六十話「靴を受け取りまして」
「履き心地は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「そう、良かったわ」
柔らかな椅子に座り込んだまま、屈んだ態勢で靴の紐を結ぶ。その作業を両足分終えたところでかけられた声に、私は明るく声を返した。そのまま視線を上げれば、今日も華やかな巻き髪を揺らした女性が柔らかく微笑む。その更に背後では、私と同じく椅子に座ったシロ様が満足そうに瞳を細めていて。
旅館でちょっとしたお手伝いをしたあの日から一日おいて二日後。今日の私達は頼んでいた靴を受け取るために、再び仕立て屋ツバタに訪れていた。これで靴擦れが多発していたローファー君とお別れだと思えば、寂しいようなありがたいような。何にせよ、靴は仕立てておいて正解だと言えた。なんせ昨日の買い物で、私は盛大な靴擦れを起こしてしまったので。
諸々の日常品を買いに行った昨日。買ったのは主にフライパンや鍋といった調理器具、後は下着など。お金が許す限り、旅に必要そうな物をリュックに詰め込みまくったのだ。だが雑多に物を買い集めあちこちを歩き回ったのが悪かったのか、その日私は歩けないレベルの靴擦れを引き起こしてしまった。これまでに重なった傷が最終的に致命傷となった、というのが一番近いのかもしれない。森からこの街まで来た日の傷が、まだ後を引いていたのだ。
……それからのことについては、あまり語りたくはない。まぁ察しの良い人ならば気づいているだろうが、歩けないということは誰かに運ばれなければいけないという事を意味する。まさか自分よりも小さいシロ様に抱えられたなんて、その状態で街を闊歩したなんて、宿に戻ったところカッシーナさんやクスノさんに盛大に心配されて怒られたなんて。そんなことはなかった。なかったことに、したい。
「……お嬢さん?」
「あ、だ、大丈夫です!」
苦い記憶を思い出してはどこか遠くを見つめて。けれどそこで聞こえて来た声に私ははっとした。知らずの内に俯いていた視線を再びと上げれば、今日も美しいお姉さんは首を傾げたままこちらを見下ろしている。会話をしていた相手が突然黙りこくれば、当然不思議に思うだろう。取り敢えず誤魔化すように笑っておいた。すぐに思考をどこか遠くにやってしまうのは、私の悪い癖である。
「サイズも履き心地も問題なし……違和感もないのよね?」
「はい!……それにしても、これがこの辺りの旅靴なんですか?」
「あら、見慣れない?」
「想像してたものと大分違ってて……」
次の瞬間に返された寸分の隙もない美しい笑みに思わず気圧されつつも、私はお姉さんの問いかけに頷いた。昨日の靴擦れのせいで足はまだ少し痛むが、靴に対する違和感は一切ない。この靴ならば靴擦れを起こす機会はかなり抑える事ができるだろう。お姉さんのお仕事に内心で感心しつつ、私はそこで気になっていたことを一つ問いかけた。そうすればお姉さんは首を傾げて。
旅靴。例えば現代日本であればトレッキングシューズのような、どちらかと言えばスニーカーに近いのをイメージ出来ると思う。だがここは私が住んでいたあの世界に比べると、文明が未発達の世界だ。故に旅靴といえば、いつか歴史の教科書で見たような草鞋とか藁沓が用意されると思っていたのだが。
「これは……革?で出来ているんですか?」
「ええ。水跳ねカブトっていう魔物の革よ」
「みずはねかぶと……」
しかし予想と反し、今日受け渡されたのはショートブーツの形状に近い何かだ。想像していたものよりも大分可愛らしいと言うか、実用性だけではない品。ヒールが無く歩きやすそうなそれは、茶色のつるりとした感触の革で作られている。合皮のような感触なのだが、どうやらお姉さんの話を聞くに魔物の素材らしい。魔物とそう聞けば、こんな素材が使われていることも納得できるような。熊もどきや極悪蝉を見てきた私としては、魔物はなんでも有りというイメージが強いのだ。歴史や形式に囚われないというか、なんというか。
「ミツダツ族の方が考えたらしいわよ? ちょっと前の旅靴は可愛くない!って」
「か、可愛くない?」
「ええ。ミツダツ族が美に掛ける情熱は末恐ろしいものがあるわよね」
まぁ私としても同感なんだけど。そう言って嫋やかに微笑んだお姉さんにどう返せば良いのかわからずに、私は苦笑を浮かべる。なんだか私が驚くことや、本来のこの世界の文明からは外れているように思えること。それらは大概幻獣族と呼ばれる一族が原因のような。シロ様然り。
クドラが武、レイブが知。ムツドリに関してはわからないが、どうやらミツダツは美を重んじる一族らしい。昨日日用品を買いに行った際、普通に置いてあった化粧水やらもミツダツ産なのだろうか。研究面に関してはレイブが一強だと思っていたが、美に関することに関してはミツダツも並んでくるようだ。ということはつまり、残るムツドリはクドラに並ぶ武闘派なのだろうか。
「……ミコ」
「あ、そうだね。そろそろ帰ろうか」
椅子に座ったままでそんなことを考えて。けれどそこで椅子から立ち上がったらしいシロ様が、こちらへと近づいてきた。その表情を窺うに、そろそろ帰ろうということらしい。確かに品物はもう受け取った。あまり長居してもお姉さんに迷惑だろうし、さっさと帰るべきだろう。
「それじゃあ……本当にありがとうございました!」
「いいえ。私としても楽しいお仕事だったわ」
