三十話「夜の森に鳴り響く轟音」
「……!」
「っ!?」
しかしそうして開けた宝箱の中身を確認しようとした瞬間、地面が大きく揺らいだ。突然の衝撃に私は悲鳴を飲み込みながらも、何とか腕の中の裁縫箱を抱きしめる。一度開いた蓋は、私が手を離したことでまたぱたりと閉じてしまった。
「何、今の……?」
だが今は再び蓋を開けて中身を確認するよりも、突如として起こった大きな地震の発生源を確認することが先決だ。そう考えた私は裁縫箱を抱えながらも、隣に居るシロ様の方に視線を向けた。案の定そこには、警戒心を顕にしたシロ様が居る。その虎耳は外へと開いて、まるでどこが音の発生源を探ってるかのように見えた。
今のは、ただの地震だろうか。いいや、違うと私の直感が告げている。災厄の地震国家で育った身としては、揺れの違いというものを少しは理解できるのだ。今のは災害の地震ではない。何か大きな物が地面に衝突して、揺れたようなものだと。
「……東の方角、だな」
そして私のそんな確信と共に、シロ様も自分なりの解を得たのだろう。警戒に耳をぴんと立てたシロ様が、そこで立ち上がる。それと同時に聞こえた風の揺れる音と共に、いつの間にかその手には大きな刀が握られていた。あの日熊もどきと戦ったときにも見た、太刀と称されるであろう武器。
「ミコ、立てるか」
「う、うん……」
再び影もなく現れたそれを片手で軽く握りながらも、シロ様はそっと私へと手を差し伸べてくれる。中々立ち上がらないので、もしかしたら腰が抜けて動けないのかと思われたのかもしれない。単純に地震対策としての直ぐ動かない、が体に染み付いているだけなのだけど。
とりあえずシロ様の手をありがたく借りて、立ち上がってみた。そうして立ち上がっても、もう揺れは感じない。恐らく先程の短すぎる揺れは、やはり災害の方の地震ではないのだろう。シロ様が東と言ったことだし、東の方に大きな魔物が現れてそいつが地震を引き起こしたのかもしれない。地震を起こす大きさの魔物なんて、それは深く考えずとも恐ろしい存在だ。
「ほら毛玉、お前もこいつに乗っていろ」
「ピュ?」
過ぎった嫌な想像に、両拳を固く握って。しかしそんな中で聞こえた間の抜けた声に、強い緊張状態になっていた私の心は解きほぐされた。ふわっとした感触にゆっくりと左肩を見遣れば、そこにはフルフが居る。その小さな口元は先程と変わらないまま、もぐもぐと動いたままで。
「……まだ、お魚食べてたの?」
「ピュッ!」
「ふふ、君は大物だね」
どうやらこんな緊迫とした状況だというのに、この子はまだ焼き魚を食べていたらしい。その度胸を大物と呼ぶべきか、呑気と呼ぶべきか。私の問いかけに元気良く鳴くフルフに、自然と口元が緩む。おべんとが付いた口元を拭うように触れれば、またフルフは機嫌良く鳴いて。
「和むのはそれくらいにしておけ」
「あ、ごめん」
「……まぁ、心を落ち着けるのも戦場では必要なことだ」
しかしそこでシロ様からお小言を貰ってしまった。確かに危険かもしれない状況で、こうしてのんびりとしているのは危険だろう。つい気が抜けてしまったことを反省しつつ、私はシロ様の方へと視線を向けた。良かった、表情を見るにどうやら呆れてはいるが怒ってはいないらしい。
フォローのつもりなのか、溜息と共に零された言葉。それに困ったように笑えば、シロ様はますます呆れたように瞳を眇めて。けれどまた一つの溜息と共に、その表情は移り変わる。現在の状況を確かめようとする、真剣なものへと。
「……お前に、一つ問う」
「え……?」
「小屋に居るか、我に付いてくるか。どちらが良い」
その表情に顔を引き締めて、けれど予想外の言葉に私は思わず声を零した。てっきり小屋の中で籠もっていろと、そんな指示をされると思っていたのに。何故かシロ様の口から出てきたのは、聞く意味がわからない二択だ。
東に大きな魔物が居る以上、シロ様は恐らくそこに向かおうとしている。こんなボロ小屋では突如として襲われた時、咄嗟の対策を取りにくい。だからシロ様は毎日のパトロールに見張りと、危険分子を先に排除するための行動を取っていた。そして当然、私がその行動に付いていくことはない。少々物悲しい気分になるが、戦えない私が付いていっても足手まといだから。
