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「ある日」という日常のヒトコマ  作者: みここ・こーぎー
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2-31 時間とか空間とか操るやつにろくなやつがいな⑪

 姉から――姉とリキマルから離れるにつれて体が軽くなっていく。


 俺は何もない場所を蹴りつけて空を駆ける。

 大きく抉れた大地はあまりにも歩行に向いていない。それどころか断層として割れている場所もありただただ危険すぎる。横殴りの地津波が襲い掛かってくることもあるので、地面付近にいるのはまったく得策ではない。


 そしてそれは黒幕にも言えることだ。


 俺は荒れ狂う暴風の中をつぶさに観察し、空間の揺らぎや違和感を探す。

 だが何もない。

 としか表現できない。そもそもが濁った水の流れを思わせる空だ。まともな空間であるならまだしもこの商況で探すのは難しい。ただそれだけで本来見つけられるはずの違和感がカモフラージュされているようなものだ。


 時間もないのでさっさと始める。

 俺は矢を生成する。

 特定の行動の後で爆発し、三メートル前後の範囲に爆発して衝撃波を与えるものだ。基本的にいつもこのつくりではあるが、今回は威力は二の次だ。空間系の分解を前提とした式を与えてある。これが直撃したところで相手の異能が分解されることはないだろうが、なんらかのリアクションは起こるだろう。空間の揺らめきやほつれ、異音といったどうしようもない部分だ。

 これを的確に絨毯爆撃して見つける。


 南側と西側からの十字砲火ドラムファイアだ。

 一度に数百しか放てないので注意しながら整列させる。撃つだけなら楽だが、これと併用で遠見クレアボヤンスも使わなくてはいけない。むしろそれがメインだ。


 闇を切るように俺の矢が発射される。

 不可視であるはずだが、隠蔽が甘くなっている。発射の線が薄くだがキラキラと輝いていた。しかし構わず、次々に発射していく。

 最初に発射した矢が爆発する。奥のほうから正確に爆発していき、ゆっくりと手前に衝撃の連鎖のように流れてくる。

 単純なひとり潜水艦ゲームだ。

 相手が見つかるまで連射するだけ。


 だが正直、遅い。

 これでは数分かかるかもしれない。

 相手が移動して回避することも考えて何十と重ねながら攻撃を行っているが、時間だけが足りない。運が良ければ第一波射撃で判明すると考えもしたが、さすがにそこまで阿呆というわけではないようだ。


 もちろん、俺の勘が間違っている場合もある。

 今でも濃霧漂う東側でひたすらに息を殺している可能性だってあるのだ。相手が臆病の腰抜けで楽観的な人間であれば俺の負けだ。

 だが、俺は黒幕がここにいると考えている。

 今日、あったことのほとんどをそいつが担っているとするのであれば、相手はかなり用意周到な性格だ。本人の才知や予測などの戦術能力の甲乙は置いておくとして、ここまで相手の思い通りだろう。

 ならば何か予定外の行動や不手際があった場合、すぐに手直しできる位置にいるはずだ。

 だから、可能性としてはここ以外にない。


 待てよ。疑問が過ぎる。


 この森に張られている結界はその構成自体はかなり前から俺が準備していたものであるが、実際に可能になったのは昨日だ。リキマルが発動可能であったので教えたからここで使われている。


 もしも黒幕がこの結界を想定していなかった場合、姉は今頃は街を焼き払い、そして兄に止めを刺されている。それは間違いない。そうなると最初は俺が説得し、街に被害が出た辺りでリキマルが応戦、こうやって手こずっているところを、姉に止めを刺せる兄が引き返してくることになる。


 そうなると氷上家の取り潰しが目的として浮かぶ。もしも姉が暴れればそうなる可能性が高い。

 だが、氷上家はそもそも日守一族の中でそこまで良しとされていない。祖父が宗家から嫁を貰ったので妙に高い位置とされているが、成り上がりなので実際はそこまで評価されていない。

