五十九話「言葉の呪いが解けた夜」
……状況を、整理しよう。花びらが舞う中で涙を拭ったりなんかして、なんだかとっても良い雰囲気だったヒイラさんとクスノさん。しかしそこに突如として乱入者は現れる。そう、私だ。
場を満たす沈黙、それに頭を下げた体勢のままだらだらと冷や汗を掻く私。もしかしてタイミングを間違えてしまったのでは?と、そんな疑問が心を埋めた。やり方だってこんな風に突撃をする形ではなく、二人の言葉の余韻が消えた頃に粛々と歩いていくべきだったのではないか。そうして「どうかこの着物を着てお二人で」みたいな感じで、スマートに姿を消すべきだったのではないだろうか。
「……ちょっと母さん、受け取ってあげてよ?」
「そうだね。折角のご厚意だ」
しかしそんな風にやらかしたのではと焦っていた私に降ってきた、救いの声たち。その声に縋るように恐る恐ると視線を上げれば、いつの間にか近づいてきていたカッシーナさんが呆れたように腕を組む姿が見えて。そうしてそれに続くように、ヒイラさんが鷹揚に微笑んではクスノさんの背を優しく押す。どうやら膠着した状況を見て、フォローをしてくれたらしかった。
「え、で、でも……」
けれどやはりクスノさんは未だ状況を把握できていないようで。二人に後押しされたとて、きっとどうすればいいのかがわからないのだろう。右往左往と視線を彷徨わせては、最後に困ったように私を見下ろしたクスノさん。その瞳は私に何をしたらいいのかと、そう問いかけているようにも思えた。
とはいえ私にだって何をどうしたら良いかなんてわからず。ただ言えることと言えば、この着物を受け取って着てほしいということだけ。そのためにもひとまずこれが何かを理解してもらうべきだろうか。そう考えた私は差し出していたそれを一度引っ込めて、その結び目に手を掛けた。はらりと風呂敷代わりの布が、手のひらをすり抜けていく感覚。そうしてそこから顔を覗かせた、淡い桃色。
「!……それ、は」
「……えっと、その、……私が、仕立てたものなんです」
若草色の間を掻き分けるかのように現れた、千年樹を模したかのような色。それに息を呑んだクスノさんに、私は頬を掻きつつも苦く微笑む。本当はフルフが頑張り糸君が仕立てたものなのだがと、そんな罪悪感を抱えつつ。
「私がこの色を、クスノさんに着てほしくて」
「私に……!?」
とはいえそれについては簡単に話せることではないのだから、仕方ないだろう。若干の罪悪感を振り切って、私はクスノさんの目を真っ直ぐと見つめた。一文字一文字に意思を込めて、確固たる言葉を紡ぐ。そうすればまたしても桃色の瞳は見開かれて。息を呑んだ音が、徐々に夜の帳が降りてきた静寂に響き渡った。
……クスノさんの後ろで佇む二人は、何も言葉を発さない。片方は楽しげに、片方は穏やかに、そんな風に微笑んでは拙く会話を交わす私達を見つめるだけ。背後で見守ってくれているであろうシロ様も、今はこちらへと駆け寄ってこない。つまり今は、私のターンということである。気合を入れなければと息を深く吸い込んだ。
きっとヒイラさんのように上手くは喋れない。けれどそれでも、少しだけでも、この言葉がクスノさんの胸に届くようにと。
「……クスノさんと、初めてお話した時。色々と小物について、お話してもらった時なんですけど」
「……ええ」
ぎゅっと、解けた包を持つ手に自然と力が籠もる。緊張しているのか、心臓の鼓動は逸っていって。途切れ途切れで不器用な言葉が、少しだけ情けない。しかしそれでも目の前のその人が年長者の顔で、優しく言葉を促してくれるから。だから私はいっぱいになりそうな胸をなんとか落ち着けながらも、言葉を紡いだ。
「この人は本当に桃色が好きなんだなって、この宿が好きなんだなって……そう思ったんです」
「っ……!」
そう、クスノさんは桃色が好きだ。そうしてその色を纏っては咲き誇る千年樹と、それを守る形で寄り添うこの宿が好きなのだろう。だからあんなにも一つ一つの小物に注力できるし、たった一つの言葉であんなにも臆病になってしまう。今私の言葉に僅かに緊張したように眉を寄せたのも、きっと全ては深い愛情故に。
