四十五話「旅靴の仕立て」
「あら可愛らしいお客様! ようこそ、ツバタの仕立て屋へ!」
「こ、こんにちは……」
シロ様の呼び声で店の奥から現れたその人は、黒い巻き髪を華やかに揺らす美しい女の人で。人好きのする笑みを浮かべた彼女は私達の存在に一度驚いたように目を丸くして、しかし次の瞬間に柔らかく微笑んでくれた。その明るさに気圧され、おずおずと挨拶を返す。なんせ彼女を呼んだ側であるはずのシロ様が、言葉を発する様子がなかったので。
「ええと靴って聞こえたけど……こちらのお嬢さんの? それとも隣の少年の?」
「こいつだ」
「っ、シロ、……君!」
私の慣れていないと訴える雰囲気に気を使ってか、華やかな笑みの代わりに柔らかく微笑んでくれた店のお姉さん。それに一瞬安堵して、けれど隣から聞こえてきた端的な言葉に私はぎょっとする。どうやらシロ様は無愛想なだけで、必要なことには返答をするタイプらしい。今の私にとっては一番厄介だ。
慌てて名前を呼びシロ様の暴走を止めようとして、けれどそこで私の頭を過ぎったのは一つの疑問である。明らかに年上の女が、年下の男の子を様付けで呼ぶ光景。それはきっと誰の目から見ても不自然な物に見えるはずだ。様といつも通りに呼びそうになったところを、急いで軌道修正。流石に呼び捨てには抵抗があり、結局は姉が嗜めるかのような取ってつけた君付けになってしまったけれど。自分で言ってて正直違和感がすごい。
「えっと……大人の人には敬語、ちゃんとすること」
「……こいつの靴です」
「こいつもあんまり良くないんだけど……まぁいいか」
しかしその呼び方はどうやらシロ様にとって予想外なことだったらしい。驚いたように異色の瞳を瞬かせた少年を見下ろして、チャンスだと一言。そうすればシロ様は眉を顰めながらも、結局は私の注意に従ってくれて。こいつ、に関しては目を瞑ろう。その言葉が指すのは私であるし、落とし所というのも必要なのだ。
「……ふふ、仲のいい姉弟ね?」
「あ……すみません」
「いいのよ。それで、貴方の靴だったかしら?」
「は、はい」
だがそこで私は一つの存在を失念していたことに気づいた。楽しげな笑い声が聞こえてきた瞬間、ここには他に人が居たのだと顔には朱が走る。慌ててシロ様から視線を逸らせば、店のお姉さんは勘定台に肘を掛けては嫋やかに微笑んでいて。その表情は言葉の通り、怒っているようには見えなかった。
改めてと告げるように、問いかけてくるお姉さん。それに一瞬躊躇って、しかし結局頷いて。きっとここで私が意固地になって買わなくていいと遠慮しても、シロ様はそれを許さないだろう。それならば下手に揉めてお姉さんに迷惑を掛けるよりは、素直に頷いていた方が良い。想像よりも高額になってしまった場合は、小物を作って売ったりすればお金になるだろうか。シロ様の魔物狩りとは別に、私も私なりの稼ぎ方を考えておいた方がいいかもしれない。
「その、旅をする予定で……この靴じゃ向かないので」
「そうねぇ……物珍しくて素敵な品だけど、貴方の言う通り旅には向かないわ。靴ずれも重なれば、立派な怪我になるもの」
そんな風に頭に浮かんだ課題は一旦置いておくこととして、ひとまず店のお姉さんとの話を進めていく。旅向きじゃないというのは、お姉さんもどうやら同様の意見らしい。立派な怪我、その言葉に隣からじとりとした視線を向けられた気がして、うぐと息が詰まる。わざわざ視線を合わせずとも、お前はそれを放っておくつもりだったのかという言葉が伝わってくるようだった。
「ところでうちの店で旅靴となると、完全な仕立てになるから五札くらいよ? お急ぎということなら五千銭追加で明後日までに作れるけれど……手持ちは大丈夫?」
「あ、えっと……」
「……問題ない、です」
だがそこでお姉さんが告げた心配そうな言葉に、私は首を傾げてしまう。なんせ金銭の価値がわからないので、彼女の言うそれが自分達の手持ちに見合ってるかすらもわからないのだ。頷くべきか迷って隣へと視線を向けて、しかしどうやらその心配は必要なかったらしい。
私の筆箱だったポーチから、五枚のお札と五枚の金貨を取り出すシロ様。それと同時に零された言葉は先程と同じく端的でこそあったが、取ってつけたような敬語が足されていた。さっき魔物の素材屋さんで貰った金銭は、お札が十五枚ほどと数枚の金貨。その内の三分の一を使うことになったが、果たして大丈夫なのだろうか。一瞬不安が過る。だが問題ないと告げるシロ様の表情が涼し気な以上、本当に問題はないのかもしれない。
