2-29 時間とか空間とか操るやつにろくなやつがいない⑨
簡易的な結界が張られる。
俺の周囲一メートルといったところだ。強度は抜群で俺の遠見や矢がすべてキャンセルされた。これは無効化が組み込まれているというわけではなく、結界外への異能を遮断しているのだろう。擬似触覚も使えない状態のため五感のすべてが使用できない。
どうやら戦闘から除外されたらしい。
おかげで何も見えない。
音も聞こえない。
何も感じられない。
立っているのか座っているのか、浮いているのか落ちているのか、そもそも生きているのか死んでいるのかすら曖昧になってしまった。
現状、俺という思考がある以上、俺の生存が確実でありはする。
だが俺という自意識が異能によって構成されたサブ脳による擬似人格という可能性を否定できない。本当の俺はすでに死んでおり、脳も大ダメージを受けて蘇れない状態にあるとする。
しかしリアムと同じプロセスを踏んで俺という擬似人格が異能として生まれてこの生きた死体を操っている可能性だってある。
俺にその判別方法はない。
真にどうでもいいことだ。
自己の覚醒があるのであれば、その自我によって前に進めばいいだけだ。
本物とか偽者とかは関係ない。
全身に痛みが走る。
脊椎の修復が終了したようだ。
あとは優先順位の低い五感神経類を修復していく。全身に触覚が戻り、無音が聞こえ、土の臭気を感じ鼻腔を通る空気に味を感じる。
そして視覚が戻った。
姉がでかい拳を振るう。本気の一撃だ。
リキマルが全力で迎え撃つ。こちらも本気のようだ。
互いの衝撃が交差した場所が爆発する。空気まで粉々になってしまったんじゃないかと思うほど衝突した空間に何も残らず、そして白い煙のようなものが滲んでは一瞬で晴れていく。どれだけの衝撃力なのかわかったものじゃない。まずああいう攻撃を受けないのが俺の戦い方だ。俺には真似できない。
互いに渾身の一撃を放ったためか、反作用が大きかったらしく後方へと退いた。その威力の大きさに身震いする。どう考えても俺の出る幕がない。確実に余波で殺される。
リキマルが俺の前に立つ。
俺を守っているのが一目でわかるほど俺を気にかけた動きだ。
そしてリキマルは全裸だった。
たぶん……ではなく確実にその衝撃で吹き飛んでしまったのだろう。リキマルはその身を包むものがない全裸だ。しかしそのやや骨ばった肌に傷はない。先ほどの攻撃でも傷を受けているようには見えなかった。
姉と対等に戦えているのは誰の目にも明らかだ。
残念ながら結界によってリキマルとの――そして姉とも――リンクが切れているので正確なところはわからないが、姉と同じ異能を使っているのは間違いないようだ。ただし、こちらは姉が以前使っていた正式な姿なのか、なんの漏れも歪みも見えない。リキマルがコピーしてこの状態であるということは、姉のほうは第三者によって手が入っていることが確定した。
もう黒幕がいるのは疑うべきことではない。
姉の姿は先ほどと変わらない。
ただただ、魔王のように振る舞い、そして魔王のように鳴いている。それが何を言っているのかわからない。ただ無意味な言葉を話しているのか、助けを求めているのか、それとも俺への憎しみを吐いているのか。
俺の勝手な想像だが、俺の身勝手な考えと姉と過ごした時間から推測したただの希望的観測なのだが、姉は別に俺を恨んでいるわけでもなければ助けを求めているわけでも気が触れているということもない。
ただ、“俺に触りたい”だけなのではないか。
最初からその考えはあったが、さすがに俺の想像であるので可能性のひとつとしてしか脳領域に置いておくことしかできなかった。そして触られたら俺は死んでしまうのは必然だったので無理だったのだ。
だからそれは後で確認しようと他のできることから行なっていたのだが、さすがに死ぬかもしれないくらいの状況まで陥った。それは認める。他者からはいくらか死んでいるとも勘違いしたのだろうから、こうやってリキマルが前に出てきたのだろう。
現在、リンクは切れている。
だが、俺の思考はリキマルには伝わっているはずだ。
だからたとえ姉を殺せるところまで追い込んでも止めを刺すことはないだろう。多少、怒りはするだろうが。
姉が手を、拳底を、その純然たる異能をまとった腕を叩きつける。
何度も、大地に、何度も何度も何度も何度も――
振り下ろした空間と地面のすべてがエネルギーを与えられ、そして消化しきれずに次々に前面へと溢れ出す。滂沱の衝撃として天地の両端から襲い来る破壊がリキマルへと向かう。
それだけではなく姉も全速力で前進しながらより早くより重くリキマルに腕を叩きつける。
普通に考えて、耐えられるわけがない衝撃量だ。すでに衝撃として換算するのも馬鹿らしい。放射能を発しないクリーンな核爆発だろうか。世界が表現できない色へと染まっていく。生き残りを考えるのも馬鹿らしい。
戦火の魔王。
そうとしか表現できない。