 もっと言えば別に序列はあくまで序列に過ぎず、何がどうということはない。元氷神当主、氷神鋼切のような俗物がかなり珍しく、別に序列を気にするやつはあまりいないだろう。ただ、評価が悪いだけなのだ。実力とは無関係で。

 日守一族に承認欲求の強いやつはかなり少ないだろう。そういう一族なのだ。


 考えれば考えるほど泥沼にはまっていく。

 俺の頭が悪いのはともかくとして、相手の意思が見えない。相手も馬鹿なのだろうかと疑うほどだ。


 ――ふと、違和感があった。


 俺は面攻撃を止めて、違和感を覚えた場所に攻撃を集中させる。

 攻撃を集中させているときに違和感の内容を思い出そうとしたが、どうにも思い出せない。その程度の小さな違和感だったのだろう。


 だが、手応えはあった。


 そこに何かいるのは明らかなほど手応えがある。

 俺の対空間系の装飾が施された矢が何かを叩き続けている。遠見を操作しながら絶対に見失わないように視野を広げていった。


 リキマル、この座標の裏側に攻撃しろ。わりと近い場所に潜んでいる。


 俺が攻撃を続けて相手が潜んでいる空間座標を看破すると、その場所に目掛けてリキマルに砲撃支援を要請する。すると俺の思考が終わらないうちに辺りの暗闇が弾けるほどの光が空間からあふれ出してきた。

 リキマルの攻撃が発動したようだ。

 向こう側なら被害がこちらまで及びにくいからか、かなり強力な一撃をぶち込んだようだ。地上で使うのをためらわれるほどの熱量がこちらまで響いている。

 光は空間につくられた裂け目のようなものから漏れており、リキマルがこじ開けたのか、それとも向こう側にいる相手が移動のためにつくったものかすらわからない。


「やったかッ!?」


 疑問形で問いかけるのが申し訳なるほどのエネルギーが空間の裏で反応しているようだ。直撃して生きているやつはいないのではないかと思うほど極端な威力だ。


 直撃していれば死んだだろうな。

 そんなことを思うが、まずやられていないことも予想している。さすがにこうなることくらい予想していた――――うん?


 ふと、誰かに右手を引かれた。

 リキマルか?

 そんなことを思いながら振り向く。


 黒くてまるい窪みが二つ、見えた。

 目だ。

 輪郭がなく、どろどろに歪んだ部分が見切れていたので、そこを輪郭として認識する。

 口はない。

 ただ時折に歪みの下半分が黒と赤で明滅している。

 長い長い黒髪が三百六十度まで放射状に整列していて黒い太陽のように輝いている。

 首吊り人形のように垂れ下がった胴体からどろどろの手が――


 俺の手がないッ!!


 意識が復帰する。

 いつのまにか俺の隣にいる姉を振り切って退く。

 手先は完全に塵になるほど圧力を受けて崩壊している。手首から肩口まではズタズタに引き裂かれて潰されており、胴体や顔は骨格が歪むほどの圧力を受けた。


 それから痛みが発生する。

 意識が途切れた事実はないが、どうやら意識を失っていたようだ。

 血管が潰れているのが幸いして大きく血が噴出してはいない。運が良かったとしかいいようがない。


 姉の隣にいるために超重力が体を引き千切ろうとするが、リキマルが解析してくれた分は俺の防御力も上昇した。今のようにいきなり隣に回りこまれてもぺしゃんこになることはないだろう。本当によかった。

 俺が死んだら姉が泣く。

 しかも自分が死なせたのであれば……


 姉が鳴く。

 何を言っているのかはわからない。

 自分の手を見つめて嘆いている。そして俺を見つめる。そして安堵しているようにも思う。「よかったまだ左手てが残ってるわ」とは思っていないと思うが、また俺に触ろうとするのは間違いないだろう。


 姉がここにいるが、リキマルがいない。

 おそらく先ほどの攻撃の隙を突かれて一時的に行動不能になっているのだろう。死んではいないはずだ。死んだらその辺で非連続の再構成を始めて蘇る。何ひとつ元の細胞を持っていないのに“蘇る”と表現してもいいものかと悩むが、そういう異能なのでなんともいえない。


