2-27 時間とか空間とか操るやつにろくなやつがいない⑦
凄まじい衝撃音と何かを削り取るような低音と高音の不協和音が当たりに響いた。
俺が身を屈めたために姉の手が先に結界に触れたのだ。
その隙に顔面まで地面につけて巨大腕で体を投げるように移動する。バラバラに引き裂こうとする圧力が俺の身を削いでいく。通常の人間なら即死、異能者でも致命傷のただの余波だ。治癒と防御にはそれなりに自信があったが、一命を取り留める程度にしか効果がない。
一瞬だけ一命を取り留めることができ、重要な内臓器官の優先順位を間違えずに治癒と再生を繰り返す。まずは頭部の確保、これだけは絶対だ。脊椎と心臓は後回し、血管と筋肉を回復させてから全身の筋肉収縮を力場で操作して血流を再開させた。骨と脊椎、心臓は力場で置き換えてすべてゆっくりと治癒を行なう。どれも時間がかかる。
骨はともかく脊椎の損傷は神経のほとんどが使えなくなるので、やはりそれも力場でなんとかする。
具体的に言えば糸を使った操り人形のように外部から操作するのだ。
子供のお人形遊びといえばわかりやすいだろうか。
姉の手がガリガリと音を立てて結界に破壊の綻びが実を結ぼうとする。
しかしさすがに頭おかしいレベルの異能者であるリキマルが構成しているためか、その防御力は姉の一撃に耐えていた。
そして俺の方へと向き直る。
姉が逃げた俺を見ていた。
姉が少しだけ足を止めている。
理由はわからない。
たぶん俺が怪我しているのがわかったのだろう。そのために俺を継続して追跡するのをためらっているのだろうか。その辺りはわからない。
とにかく停止している。
俺はその間に治癒を進める。
完治快癒するには数分ほどかかる。通常なら六分ほどかかるが、今は神経が尖っているから二分半……いや二分くらいか。正直言えばだいぶ遅い。姉や兄なら数秒で治るだろう。
これは俺が選択している異能に問題がある。
俺は「回復や再生」などの自己治癒能力を前提とした医術的な側面で使用しているためだ。
姉や兄は「復元や初期化」のような五体満足の自分を前提とした姿に変化や戻している。
前者は他者への回復も得意とするが、後者は基本的に自分のみだ。
俺が前者を使用しているのは他者への優しさが念頭に置かれているのではなく、その実戦のほとんどが遠距離攻撃一辺倒であるからだ。本来はこうやって近づくこともなければ、対象への殺害有無が曖昧ということもない。
つまり、復元など必要なかったのだ。
一分ほど姉が動かない。
その間にも姉が存在しているだけで攻撃となる余波でダメージを受けるが、全力で治癒を使えばプラスになるレートだったので問題はない。
迂闊に動いて姉を行動させるのは困る。
さすがに追われると一方的にまずい。
姉が本気で走れば俺なんか速攻で捕まってしまう。
それが行なわれていないということは、姉は俺を本気で捕まえるつもりもなければ殺すつもりもないということだ。姉を殺すつもりなんか皆無であるが、そもそもこの状態になってしまえば姉を殺すことは俺には無理と断言する。おそらく全力状態の俺でも無理だろう。俺の強みはそこではない。
姉に強い揺らぎが起こった。
一度、強く痙攣する。感情の色なのか、じわりじわりと色が赤と青を混ぜ込んでいく。ただし層になって混ざり合うことはない。
違和感がある。
俺の感覚が自然とそれを引き出してきた。
まるで誰かに何かを言われ、それに驚いたようなそんなブレに見える。
……ここでようやく、明確に状況がおかしいことにようやく気がついた。
ずっと冷静ではあったと思うが、さすがに自分の命がかかっている鬼ごっこは俺を焦らせていたようだ。
姉の動きがおかしい。
俺の結婚話に驚いたときから今までずっとだ。
姉は馬鹿――
――姉は少々、見解に欠けることがある。
どういうことになるかといえば、基本的に止まらない。
止まることはないのだ。止まる理由が見当たらないのだから。
これは誰でもそうだ。
俺だって敵が決まっていて確証が取れたら即座に攻撃してさっさと終わらせる。
姉はそれが顕著な部分がある。
たとえば、このような状況で、
自分が何かを思い、考え、理由を見出して行動したとき、止まることはない。
だが止まった場合、どうするか?
