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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第二章 虎耳少年と女子高生、旅の始まり
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三十一話「地中から這い出たもの 上」

「……これがさっきの、音の正体?」

「……そうだろうな」


 夜も深まる森の中。薄ぼんやりとしか見えない足元をかき分けて向かった先、そこに居た存在を遠くから注視して私は息を呑む。恐る恐るとした呟きに返事を返してくれたのは、警戒するように瞳孔を細めたシロ様だった。彼の刀を握る指に力が篭もったのを見れば、自然と私の中の緊張感も膨らんでいって。


「蝉、だよね……?」


 その緊張感を何とか飲み込んで、私は視線の先の存在を言葉にする。そう、音が聞こえた東へと向かった私達がその先に見たのは、一匹の蝉だった。とはいえ当然、先程轟音を響かせた蝉が普通の蝉なわけがなく。今私の視線の先に居る蝉の大きさは、成人男性よりも一回りほど大きい化け物。恐らく虫に耐性がない人なら、発狂するだろう。田舎育ちで虫慣れしている私でも、見た瞬間に悲鳴を上げそうになったくらいだ。

 しかもその蝉は、ただ大きいわけではない。暗くてぼんやりとしか確認することが出来ないが、その羽は研ぎ澄まされた薄い金属のような物で出来ている。その鋭さは、掠っただけでも容易く肌が切れてしまいそうな程。今目の前に居るのはそんな、明らかに異様な金属製の蝉だった。


「ああ……鋼刃蝉だな」

「えっ、シロ様知ってるの?」


 一瞬その羽に触れて事切れる自分を想像して、しかし返ってきた返答に私は思わず素っ頓狂な声を上げる。どうやら目の前で今か今かと飛びかかる機会を狙っているこの少年は、あの蝉を知っているらしい。前々から思っていたが、シロ様はその歳にして知識の範囲が広すぎないだろうか。


「お前の持っていた本で、この森に生息する生き物は大体把握している」


 違った、私の持ち物のせいだった。いやまぁそれにしたって、勤勉であることに代わりはないのだが。周囲のパトロールに法符とやらの作成、その上勉強とはこの少年はいつ休んでいるのだろう。一応種族上、人間と比べた時に睡眠時間が少ないらしいというのは聞いているが。

 真面目すぎるシロ様が若干心配になって、しかし私の考えはそこで止まった。目の前の蝉がその瞳のような部位を閉じた瞬間、シロ様が草むらの影から飛び出していったのだ。手に握るは大きな太刀。それだけを持って、シロ様は太い木を抱きしめるかのように止まっている蝉へと向かっていく。


「っ、シロ様!」

「なるべく動くな! あいつはこの場で一番温度の高い熱源に反応する!」


 思わず呼び止めるような声が出て、彼を止めるように手を伸ばして。けれど当然、後出しの私が彼のスピードに適うわけもない。私の手をすり抜ける形で蝉へと向かったシロ様が、蝉に刀を振りかぶりながらも短く叫ぶ。それは恐らく教科書で学んだのであろう、あの蝉の生態の一部だった。

 私とシロ様であったら、種族の特性上なのかシロ様の方が体温が高い。そうして生き物と言うのは、運動量を上げれば自然と体温が上がっていくものだ。あの蝉が温度を感知して獲物を狙うのなら、動のシロ様が居る中静の私を狙いはしない。だからこそシロ様は、動くなと言ったのだろう。それなら守られる立場の私は、せめて足手まといにならないようにその指示に従うしか無い。


 ただ黙って見ていることが、どれだけ歯痒くとも。


「っ、……!」


 かきんと、金属同士がぶつかるような高い音が聞こえる。それを一瞬遅れてシロ様の刀とあの蝉の羽がぶつかりあった音なのだと、理解して。私は暗闇の中、必死に目を凝らした。何も出来ないまま、ただ手の熱だけが増していくこの状況。ただそんな中でもシロ様の無事くらいは確認したかったのだ。

 未だ視界は薄ぼんやりと、どこか不明瞭なまま。しかしそれでも目を凝らせば、少しずつであれど視界は開けていく。高い金属音が重なり合う音、それが何度も連続して聞こえて。そしてその音の中心では、自分の三倍は大きいであろう蝉に立ち向かう白銀の少年が居る。淀みない太刀筋を、化け物へと向けるシロ様が。


「……ふん、熊よりは素早いか」


 何かを確認するような、小さなシロ様の声が聞こえた。ただその一方、蝉は声を上げない。蝉という生き物を考えればただ不自然なほどに静まり返ったまま、外敵であるシロ様をその羽で切り裂こうとする。しかしその大振りな攻撃が、シロ様に当たることはなかった。最小限の動きでその羽を回避しては、シロ様は合間を縫うかのように刀で蝉を切りつける。狙いは、彼から見て左側の羽だろうか。


「……あたら、ない」


 だがそんなシロ様の攻撃は、中々思うところに命中しない。見ている私が思わず声を漏らしてしまうほどに、それはもどかしかった。蝉も攻撃手段を失うことを恐れているのか、それとも己の長所である素早さを失うのを忌避しているのか、羽には攻撃が当たらないようにと避けるのだ。そこには先程までのんびりと木に止まっていた姿は見られず、正確無比な素早さが光るだけ。到底大きな図体では考えられないほど、シロ様の言葉通りあの蝉は素早い。