 リキマルがいないのであれば姉の相手は俺が行なわなくてはいけない。

 もしかしたらこれを機に黒幕も攻撃に参加するかもしれないが、そのときは姉にぶつけて潰してやればいい。俺のほうが強いと信じながら戦えばいい。


 姉の動きが止まっている。

 俺の隣まできたときの速度や、リキマルと戦っていたときの身体能力は見せない。

 ただゆらゆらと漂うに俺を見ているだけだ。


 もう疑う必要もないと思うが、姉は俺に触りたいだけなのだろう。

 いつものように双子の半身である俺の手を取って顔をこすり付けたいのだ。

 だが今の姉がそれをやると俺が死ぬ。

 死ぬことはないかもしれないが、手を触っただけで千切れ飛んでしまう事実に慌てているのだ。


 こちらの言葉は届かない。


「姉さん、聞こえる?」


 俺は左手を軽く振って、自分の口を指差す。


「とりあえず、痛い。かなりね」


 姉は変わらずにゆらゆらと揺らめいている。

 聞こえてはいないかもしれないが、見えてはいるようだ。どの程度まで見ているのかわからないが。


 黒幕がたかが核攻撃級の爆発如きで死んだとも思えないのでこうやっている間にも後ろから攻撃されるかもしれない。おそらく外に出てきているだろうから探さないといけないのだが、姉が正面に立っている以上はこちらを優先しなくてはいけないだろう。

 操られているのか狂わされているのか、それとも視覚障害だけでノーマルなのかそれだけでもわかればもう少しやりようもあるが、わからないなら可能性の高い場所に突撃するしかない。


「姉さん、聞こえるか。どうやら姉さんは俺に触りたいみたいだから、俺からそっちに行くよ。聞こえる、俺からそっちに行くよ」


 姉は俺に触りたいだけ。

 なら、こっちから触りに行けばいい。ゆっくりとだ。

 俺のダメージを見てやばいと思わせて、自分から異能を解除させなくてはいけない。もうそろそろ結界も持たないだろう。結果的にあと一時間持ったとしても、そんなのは結果に過ぎない。今できることをやらなくてはいけない。