尋ねるのだ。
相手に、今、自分が感じた疑問をぶつけてくる。
見解に欠けることを自分でわかっているから、よりよい答えを出そうとする。
それは自分で考えるということも、もちろんある。しかしそれと並行して相手にも問うだろう。
だがその問いがない。
……いや、違う。
最初は「どうして?」と言っていた気がする。さすがに焦っていてこちらも一方的な言葉を投げていた、と思う。
それでも姉は俺の答えをまたずに異能を使った。
大きな余波が出て生命の危険があることを知っているのにも関わらずだ。
姉は、たぶん何かしらの答えを持っている。
自分で結論付けたのか他者からそうだと聞かされたのか、どちらかはわからない。
ただ、確実に自分なりの弱い意志の結果を持っている。
思えば姉の能力を確認したときと効果が違う。
あのときはこんなにおどろおどろしい姿ではなかったはず――そうじゃない、“なかった”とはっきり断言できる。しかもこちらの声が聞こえていない様子もある。
俺よりも数値だけで言えば完全な俺よりも姉のほうが出力が高い。その姉の耳に俺の声が届いていないということはない。意図的な細工がされているとしか思えない。
あと俺と姉のテレパシーが使えないのもおかしい。
俺の方からはだいぶ前から自動交信は確認できなくなってしまったが、姉からは一方的に俺の心を読むくらいは楽勝だ。一応、俺だって昔のように相互的な同一の共有感覚はなくなってしまったが、それでも言葉を通わせるくらいはできた。最近は使っていないがいきなり消えるということはないだろう。
二分が過ぎる。
俺の体が治癒した。
同時に破損していた衣服も修復する。
「リキマル、聞こえているな。濃霧だ。この森の全域に濃霧を放て」
俺の声に反応したのか、姉がまたびくりと体を震わせて俺に手を伸ばそうとする。
「この森に俺達以外の誰かがいる。できる怪しい場所は破壊して燻りだすぞ。森を十六×十六のマスと見立てて時間による移動行動も予測しろ。空間移動が使える可能性も忘れるな。破壊箇所には濃霧と遠見を再設置して監視だ。だが結界は完成させろ。絶対に逃がすな。クズにはクズなりの死に方をさせてやる」
そもそもポジティブな姉がたかが俺の無作法で絶望してキレるとか無理な話なのだ。
あそこまで感情が不安定になるとかありえない。
誰かが手を引いている。
本当に――
本当に、ただ俺に絶望してキレているのであれば説得する。リキマルを説得して、俺が死ぬことを了承させればいい。さすがに怪獣大決戦は避けておきたい。どっちか勝っても最終的にはどちらも死ぬことになる。
俺達はそういう世界で生きているのだから。
「姉さん、聞こえる? たぶん聞こえてないよね。今、姉さんが何を考えているのか俺にはわからない。昔の俺ならわかったのだろうし、そもそもこんな状態になっていないのかもしれない。けどさ、こんな状況でもそれはそれで悪くはないと思っているよ。俺が姉さんを蔑ろにしてきたツケが回ってきたって、わかったからさ。まあ多少は苦しいと思うけど少し我慢していてくれ。ほら、姉だろ」
俺は全身に力を込める。
何をするべきかわかっているし、俺の予想が外れていた場合の最終的な着地地点も決まった。
問題はない。
あとは成功するか失敗するだ。
「おい、誰かいるんだろう! 御剣理昇に並行世界の未来を見せた背広クソ野郎だと思うが潜水艦ゲームと将棋で俺に勝てると思うなよ! いざとなれば盤面ひっくり返して顔面にパンチする最強の異能者だからな、俺は!!」
数百の矢を準備する。
既に加速状態にあり最高速で飛翔して破壊を撒き散らす矢だ。
この森は広いが濃霧でカバーするのは難しくない。瑞香の能力を取り込んでいるのだ。むしろ楽勝だろう。今度は俺がリキマルが使っている遠見のフィードバックを受けて濃霧や遠見の再設置、攻撃を行わせる。俺は俺で姉の傍に張り付いている可能性を考慮して指示を出しやすさそうな場所に攻撃を続ける。ただそれだだけだ。
相手が透明人間だろうと時を止めていようと空間的な跳躍をしようが関係ない。絶対に濃霧に穴が空く痕跡が残る。どうにかして穴をカバーしようが、分解用の鍵を逆に使った個人ナンバーの入った異能をまったくの同一で水分子の進行方向まで変化させずに置き換えるのは不可能だ。
仮にそれができるのであればこんな俺にすら「姉が操られている」と判断できるような粗雑なことはやらない。もし、仮に、本当にそれだけの力を持つやつが、俺にそう判断させるように行動しているのであればそいつは救いようのない大馬鹿だろう。恐ろしく低レベルで幼稚なやつだ。
「さあ、聞こえているか。今度は俺が追い詰める番だ」
俺は、矢を発射する。
姉が、手を振るう。
辺りが一気に爆発と収縮を繰り返し始めた。