「……その後、カッシーナさんから色々と話を聞いて。クスノさんが少し前までは千年樹と同じ、桃色の着物を着てたって聞いて」
「…………」
「それで、その……」
自分が何を言いたいのか、それを探るように言葉を探す。言いたいことはいっぱいあった。本当はあの時傷つけてしまったことも、勝手に話を聞いてしまったことも、そのどちらにも謝りたい。でもきっと今そんな言葉を告げても、クスノさんの心には響かないから。
けれど自らが告げたい言葉を見つけた瞬間、私は思わず言葉を沈黙に飲み込んだ。これを言っても良いのかと、一瞬生じた迷いが先へと進むことを躊躇わせて。しかしそこで強い視線が私を刺す。視線の出処がどこからだなんて、今更言うまでもないだろう。茂みから生まれたそれは、私の背を押すように強くこちらを見つめる。さっさと言えと、そう言わんばかりに。
「……すっごく悔しいなって、思って」
「……え?」
それに背中を押されてしまえば、何だか迷うのも馬鹿らしくなって。ぽつり、花びらが舞い落ちるかのように自然と言葉は口から零れていった。瞬間返ってきたクスノさんの不思議そうな声に、思わず小さな笑みを零してしまう。けれどどれだけ素っ頓狂な言葉でも、私にとっては紛れもない本心なのだ。私はへらりと気の抜けた笑顔をクスノさんへと向けたまま、胸に溢れかえった感情をそのまま言葉にした。
「その人達が余計なことを言わなきゃ、もっとクスノさんにいろんな事を聞けたのかなって」
「…………」
「その人達が最悪なことを言わなかったら、桃色の着物を着た一番綺麗なクスノさんが見れたのになって」
「……ふふ」
ぽんぽんと飛び交う言葉。思い浮かんだがままのそれを次々と言葉にしていけば、目を丸くしていたクスノさんが徐々にその瞳を細めていく。拗ねたような口調になってしまったせいか、最後には微笑ましそうに笑われてしまったし。
むむむ、結局私にはヒイラさんみたいに大人のような説得は出来ないらしい。でもこれが私なりの精一杯であり、誠実さであり、等身大である。無理に背を伸ばしても良いことなんてないのだからと、そう無理矢理自分を納得させて。そうして私は再び若草色の包を差し出した。もう泣いてもいなければ緊張してもいない、花のように柔らかく微笑む彼女へと。やっぱりどこか私の祖母と被って見える、けれど確かに別人であるクスノさんへと。
「だからこれを、着て欲しいんです!」
夜になり、千年樹の下の明かりが白く輝き始める。そうすればまたしても千年樹はその表情を変えて、赤ら顔から夜の澄まし顔に。散っていく花びらと同じ色の着物が、若草色の包から覗く。そうして漸く、やっと、クスノさんはその包を受け取ってくれた。どこか悪戯っぽい、そんな笑顔を私へと向けながら。
「……ええ、こんなおばあちゃんでいいのなら」
いつか聞いた、どこか似たような響きの言葉。けれどもうそこに自嘲めいた色はなく、傷が付いているような憂いもなく。嬉しそうな、少しだけ気恥ずかしそうな、そんな穏やかな色に染められていた。
私の手からクスノさんへと、着物が渡る。皺の寄った手が、どこまでも丁寧に包を抱える様。若草色の包と覗く桃色を優しく抱きしめたクスノさんのその笑顔は、どこか少女めいていた。まるで宝物を手に出来たかのように微笑むそれは、どこまでも眩しくて。だから目の前に居た私もつい、綻ぶように笑ってしまったのだ。心底嬉しいと、それをそのまま語るように。
「…………」
「?シロさ……あ」
……その夜、全てが終わり部屋に戻って食事を終えた頃。何かに気づいたかのようなシロ様の視線を追えば、千年樹が見える窓の外に二つの人影があった。白い光に照らされた美しく壮大な木の下、同じ桃色に身を包んだ二人。一瞬だけ見たその光景の中、二人は幸せそうに笑っていて。
だがそれ以上を見るのは野暮というやつだ。私が左側のカーテンを閉めた瞬間、右からは同じことを考えたらしいシロ様が引っ張ってきたカーテンが合流して。外が見えなくなったことにか、千年樹を見ていたらしいフルフが悲痛な声を上げる。その鳴き声を聞いた私達は顔を見合わせて、そうして笑った。
言葉の呪いが解けた祝福すべき夜。今夜ばかりは二人きり、他者の干渉を受け付けない。きっとたまにはそんな夜があっても、いいだろう。




