのは、恐らくそこまでだったのだろう。それきり口を噤んだ彼を見て、ガッドさんやレーネさんは視線を下ろした。どうしようもない現実を受け止めるかのように、ガッドさんの唇は噛み締められている。レーネさんが零した言葉は、徐々に嗚咽へと姿を変えていって。

 失うことを想像なんてしていなかったのだろう。その気持ちは、私にだってわかった。喪失はいつだって突然だ。共に笑い合える明日が当たり前のように続くと信じて疑っていなかったのに、気づけば取り零している。ああしていたら、こうしていたら。その種類の後悔は永遠に心を蝕み、決して消えない傷跡となって残り続けるのだ。自分のせいだと、どこかから聞こえてくる影からの囁きに苦しみながらも。


「……それで? お前は何故、奴隷騒ぎについて調べていたんだ」

「……!」

「気球で話を聞いたときは、そこまでの熱は感じ取れなかった。ならば今、お前には別の事情があるのだろう」


 ……だが、諦めるのはまだ早い。ミーアさんは死んでしまったのではなく、攫われてしまったのだ。例えどれだけ遠い世界に連れて行かれたとしても、地続きの世界に彼女は居る。死という決して手が届かない場所にではなく、伸ばせば手が届くかもしれない生の世界に。同じことを考えてか更にと情報を求めたシロ様に、レゴさんは薄く目を見開いた。それから苦笑が、彼の顔を彩る。ぐしゃりと、橙色の髪を褐色の手のひらが握り潰した。


「……そうだな、同じ立場同士黙ってんのはフェアじゃねぇ」

「……レゴ?」

「ガッドの親父、これもなんかの手がかりになるかもしれねぇんだ。ワタクシゴト、とやらになるが……聞いてくれるか?」


 また一つ、溜息が彼の口から零れていって。けれどそれは覚悟を決め葛藤を消し飛ばす類のものだったのだろう。ゆるりと首を振ったレゴさんの声を聞いてか、俯いていたガッドさんの顔が持ち上がる。それからレーネさんもまた、恐る恐ると頭を持ち上げて。

 そうして四人分の視線が集まったところで、レゴさんは目を伏せた。されど確かめるような問いかけに、ガッドさんが小さく頷いたのだけは見ていたのだろう。大きく息を吸って、吐いて。金色の瞳が意思を取り戻しては開かれる。そこに浮かんだのは烈火の炎のような怒り。そのままレゴさんは、ゆっくりと口を開いた。そして彼なりの事情とやらを、レゴさんは低く紡ぐ。


「……実は、俺の相棒の家族……奥さんとその息子も、奴隷騒ぎに巻き込まれたらしいんだ」


 想定内ではありながらも外れてほしかった、それを。

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