なのに何故今だけは、付いてくるかという問いを彼は投げかけるのか。
「小屋の方が敵前と相対せぬだけ、幾許か安全だろう。だが今の衝撃で逃げてきた魔物や動物が、お前に危害を加えぬとも限らない」
「……!」
「そうなった場合強敵と思わしき敵と戦っている我では、お前の危険に気づくことが出来るか不安だ」
しかしその問いには、確かな理由が合ったらしい。眉を顰め腕を組みながらも、シロ様は淡々と小屋に居る場合のリスクを語っていく。成程、確かに大きな魔物が現れたのならば、その周辺にいる生き物たちは逃げようとするだろう。小屋の周囲、そうして小屋にはシロ様が結界を張ってくれているが、命からがら逃げ出してきた彼らがそれを避けるかどうかは怪しい。そうなれば貧弱な私では、逃げてきた魔物に耐久力の低い小屋ごと轢き殺される可能性がある。
そうしてそうなった場合、シロ様が私の救援に来れるかは怪しい。こんなに大きな地震を引き起こす敵なのだ。恐らく強大な力を持っていることは、想像に難しくない。というか救援も何もなく、轢き殺されたらそれで終わりだ。つまるところ普段の状況とは違い、今シロ様の傍を離れて小屋に居るのには危険が伴うということ。
「……我の傍に居るのなら、必ず守り抜く」
それでも、という迷いはあって。しかし一瞬湧き上がった迷いは、その言葉でかき消された。私の視線の先、そこには彼が居る。こちらを迷いなく見つめる、強い意志を宿す瞳を持ったシロ様が。そこには不安もなにもない。敵に打ち勝ち、私を守るという確固たる自信があるだけ。
「……邪魔、じゃない?」
「随分と見縊られたものだな」
「……ふふ、そっか」
僅かに残った迷いが、口からまろびでた。けれどそれでもシロ様は、心外だと言わんばかりに鼻を鳴らすだけ。それなら私が不安に思う必要も、きっと無いのだろう。
暗い森の中、焚き火がぽつり。その炎で照らされた刃に、少年の顔が映る。儚くも美しいその容貌に宿るは、強い意志。ああかっこいいなぁなんて、そんな即興ポエムを考えてみて。しかし恥ずかしいからと、私はそんなポエムを頭からかき消した。誰にも聞かれて無くて幸いだ、そんなことを考えつつ。
「付いていきたい。今の私なら、何か出来るかもしれないし」
ただ、私の心は決まった。必ず守り抜くと言われてついていかないなんて、シロ様を信用していないと告げているようなものだ。本当は巨大な揺れの発生源に近づくのは、怖い。今だって少しだけ、足が緊張と恐怖に震えている。けれどシロ様の言葉なら、信じられるから。宝箱を開けられた今の私なら、もしかしたら出来ることがあるかもしれないから。
「……引き際は心得ておけ」
「うん、わかった」
案の定、またお小言は貰ってしまったけれど。それでも私が頑張ろうとしていることを止めないシロ様は、相変わらず優しい。またへらりと笑えば、今度のシロ様は呆れたように笑う。その笑顔に、願うことは唯一。私の中にあって、もしかしたら目覚めたかもしれない力が、彼の役に立てますように。ただそんな、小さな願い事。
「行くぞ、我から離れるな」
「……うん」
静かな森に響く、静かな声。それに瞳を伏せて頷けば、目の前の少年は前を歩き始めた。その足取りが向かう先は、先程告げた通りここから東の方角。そんな彼に遅れないように、抱えていた裁縫箱を置いて私もまた歩き始める。それと同時に肩のフルフを制服のポケットに押し込めば、抗議のような鳴き声を貰ってしまった。それが少しおかしくて零れた笑い声は、静かな世界を柔らかく揺らした気がして。
頭は冷えていた。冷静な思考が出来ている。心は凪いでいた。揺れを不安に思う心は、シロ様の言葉で掻き消されていて。足は愚直だった。ただ前を歩くシロ様の足取りを、正確無比に辿る。体の全てが全て、私の思うがままにコントロールできている。ただ、そんな最中。
裁縫箱を開けた手だけは、どこか熱かった。