 リキマルも動けない。

 黒幕が動いていない。


 チャンスは今だけだ。

 本当なら姉に適度にダメージを与えて異能力を維持できなくさせるのがいいのだろうが、もう無理だ。限界だ。姉の好意を利用しなくてはいけない。

 失敗しても死ぬ。だが、どうせこのままだと俺も姉も死ぬ流れだ。仕方あるまい。


 右腕の再生をさせながら一歩、ゆっくりと踏み込む。


 姉は動かない。

 潰れていた血管がさらに潰れて千切れ、血液が噴出した。

 もう一歩、前に出る。


 姉は動かない。

 肉が抉れる。再生の速度がつりあわなくなった。ダメージが増える。

 さらに進む。


 姉は動かない。

 防御も役に立たなくなってくる。軽減することなく、隙間風がごっそりと肉と骨を削いだ。

 もっと、目指す。


 姉は動かない。

 痛みはもうない。綺麗な風がそよぐと俺の肉体も風になる。それだけだ。

 問題ない。近づく。


 姉は動かない。


 体が動かなくなった。

 見ればボロボロになっている。だが、リキマルに助けられたときほどじゃない。まだ近づける。

 と、思ったが、歩けなくて当然なのだ。あのときは自分の肉体で動くことなんかまるでできなかったのだから。

 力場を使って前に進む。


 ここまでやっては見たが無策もいいところだ。

 姉が俺のために異能を解除すると決まっているわけでもない。そもそも姉は異能を使っているという自覚はあるのだろうか。その辺りから考えるべきだったか。

 姉が動く気配はない。

 姉に試されているのか、それとも俺が試しているのか。両方だろう。

 ざくざくと何かが鳴り、それでも前に進む。

 たぶん大丈夫だろう、そんないい加減な判断だ。


 早まった行動だっただろうか。

 そうではないと思う。

 これでいいと信じる。どうせ後はないのだから。

 取れる行動が少ないのはいいことだ。迷わない。


 動かない足を前に出す。


 まずいな、このままでは本当に死んでしまう。


 千切れる人体の悲鳴を聞きながら、それでも前に進むのを止めない。


 たぶん、いける。


 甘い考えを抱きながら俺は前に進む。

 一歩、また一歩とふわふわした体を支えて移動する。

 歩くたびに肉体が欠けていくが、まだ生きている。


 姉は動かない。


 安全のマージンがゼロになる。

 これから先は本当に死ぬ可能性がある領域だ。


 それでもまだ二メートルも残っている。

 手は届かない。


 頭の中で「仕方ない」「死ぬかもしれない」と思っていても足は止まらない。


 死の淵に足をかける。

 その一歩目を踏み出した。


 瞬間、強烈な光が分厚い壁となって俺を吹き飛ばす。

 剥き出しの肋骨がべきべきと圧し折れていくのが遠見で確認できる。縦半分に削がれた腕がはじけ飛ぶように割れた。

 肉体の破損が続く。


 最低だ、せっかく姉に近づいたのにまた離された。

 離れたので防御と再生に力を注ぐ。


 ――そこでようやく気がついた。


 特に抵抗なく再生が行なわれていることに。


 正面に目を向けると姉が立っていた。

 どろどろした歪みも汚泥もない、普通のブレザー姿の姉が立っていた。

 ぽろぽろと涙を流しながら俺を見ている。

 どこか俺を責めるような表情だが、その大部分はほっとして安心している。


 どうやら異能を解除してくれたらしい。

 思い付きがなんとかなったようだ。


 いや、というか姉の強さで精神汚染を食らうということはないだろうから、はじめからこうやって近づいて対話しようと思えばよかったのだ。

 俺の思慮が足りないから姉は怒っていたにすぎないのだろうから。


「姉さん、聞こえる?」


「さっきから聞こえてるって言っているわさ……」


 おそるおそる俺のほうへと近づいてくる。

 そして互いに手を伸ばしても触れ合えない距離で止まった。どこかばつの悪そうに俯く。


「姉さん」


 俺はそれでも手を伸ばす。

 手が触れ合うことはないが、俺から手を伸ばせば相手を求めている証拠になる。

 姉はそれを見て、またゆっくりとこちらへと近づいてきた。


 まあ、俺が悪いので俺が痛い目に合うのは正しいことではある、はず。日本人的な精神論に基づけばの話であるが。


 そして姉が伸ばした手が俺に触れ――


「さすがだね、氷上雅弓。けど、ここで死んでくれたまえ」


 不意に背後から声がかかる。

 同時に後ろから刺されたのだろう、俺の胸から刃が生えた。


「さらばだ」


 そいつが剣を振り上げる。俺の脳まで破壊するために、確実に殺すために殺意を持って攻撃してきた。


 俺はそれを回避する。心臓が突かれ、振り上げられた刃を頭を振って避けた。喉元から刃が抜けていく。俺は特に精神的な衝撃も受けず、反撃に移る。


「お前、馬鹿だよな」


 巨大剣ラージソードを振り下ろし相手の回避を誘導させてから、矢を使って攻撃を当てる。

 そいつはしっかりと防御したがそれでも攻撃を受けたことに違いはない。その表情が優れない。動きを捉えられたことにいささか不満があるようだ。


「わ、わ――」


 俺は姉を抱き寄せてから、しっかりと傷の修復を行なう。

 振り向くとそこには見知った顔があった。


 現代に現存する神のひとり、時神ときがみだ。


「剣で斬られただけで死ぬとでも思っているのか」


 古びた茶色のコートを着ている少年としか表現できない。

 首の後ろで長い髪をまとめ、眼鏡をかけた童顔で細身の少年が限界だろう。顔もそれなりに整っているが普遍的すぎて人の中に埋没してしまう没個性だ。

 その少年が手に刀を持っている。黒い刀身で鞘はない。


「……まあ、死ぬとは思ってないけどね」


 相変わらずカスみたいな発言が俺をイラつかせる。

 

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