三十二話「地中から這い出たもの 下」
「指輪……」
私は混乱していた。何がって指輪、そう突如として指に嵌められていた指輪のことである。シロ様のことが心配になって、そうしたら手のひらが熱くなって、謎の銀の玉が浮かんで。そうしてそれに願った瞬間、残されたのはこの指輪だ。
謎の現象が起こったことで、私の中に浮かんだ疑問は二つ。あまりにもファンタジー過ぎないかというリアル寄りの疑問と、これをどうすればいいのだという錯乱にも近い疑問だった。私はシロ様の役に立ちたいと願ったはずなのだが、実際これでどうやってシロ様の役に立てというのか。どうやってあの怪物の動きを止めれるというのか。
「っ、おい、どうした!?」
「えっ、シロ様!?」
しかしそうしてぐるぐると考えている中、予想外にも近くから聞こえてきた声に私は顔を上げる。俯いていた視線を上げた先、そこには何故か先程まで蝉と争っていたはずのシロ様が立っていて。息を切らしながらもその少年は、私を心配そうに見下ろす。いや正確には、私の手にいつの間にか嵌っている指輪の方をではあったが。
「ちょ、え!? せ、蝉どうしたの!?」
「……言っただろう。あれは近くにいる一番高い熱源に反応する」
だがそうして駆けつけてくれたシロ様の問いかけに答えるよりも、私には大きな疑問があった。シロ様は先程まで蝉とデスマッチを繰り広げていたはずなのである。だからこそ私は心配になって、それでよくわからない指輪を嵌めることになってしまったのだが。まさかここに居るということは、決着が付いたということか? しかしそんな私の疑問に、シロ様は自分の背後を指差す形で答えてくれた。
シロ様の背後、つまりは蝉の居るところ。そこにはいつのまにか、炎があった。炎と言ってもただの炎ではない。山火事を避けるためか、僅かに白く色付いた透明な壁で囲まれた炎である。そうして蝉は、それへとぶつかっていた。大方炎に近づきたいが、周りの壁がそれを邪魔しているのだろう。ごんごんと頭を透明な壁に打ち付けるその姿は、不気味の一言である。
「あれは我の法力では長く持たない。手短に説明しろ」
「そう言われても……私にもよくわからなくて」
とりあえずシロ様はあの炎を囮に、こちらに来てくれたらしい。流石にシロ様の体温がいくら高くとも、燃えている炎よりは低いのだろう。シロ様がここに居る理由がわかって安堵して、けれど続けられた説明しろという言葉に私は思わず眉を下げる。そう言われても、こっちとしても何が何だかわからないのだ。なんか願ったらこうなりました、としか答えられない。
「……ただあの蝉の動きを止めれたら、って……わ!?」
だからこそ、私はそのままその通りに説明しようとした。しかしそうして言葉にした瞬間、指輪に付けられた白い石から何かが伸びる。銀の細い光、いいや糸だろうか。それは一本二本と数を伸ばし、そうして蝉の方へと向かおうとする。
「ちょ、ちょっと待って! ストップ!」
だが今向かわれても、そこに蝉を叩くシロ様は居ないのだ。そう考えた私は慌てて、糸達を止めようと白い石を右手で押さえる。そうすれば伸びていた糸たちは、供給源を絶たれたせいかあっさりと切れて。それにほっと息を吐きつつ、私は恐る恐るとシロ様を見上げた。
シロ様は、目を見開いてこちらを見下ろしている。それはそうだろう。こうなった当人である私でも、この状況を理解できていないのだ。いくら頭の良いシロ様と言えどどうしてこうなったのか、そうしてこの現象が何なのか。それを理解できるはずがない。
「……えっと、そういうこと、です……」
「……わからないがわかった。それはお前の力で、お前の身に危険はないんだな」
「うん、それは大丈夫だと思う」
ひとまず、指輪がどういう意図で生まれたものなのか。そうしてそれがどういう力を持つのか、それは理解してもらえたと思う。疲れたような溜息を零しながらも尋ねてきたシロ様。きっと彼が一番に案じているのはそこで、そのボーダーラインさえ超えていなければ許されるのだろう。そう考えた私は素直に頷く。私としても、この指輪が私に害をなす存在ではないと確信していたからこそ。