リキマルが張った結界がなければ死んでいただろう。
そしてそれは黒幕が空間系の能力を所持しているか、それでなければ露見覚悟で高位結界を張っているということを意味している。さすがにこれで死ぬようなマヌケではないだろう。
白なのか光なのか、それとも真っ黒だったのかわからない世界の彩色の後に白い水蒸気が辺りを包む。が、それすらも立て続けて発生していく衝撃で霧散する。
姉が振り下ろした腕を、リキマルが支えていた。
本人の能力が誤差程度にしかならない強力な異能で振り下ろされた腕をリキマルが支えている。この世界に重力がある以上、上方から叩きつける攻撃には大きなアドバンテージが存在する。
それをリキマルは支えていた。
さすがに無傷とはいかなかったのか、多少のかすり傷というにわかには信じられない程度の小さな傷を負っていた。
この二つからリキマルの能力が姉よりも上であることに戦慄する。
と、思ったのだが、リキマルの能力は良くも悪くも“同じ能力”にすることであるので姉のほうが手加減しているのか、最大まで能力を出し切れていないのだろう。
まあ、そうだろうな。
姉としては別に俺達を殺すつもりなんかないのだから。
ただ、結果的に俺が死ぬだけだ。
可能性とか、そういうのを全部吹き飛ばして、ただ死ぬのだ。
まるで心優しい熊がネズミを愛でようと、他意なく、そっと持ち上げたらその膂力で握りつぶしていたようなものだ。そこに殺意は介在しないように。
おそらく、俺とのやり取りはそういう流れだったのだろう。
そして状況がわかっているのだろうがなんらかの要因で戦闘をせざるを得ない状態なのだ。
……まさか、本当に俺を殺すためにここまで仕組んだのか?
それともリキマルに何かあるのだろうか。
俺を殺そうとするとリキマルが出てくるのは間違いない。逆もそうだが、リキマルよりも数値的な能力では大きく負けている。それによってリキマルを戦わせることが目的ならば……
としても、リキマルの防御は昨日の夜の時点で大きく向上した。
俺の知識と合わせてわりと細かいところまで調整し、今では小さなバッドコンディションにすらならず戦えるだろう。先ほどまでの俺が物理的なダメージをものともせずに戦えていたようにだ。
そのためリキマルの殺害や誘惑、精神汚染などはとても難しい。
リキマルが俺に封印を施したときのように、俺が相手の了承を取ってバッドステータスを仕組むくらいしか低下状態をつくれない。
……俺を殺害後、俺に成り代わってリキマルを操る、というのもちょっと難しい。俺とリキマルはこういうときでもない限り随時リンクしている。ついでに姉ともリンクしているので二重で騙さないといけない。そして機能のひとつとして俺の人格が何らかの影響でダメージを受けた場合、簡易的な擬似人格が姉に宿っているのでそちらの記憶と照らし合わせて修復も出来る。俺が使っているイメージエンジン技術のひとつだ。これら全部騙すくらいならリキマルを寝取ったほうが百倍早い。
相手の目的がわからない。
どれも俺の殺害を経由する必要があるので、俺の殺害が目的と見るのが正しいか。
振り下ろした姉の手をリキマルが弾き飛ばす。
おおよそ人間の腕とは思えない鈍くて重い、それでいて硬さを持った重低音が聞こえてくる気がする。
両腕の上がった姉の腹――のようなもやもやを思い切り殴りつけるリキマル。
その表情は優れない。
どうやら姉にダメージが入っていないようだ。無効化も効果がないのだろう。リキマルが分解できないということは初めて見るタイプの異能か、空間系の異能だろう。あれをいくつか重ねられると一撃で貫通させるには難しい。多重の鉄鱗鎧のように開錠の仕方の違う空間をいくつも重ねられたら普通に分解が難しい。継続して戦闘を続ければ防御異能の癖や式、などの耐性がわかってくるので時間をかければ無効化しやすい。
だから別に焦る事は――
ふと、閃きが走る。
あまり良い閃きではない。
リキマルのやつ、この森の結界、しっかり張っただろうか?
わりと時間が足りなかった気がする。
範囲を狭めて、それでも時間が足りなかった気がする。
……たぶん、中途半端で終了させてきたのではないだろうか。
対時神用で水も漏らさないほど精密なやつだ。不意の衝撃過多や分解にも耐えられる構造である。そして完全に終了しなくても先に終端の式を決めておくことで途中で止めてもいきなり自壊することはない。
だがだからといって中途半端な構成では長くは持たない。
俺が復活するまで二分ほど、目を開けてさらに一分くらいか。
三分ほど経過したがあとどれだけこの結界が持つのだろうか。
もしも結界がなくなった状態で先ほどの攻撃を姉が行ったら……
さすがにこの安全地帯でおとなしくしている暇はないようだ。
俺は結界の内側からリキマルに呼びかけた。
聞こえないことはわかっていても、そうするしかない。
同時にこの安全地帯の分解用の鍵を探し始める。
時間が足りない。




