三十三話「勝利の後で」
打ち合うような金属音が消えた、静寂に染まる森。安堵で足から力が抜けた私は、冷たい地面にぺたりと座り込んでいた。心臓は未だばくばくとうるさく鼓動している。シロ様が居るなら大丈夫だとは思っていたけど、流石に蝉と目が合った時は生きた心地がしなかった。よく声が出たと、自分を褒めてあげたいほどに怖かったのである。
そうしてそんな私の近づいてくる影が、一つ。それは当然不穏なものではなく、先程まで蝉と戦っていたシロ様だった。完全に事切れた蝉を背後に、シロ様は上から見下ろす形で地面に座り込む私を見つめている。見上げた黒と白の瞳に映るのは、心配という感情だった。
「……無事か?」
「あ……うん、大丈夫だよ」
「そうか」
どうやら力なく座り込んでいたせいで、怪我をしたのではないかと心配をかけてしまったらしい。端的に問いかける口とは裏腹、異色が混合した瞳は落ち着き無く私を観察していて。だが当然、私はシロ様に守ってもらったので無傷である。へらりと笑って頷けば、怪我を探すように彷徨っていた瞳は落ち着きを取り戻した。その代わりというように、手が差し出される。どうやら、立つのを手助けしてくれているらしかった。
「っと……ありがとう!」
「ああ」
素直にその手を借りて、私は立ち上がる。いつまでも座り込んでいて、スカートに土の汚れが付いてしまってもいけない。まぁ汚れたところで、あの水筒シャワーをすれば殆どはあっさりと落ちるわけだけれど。飲水としても使っているあの無限水に若干の疑問を抱きつつ、私はシロ様に手を引かれるままに身を任せた。彼が近づいているのは、地面にばらばらになって横たわる蝉の方である。
「穴がある。落ちるなよ」
「わ、ほんとだ……なにこれ?」
後はこのまま帰るだけかと思っていたのだが……はてさて、何の目的か。そんなことを考え首を傾げれば、横からかかる声が一つ。その忠告を聞いて隣のシロ様の視線を追えば、確かにそこには彼の言葉通りの穴があった。結構な大きさで、軽く覗いただけでは底が見えないほどの物が。ぐいと穴から遠ざけるように手を引くシロ様に大人しく従いつつ、私は遠目から先程まで全く気づかなかった穴を観察した。
楕円ではありながらも、歪みが少ない穴。それはとても、自然的に出来たとは思えない大穴である。もしかして先程の戦闘の余波か何かで出来たのだろうか。いやしかし、斬撃がメインの一人と一匹が戦ったところでこんな円は出来ないはずであるし。
「鋼鉄蝉の元の穴蔵だ。ここから出てきたのだろう」
「あ、そっか。蝉って地面で育つんだもんね」
そうして悩む私に、しかし答えは突如として降ってくる。それは気づいてしまえば簡単な話であった。蝉は幼虫時代を地の中で過ごし、成虫になったら外で短い余生を過ごす。あの生き物がどこまで蝉なのかはわからないが、この穴は鋼鉄蝉が地面から這い出た時に出来た物なのだろう。
そこまで思考が行き着いて、そこで点と点が繋がる。成程、先程の地震はこの穴が震源らしい。確かに四メートル近くの生き物が地中の深くから出てきたのなら、軽い地震が起こっても仕方がないだろう。まさか一つの生き物が地震を起こすなんて、しかもそれが蝉なんて、そんなのは想定していなかったのだけれど。地震を起こすにしても、ナマズか何かなら多少納得ができたのに。
「それで、どうしたの? わざわざ蝉の近くに連れてきたりして」
「……それは、」
まぁ地震を起こしたのが蝉ということは置いておくとして。私はそこでシロ様の方を見下ろして問いかける。私の足元に転がるのは、シロ様とやりあっていた蝉の右羽。鋼鉄で出来たそれを踏まないようにと気遣いつつ、私はシロ様の方を見つめた。何故わざわざあの茂みから連れ出して、私を蝉の近くまで連れてきたのか。その問いかけに、シロ様はらしくなく言葉を濁らせた。見下ろした先にある瞳が、気まずそうに揺れる。
「……その、これをお前の鞄に入れて持っていきたい」
「……え?」
しかしそうして答え辛そうにしながらも、シロ様は私の質問に答えてくれた。だがそのあまりにも意外なお願いに、私の目は点となる。持って帰りたいとは、この足元で転がる金属たちのことだろうか。今の私のリュックにならばこの大きい塊たちも確かに入るだろうが、その質問の意図が私にはわからなかった。シロ様が倒したのだから、私に聞かずとも自由にしていいと思うのだが。
「鋼鉄蝉の羽は、いい武器になる。機会があるのなら、それで生活用のナイフを作りたい」