椅子から立ち上がり、お姉さんに向けて頭を下げる。そうすれば気のいい彼女は今後ともご贔屓に、なんてまたウインクを決めて見せてくれて。今後があるかは大分怪しいが、機会があればまた頼りたい人だ。靴の履き心地から判断するに仕事ができる人だし、何よりも子供の私達に真っ当に向き合ってくれる相手は貴重だろうから。
手を振るお姉さんに見送られて、店の外へ。そういえば店の名前がツバタというわけだし、あのお姉さんの名前もツバタというのだろうか。結局自己紹介をしなかったなと考え、まぁそれくらいがこの世界での普通なのかもしれない。名前を明かすのを良しとしない、ここはそんな世界なのだから。
「えっと……後買うものはないかな?」
「日用品は昨日買い揃えた。漏れもない」
「そっか。じゃあ……明日かな」
店の外に出たところで、確かめるように隣のシロ様へと問いかける。必要最低限の調理器具に、下着と言った細々とした衣服類。生活に必要な日用雑貨も問題なし。更には、なんだかんだ私の裁縫用の小道具も買い揃えてもらった。おかげで十枚程あったお札は残り一枚になってしまったのだが。
何度も確認をしていたシロ様が漏れなしというのだから、それは確かなのだろう。つまるところ、もうこの街に用はない。この街に来た目的は、ムツナギへと渡る旅に必要な道具や情報を集めるためなのだから。ここで待っていても新しい情報は入らないし、いつまでもクドラの領地に居るのはシロ様にとって危険なことになるだろう。そして街から出るならば、なるべく早いほうが良いはずだ。
「……いいのか」
「……うん」
もう用はない、ここに居る理由はない。別れが来るなんて最初からわかっていたことで、けれど反芻してみればその事実はやっぱり少しだけ痛かった。明日と呟くと同時、表情を曇らせた私をシロ様が僅かに眉を下げて見上げる。その問いかけが何を意味しているのかなんて、そんなのは聞かなくてもわかることで。ただ、それでも。
「私が、シロ様と一緒に行きたいから」
そう。例え別れがどれだけ寂しくても、悲しくても、ここで足を止める気など毛頭ない。一度乗りかかった船を、無責任に降りることはしたくないのだ。私はシロ様と一緒に居ると決めているし、一緒に居たいと思っている。それは他に信頼ができる人が増えたとしても、代わりようのない事実だ。
「……この、お人好しが」
「ふふ、またそれかぁ」
吐き出すような呆れた言葉。もう大分聞き慣れたそれには、しかし確かに安堵の色が灯っていて。私が言葉を返すと同時、話は終わりだと言わんばかりに前を歩きだしたシロ様。私は歩きやすくなった靴と共に小さなその背を追いつつ、眉を下げてその背を見つめた。
……シロ様はもう少し、我儘になってもいいと思う。きっとさっきだって、私の答え次第ではここに留まろうとしたのだろう。例えそれで自分の身が危険に晒されるとしても、お姉さんとの約束を守れなくても、それでも私がそれを望むならと。最悪、一人でどこかに行ってしまう気だったのかもしれない。私をカッシーナさんたちに任せて、一人で危険な旅路へと。
「……そんなの、嫌だよ」
前を歩く背中を見つめて、私は口の中で誰にも聞こえない呟きを零す。確かに一人の方がシロ様は余程身軽に、労もせずに、どこまでも行けてしまうのかもしれない。けれどそこにあるのは孤独だ。強くとも幼いシロ様は、信じていた人の裏切りのせいでまだ他人を信じることが出来ない。それはこの街に来てからというものの、私から一定以上の距離を離れようとしない彼の行動から容易く読み取ることが出来て。
偶然のような、事故のような、私達の出会い。しかしその御蔭でシロ様はたった一人、きっと私のことだけは信じてくれている。それならば私から離れることは絶対にしない。身を守られる代わりに、彼の心は私が守る。そう決めたのだから。
「……っ、あ!」
「えっ……?」
覚悟を新たにシロ様と二人、人が行き交う道を歩んで。しかしそうして人混みを歩いていた最中、突然背後から私の肩が掴まれる。瞬間途端に鋭くなったシロ様の瞳を見て、私は慌てて背後を振り返った。シロ様が暴れてしまうような大惨事が起きてしまう前に、状況を把握しなければと。というか町中で声をかけられるような知り合いが居た覚えはないのだが。そんなことを考えながらも、振り返った先。けれどそこに居たのは、確かに知った顔で。
「……良かった、まだ戻ってなかったんだね」
「……ケヤ、さん?」
振り返って名前を呼んだ私に、安堵したように微笑んだその人。彼は間違いようもなく、この街に来てすぐに親切にしてくれた魔物の素材屋の店主さんだった。カッシーナさんの弟の、ケヤさん。彼は桃花の宿を紹介してくれた張本人でもある。その顔を確認したからか、鋭くなっていたシロ様の眼光も徐々に鳴りを潜めていって。とはいえ、訝しげに寄った眉だけは元には戻らなかったのだが。
「……急に掴んでごめんね。とりあえず、店に来てくれるかな」
「……はい」
私を、というか私達を見てほっと息を吐いたケヤさん。彼は一言の謝罪と共に私の肩から手を離すと、そっと自分の店の方向を指差した。切れた息と、乱れた髪。それらからは、なにやら緊急事態であるような気配が感じられて。
周囲を窺うような、どことなく警戒するような雰囲気を滲ませるケヤさん。そんな彼を前に私は、一瞬だけシロ様と視線を合わせた。そうすればシロ様は、仕方ないと言わんばかりに瞳を伏せて。その反応を確認した私は、ケヤさんに向けて頷いてみせた。お世話になった人の提案を無碍にしてはいけないだろうという考え。どうやら私とシロ様で、その考えは一致していたようだったから。