「ならいい」
そうすればシロ様は、安堵したように頷いて。そうしてそれと同時、いつの間にか姿を消していた刀が彼の手の中に現れる。その刀が出現すれば、蝉が体を打ち付けていた炎と障壁は姿を消して。それを見た私はなんとなく、あの炎と刀をシロ様は同時に発現させられないのだろうと思った。だってそれが出来るなら、炎を囮にシロ様が背後からあの蝉を斬りつければいい。そうしないのは、きっとそれが出来ないから。
「ミコ、確かにあれの動きを止めてもらえれば我は助かる」
「!……うん」
「だが、あまり無理はするな」
シロ様だって万能ではないのだ。その事実が、強く胸を突いた。私に背を向け蝉の方へと振り向いたシロ様の言葉が、その事実をより確かな物にしていく。地面を強く蹴って、自分よりも大きい蝉へと向かっていく小さな背中。彼は心も体も強くて、けれど最強な存在なんかではない。まだその道を半ばとして歩き続けている、少年。
太刀の刃と、蝉の羽がまた鍔迫合う音。致命傷を避けては相手を叩きのめそうとする、一瞬の油断も許されない攻防。また始まったそれに右の拳を握って、けれど今度の私は見ているだけというわけにはいかない。見下ろすのは、左の小指に嵌められた銀色の指輪。
「タイミング、は……」
すっと息を吸って、吐いて。そうして私は再び視線を上げると、十メートル程の距離をとって戦う一匹と一人を見た。彼らは避けるタイミングで、体の位置を少しずつずらしている。糸での捕縛を狙うのなら、その回転の中で蝉が私に背中を向けた時。そうすればうまく制御できるかわからない糸が、シロ様を襲う可能性は低くなるだろう。
糸が蝉まで到達する速度がどれくらいかはわからないが、それでもそう遠くないあの大きな図体を捉えるだけならば大した速度は必要ない。私がするのは、絶好の機会を見極めることだけ。
高い音が静かな森に響き渡る、響き続ける。シロ様が避ければ、それに対応するように蝉もその向きを変える。それが何度か繰り返されて、焦れったくなるほどに回数が重ねられて。そうして幾ばくかの焦りを飲み込んだ先、絶好の機会は漸く訪れた。
「っ、捕まえて!」
蝉が私の方に完全に背を向けたタイミング、そこで私は強く叫んだ。そうすれば先程の時とは打って変わって、指輪は強い熱と光を放ち始める。その光で出来た銀糸たちは、何本もと折り重なって蝉の方へと伸びていった。速くと心で希えば、まるで光線かのように突き刺す形で伸びていく。そうしてその糸たちは、蝉の体中にまとわりついた。
とはいえ所詮は糸。鋼の刃のような羽に触れれば、その糸はあっけなく千切れてしまった。ただそれでも胴体を包む糸は千切れること無く、蝉の素早い動きを僅かにであれど確かに押さえつけて。そこで指輪の発する熱源に反応したのか、蝉は私の方を向いた。その無機質な視線に一瞬怖気づきそうになって、しかし私は叫ぶ。
「っ、シロ様!」
「……ああ!」
瞬間、動いたのは蝉ではない。機会を今か今かと待っていたシロ様が、高い音に斬撃音を混ぜ合わせてその左の羽を切り裂く。その瞬間、飛んでいた蝉は地に落ちて。しかしそんな片翼を失ったばかりの蝉を襲うのは、反り返した刀の容赦ない追撃。左羽が千切れて、右羽が事切れて。そうして残った頭に、もう動けない蝉に、その刀は容赦なく突き刺さる。
「……終わりだ」
シロ様にしては鈍い動きで、けれどもうその動きにすら両羽を失った蝉は対応できない。引き切るように刃が進み、そうしてその瞬間確かに蝉の首は刎ねられた。金属で出来た体から、血は出ない。ただそれでも両羽が千切れ、頭を失った蝉が事切れたのは見れば明らかだった。
それを見た私は、妙に泣き出しそうな心地になってしまう。もしかしたら今回の私は少しでも、シロ様の役に立てたのではないかと思ったから。指輪は私の視界の下、鈍く光る。きっとそれは探し求めていた、漸く見つけられた、私の力だった。