 そうして羽に当たらなかった攻撃は、蝉の胴体に吸い込まれる。暗くてよく見えないが、その胴体もまた鋼で出来ているのだろう。先程の金属同士がぶつかるような音の発生源は、それだった。金属で出来ているその体は、容易く切り裂くことが出来ない。だからこそ金属で出来ていようと薄い方の羽をシロ様は攻撃したい、のだろうが。


「……ちっ」


 相変わらず、攻撃は当たらなかった。また鳴り響く高い音に混じって聞こえてくるのは、短い舌打ち。薄ら寒いほどの静寂の中、聞こえてくるのは硬質的な音とたまにシロ様が零す声だけ。私の知っている蝉は、羽音に鳴き声と中々うるさい存在だったはずなのだが。

 ……いや、冷静に考えればあの体では音を鳴らせないのだろうか。蝉は確か私達人間と同じように腹の筋肉のような器官を引き攣らせ鳴くはずだが、あの金属の体ではそもそも引き攣らせること自体が無理なのかもしれない。同じように羽も、武器に使っているが故に震えさせる余裕がないのだろう。だからあの蝉は、音を上げることもなく戦っているのか。


「っ、くそ……!」

「っ!」


 けれど私が蝉を観察している間にも、戦いは進行していて。聞こえてきた悔しそうな声に慌てて視線をシロ様の方に向ければ、そこに赤が飛ぶ。その色に、私は思わず息を呑んだ。暗闇に慣れてきた視界は、さらにその明度を上げている。その瞬間私の目に映ったのは、シロ様の頬に赤い線が走る姿。


「……問題ない! かすり傷だ」


 叫びそうになって、それを既で堪えて。けれど私のその小さな機敏を、距離があってもシロ様は捉えていたのだろう。短く叫んだシロ様は、また果敢にも蝉へと飛びかかっていく。だが相変わらず、後少しというところで羽への攻撃は回避されてしまっていて。

 息を呑んで私が見つめる中、シロ様の頬の傷は瞬く間もなく治っていく。クドラの瞳が発動したのだと一瞬安堵して、けれど私は気が気でなかった。今のは頬だったから良かったが、それが瞳に当たっていたら? そうでなくても、いくら治るとは言え怪我すればシロ様だって痛いはず。長時間戦いが続けば精神力だって摩耗していくはずだし、そうすれば自ずと怪我は増える。だが未だ決着への道筋は見えずに、ただ無為な切りつけ合いと避け合いが続くだけ。


 高い音は鳴り止まない。お互いに致命傷を避けるかのような攻防も、続いたまま。いっそのこと私が目で追えるのが不思議なほどに、一人と一匹の動きは速すぎた。刀が羽へと仕掛ける。それは外れて攻撃は胴体へ。羽が小さな体を八つ裂きにしようと翻る。それは背後へと飛んだ少年の動きで回避されて。何故かその全てを、私は追えている。見えている。けれど、何も出来ない。


「……シロ、様」


 ただ歯がゆかった。思わず零した言葉は、悔しさに満ちている。シロ様は決して弱くなんか無い。激しすぎる攻防を見れば、あの蝉がシロ様にとって相性が悪い相手であることはわかる。あの蝉に対しての本来の有効打は、斬撃よりは打撃だろう。金属だって、諦めずに叩き続ければその姿を変える。もしくは高温で熱して、一時的に金属の部分を柔らかくするとか。

 だが生憎とシロ様の武器は刀だ。薄い刃をハンマーのように使えば、ぽきりと折れてしまうことだろう。それに火で戦うにしても、場所が悪すぎる。ここは森なのだ。火なんて使えば運悪く燃え広がる可能性があるし、その場合真っ先に死ぬのは私だ。私を守ってくれているシロ様が、リスクのある方法を取るとは思えない。


 つまるところ突破口は、シロ様が運良く羽を切り落とすくらいで。そうすれば動きは自ずと鈍り、シロ様は優位な状況を作り出すことができる。だがその運任せの突破口へといつ抜け出せるかなんて、わからない。もしかすればそこに辿り着くよりも早く、シロ様が事切れてしまうかもしれない。


「……動きを、止めれれば」


 ぐっと、拳を握る。手のひらは相変わらず、熱を持ったまま。熱を持つんじゃなくて、例えばそこに何かの力があればいいのに。例えば今零したみたいな、あの蝉の動きを一瞬でも鈍らせる力とか。戦ってくれているシロ様の役に立てる力、とか。


「っ、!?」


 しかしそう夢想した瞬間、手のひらから熱は溢れ出す。熱くなると同時、手のひらに浮かんだのは銀色の玉で。それは手のひらでくるりくるりと浮いて、そうして形を変えていく。溢れ出す光が夜の暗闇の中では嫌に眩しくて、しかし私はその光が何かを私に問いかけているように思えた。

 どうしたい、何をしたい。何を作って、どうやって貴方の役に立てばいい。頭の中に響いたように聞こえたのは、そんな声。どうしたいかなんて、何をしたいかなんて、そんなのは決まっている。今私が願うのは、ただ一つ。熱に浮かされたような思考のまま、私は問いかけてくるその光に願った。


 シロ様と相対している、あの蝉の動きを止めて欲しい。


「……っ!?」


 そう願った瞬間、その銀の玉はますますとその光の強さを増していった。光が弾けて、その眩しさに思わず目を瞑って。そうして次に目を開けば、そこにはもう銀の玉はない。そこにあったのは、いつの間にか私の左の小指に嵌っていたのは。


「ゆび、わ……?」


 柔らかい色合いの白い石が付けられただけの、シンプルな銀の指輪だった。

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