「……貴方達、どこかの貴族様? どうりで仕立てがいい服を着ていると思ったわ」
「え……?」
「あらごめんなさい。詮索無用が心情なのに、つい出張っちゃった」
本当にお金は大丈夫だろうか、そんなことを考えては少しはらはらとしていた私。だがそんな思考はお姉さんが零した納得の声色で、呆気なく塗り替えられていく。今の私達のどこに貴族要素があったのか、それが全くわからない。思わず困惑の声が零れてしまう。
しかし私の困惑の態度を、お姉さんは別の意味に捉えたらしい。申し訳無さそうに眉を寄せた彼女は、もうこれ以上は聞かないと言わんばかりにひらりと手を横に振った。謝られる意味もわからないのだが、これは私の理解力が欠如しているせいだろうか。混乱のままシロ様へと視線を向ける。どうすれば良いのだと、そう問いかけるように。
「宿は取った? 貴方達なら桃花がおすすめだけど……一括払いに免じて紹介状を書いてもいいわよ」
「……生憎だが、素材屋の店主から既にその手の親切は受け取っています」
「あらあのお人好し男。まぁそれなら心配はないわね」
されど混乱する私を置いて話はぽんぽんと過ぎていった。なんのこっちゃかわからない私に比べて、シロ様にはお姉さんの意図が理解できているらしい。桃花と紹介状。さっきも見た単語に、余程その宿はおすすめなのだろうかと考えて。けれどその一を理解する内に、金銭のやり取りは終わってしまった。
「さてお嬢さん、それじゃあ足に触らせてね」
「あ、はい……」
どうやら採寸が必要らしい。靴を作るのだからそれはそうかと流されるままに椅子に座らされて、しかし私はそこでとあることに気づいた。待ってこれ、靴を買うのではなく仕立てる方向へといっていないだろうか。気づくのが遅すぎると、そう言わないで欲しい。慣れない金の話やよくわからない貴族という指摘に、脳が混乱させられていたのだ。まぁそれでも鈍すぎたことは否定できないけれど。
内心あわあわとする置いて、お姉さんは私の靴を脱がしてはサイズを測り始めてしまう。仕事とはいえ、ここまで獣道を歩いてきた足を綺麗な人に触らせるのはなんだか申し訳なかった。せめて採寸の邪魔にならないようにと、人形のようにぴたりと体を固める。監視するかのように向けられたシロ様の視線を、何故だろうかと不思議に思いながらも。
「……うん、いいわ。綺麗な足ね」
「ありがとう、ございます……?」
「ふふ、素直で可愛い子ね。弟さんにちゃんと守ってもらうのよ」
「う、はい……」
そうして十数分ほど経って、どうやら足の採寸は終わったらしかった。お世辞であろう褒め言葉に、どう答えていいかわからずにひとまずは礼を告げる。そうすれば華やかな美人は、嬉しそうに微笑んでくれて。貴方のほうが余程綺麗だと思うのだが、心で描いたそれは声には出さなかった。なんせ後半の言葉に関しては、ぐうの音も出なかったので。ひ弱なのがこんな綺麗なお姉さんにも伝わったのかと思うと、少し悲しい。
「はい少年、お嬢さんは返すわね」
「……礼を言います。受け取り日時は明後日で構いませんか」
「ええ、大丈夫。こんな可愛い子の靴なら、張り切って作っちゃえるから」
若干落ち込みながらも靴を履き直して椅子から立ち上がって。しかしそうして立ち上がる頃には、もう受け取りの日時すらも決められていた。また何もしてないと、更に若干落ち込みを抱えつつ。とにかく宿に泊まっている間に、最低限金銭の価値に関してだけでも知識を付けなければ。そうでなければ買い物も一人で出来ないような使えない奴になってしまう。そう、今の私は使えない奴なのだ。
「それじゃあお二方、またお会いしましょうね?」
「あ、はい! ありがとうございました」
挫折と向き合い覚悟を決めたところで、飛んできたのはお姉さんからのウインク。器用に片目を閉じるなと一瞬感心して、しかし礼は忘れずに。こういうところは一見さんお断りという印象が強いのだが、彼女は私達の外見を侮ることもなく商売をしてくれた。子供だからと追い払ったり、接客の質を落とすようなこともなく。
改めてその気遣いに感謝をしつつ、私は足早に店を出ていこうとするシロ様に続いた。振り返りもしない愛想のなさに、苦笑を浮かべながらも。多分お姉さんはこんなシロ様の生意気な態度も、大して気にしていないのだろう。私が最後に振り返った時、視線がかち合った彼女は寧ろ楽しげな笑顔を浮かべていたので。