「……う、うん」
「……それに、こいつの体の金属も高値で買い取られていた。売り捌けば、旅の路銀にもなるはずだ」
だが思わず困惑の声を上げてしまった私に、どうやらシロ様は拒絶の意図があると勘違いしてしまったらしい。いつになく必死に言い募るシロ様の姿に、私は何だか申し訳なくなってしまった。子供らしく必死にお願いをするシロ様の姿は貴重だが、そんな困ったような顔はさせたくない。それに話を聞く限り、私にも利点があるようだし。
「えっと、別にいいよ?」
「!」
「お金も必要だし、それにこれはシロ様が頑張って倒した敵だからね」
だから私はまだ言い募ろうとするシロ様の言葉を切って、構わないという意見を告げた。シロ様が何を気にしてこんなに必死なのかはわからないが、別に容量がほぼ無限のリュックに蝉の一体や二体を入れるくらい構わない。重さを感じるのなら別の話だが、あの超性能リュックはなんのメカニズムか中に入っている物の重さを全く感じないわけであるし。
そうしてあっさりと頷いた私に、シロ様は驚いたように目を見開いた。そんなに意外だろうか。シロ様のその表情に私は思わず首を傾げる。先程からシロ様は、私の何を一体そんなに気にしているのだろう。
「……母上が、一般的な年頃の娘は虫を嫌うと」
「あー……まぁこの蝉、殆ど金属だし。鉄の塊だと思えば、気にならないかな」
すると、小さく落とされた声がぽつり。それを聞いて、私はシロ様の配慮を理解した。どうやら私が虫嫌いで、自分のリュックに殆ど金属とは言え蝉を入れるのを嫌がらないかという配慮だったらしい。だが言葉にした通り、殆ど金属の蝉なんて蝉を形作った像とさして変わらないし、そもそも私は虫は平気な方だ。生きている蝉ならともかく、死んだ金属の蝉を一時的にリュックに入れておくくらい気にしない。
「……ありがとう、ミコ」
「ううん、こちらこそ」
私の答えに安堵したのか、シロ様は僅かな笑みを浮かべてお礼を言ってくれる。その貴重な柔らかい笑みに、私は頷いて答えた。こんなの守ってくれた対価だとすれば全然足りないくらいなのだが、シロ様はなんというかほんとに謙虚である。ちゃんと配慮もしてくれるし、これは親御さんの育て方が良かったのだろう。……それを考えると、少し悲しくなるけれど。
「持ち歩きやすいように解体する。少し待ってくれ」
「……うん。あ、見てていい?」
「あまり近づきすぎなければ、好きにしていい」
僅かに私が目を伏せたのに、この敏感な少年は気づかなかっただろうか。一瞬過ぎった思考を振り切って、私はどこか弾んでいるように聞こえるシロ様の言葉に頷いた。機嫌が良いのか、見学の許可に関しても注意喚起こそされたがあっさりと了承してくれる。私はその言葉にまた頷くと、いつのまにか再び刀を手にしていたシロ様から少し距離を取った。
巻き込まれないように一メートルほど離れて、刀を握るシロ様を私はじっと見つめる。正確には観察しているのはシロ様本体ではなく、刀の方だったが。以前もさっきも今もそうであったが、あの刀は普段はどこに仕舞われているのだろう。尻尾みたいに、普段は見えないようにでもしているのだろうか。
「……シロ様、その刀って普段どこに仕舞ってるの?」
「……ああ、そういえば話したことがなかったか」
つい気になって問いかけた私の方に、シロ様が視線を向ける。高い金属音と共に真っ二つになった蝉の胴体。それを足元に、シロ様は一瞬考えるように顎に手を寄せた。もしかして、聞いてはいけないことだったのだろうか。一瞬そんな思考が過るが、何かを考えているようなシロ様の表情は重くない。どちらかと言えばどう話したものかと、そう思案しているように見える。
「別にこれは尾のように、普段は隠しているというわけではない」
「え、そうなの?」
「ああ」
そうして考えが纏まったらしいシロ様が、今度は右羽を叩き切りながら告げる。高い金属音に混じって聞こえたその声に、私は先程までの思考を否定されてしまった。どうやら尻尾のように、普段は隠しているとかそんな話ではないらしい。だがそう聞くと、ますますわからなくなってしまって。
隠しているわけではないというならば、何故普段はどこにもないのか。もしかして私の目が捉えていないだけで、普段からシロ様は帯刀しているのか。眉を寄せて考える私に、シロ様はあっさりと答えを返してくれた。左の羽を右の羽と同じように、二つに分けながらも。
「これはクドラの秘術である法術でできた武器だからな」




