1st.盗人と使徒(2)
いつか救われる。きっと。
ファスティアは温かな気持ちで一杯だった。
確かな充実感と、未来への希望。
すっかり夜になって、普段なら少し怖いと思う闇も、なんだか明るく見える気がする。
(黒髪の使徒かぁ、どんな人なんだろ。)
ひょっとするとおとぎ話の死神みたいにおっかないかも。
そう思うと寒くもないのに身体が震えた。
やめだやめ。
三日月で光も少ない夜に、そんな事考えてたら気味が悪い。
せっかく少し怖くなくなったのに。
すがるように胸元のロザリオに触れた。
「ファスティア、ファスティア……!」
「ん?………えっ」
影からコソコソと声がした。
そちらを向くと大きな声が出そうになったが、指を口元に慌てて当てるネマに、釣られて声を塞いだ。
周りを見ながら彼女に近づく。
「なんでまだここにいんだよネマ」
「あんたが心配だからよっ、大丈夫だったの?」
「おん、ふつーに届けたぜ」
「意地悪いねあんた、よくやった」
「だろ」
「いや違う、そんな事が言いたいわけじゃないのよ」
思わず本音が出た彼女にくすくす笑うファスティア。
あきれたように、でも笑う様子を見るに、彼女もスカッとしたようだ。
「でも気をつけなさいよ、ねちっこそうだから」
「わーってるよ。でも俺わりぃことした気しねぇけどな」
「盗みは罪でしょ?」
「あ、そっか」
「あんたねぇ……」
まるで忘れてたみたいに話すファスティア。
仕方ないという顔で笑うネマ。
この場所じゃ、盗みは優しい方だ。
殺されることすら平然と起きる。
でも罪は罪だ。
「……でも本当に気をつけて。宝石の神官も彷徨いてるから。」
「げ、まじか。やっぱ俺探し?」
「そりゃそうよ、使徒の紋章よ?神様から直々に渡されるって噂の。下手すりゃ人の命より重いわよ」
「そんなもんガキに取られんなよぉ……」
ええ……と呟くのも無理はない。
「……私、そろそろシゴトあるから。くれぐれも、気をつけてね。」
きゅ、と手を握るネマ。
思わず肩が跳ねるのも無理はない。
少し冷たい。
柔らかな皮膚の感触。
黒髪と差別され、人扱いすらされない彼に触れてくれる人なんて、彼女くらいだ。
月の神官たちですら、手袋越しで触れるのに。
3年くらい前だろうか。
ボロ雑巾のような自分に、傷薬をくれたのが彼女だった。
「感謝してよね」
そうやって笑う彼女が、ひどく神様みたいに見えて泣きじゃくった記憶がある。
そんな俺を戸惑ったように見ていた。
感謝を伝えると、少し目線を泳がせたあとに薬の塗り方を教えてくれた。
「……変な子ね。というか、バカじゃないの」
そう言って、そばにいてくれた。
元々彼女は裕福な家だったらしい。
気がつけば借金が膨らんで、美しい髪と顔を持つ彼女は売られた。
その売られた先から逃げて、スラムに生きている。
子供の自分じゃわからない方法でお金を得て、綺麗な姿で宿へ行く。
危険なことじゃないのかと心配すれば、子どもはそんなこと気にしないのよ、と笑ってごまかす。
そしてまた着飾って、夜の街に消えていく。
たまに今日は大儲け!とかいって、よくケガをする俺に塗り薬や食べ物をくれる。
どうしてここまでしてくれるのかは、全くわからない。
(口は悪いけど、ほんと優しいなネマ。)
彼女を思い浮かべながら、瞼が重くなっていった。
少し風通しがいいこの路地裏が温かいのは、気の所為だと思う。
たぶんこれは、夢だ。
そう思ったのは、目の前には何もないから。
下も上も分からず、手足も動かない。
眩しいようで、心地良い。
ぼんやりとした意識に、また眠りそうに。
夢の中なのに、おかしな話だ。
ふと気がつく。
だれか、いる。
だれかが、みている。
それだけ気づいた。
どこだ。
どこから。
ファスティアはその方向に顔を向ける。
大きな衝撃を感じて、初めて身体が動いた。
目を見開くと、いつもの路地の地面に、赤色が足されている。
赤はどんどんと地面を侵食していって、鈍い頭の痛みと頬を伝う感触から、この赤が血だとわかった。
「いい夢は見れたかね…?えーと、……なんだったかな」
「ファスティアで御座います、ジェラルド様。一応は登録がありました。孤児で目立った犯歴はありませんが、スラムでは有名な盗人のようですね。」
聞き覚えのある粘着質な声と、スラムに似合わぬきちんとした声。
顔を上げようとしたら、さらに地面に叩きつけられる。
「こちらが、例の紋章を盗んだ輩ですか。」
「ああそうだとも。手間かけさせた分は覚悟したまえよ、坊主」
にたりと笑う不細工な顔と、ゴミを見るような目が刺さる。
間抜けな宝石の使徒のことは見覚えがあったが、もう片方は知らない顔だ。
随分とカラフルな髪色で、ステンドガラスのようだ。
大胆な色合いの割に、いかにも小物そうな細身の男。
ぎょろりと細い目でこちらを見ている。
同じ紫色の紋章が胸元についていた。
「一人じゃ何もできねーからってわざわざオトモダチ連れてきたのかぁ?良いご身分だねおっさんっ、」
「おやおや、ずいぶんと躾のなってない子ですね……髪相応の身分ですこと」
「威勢がいいのう、ほっほ。やっとその色に違わぬ姿勢になったのう。やはり坊主、おまえは地面がお似合いじゃよ。」
思わず眉を顰めた。
なぜ同じ人間でありながら、髪色程度でこんなに言われるのだ。
ましてやこのカラフル野郎は初対面。
いつものことではあるが、いい気になるわけがない。
睨み返すと、地面に押さえつけていた男にさらに殴られた。
「よい、勢い余って気絶されると困る。……連れて行くぞ」
「おら立て!」
「っぐ、……」
わけがわからないまま、痛みに耐えながら歩く。
頭がぐらぐらとして、まっすぐ歩けない様子を、叩かれながら正された。
朝焼けで夜から明るくなっているというのに、不気味な紫色だった。
連れて行かれたのは、スラムで唯一目印になるとも言える、汚泥が溜まる噴水前だ。
こんな時間だと言うのに、やたらと人がいる。
見たことのあるみすぼらしい飲兵衛の爺さんから、小綺麗な格好の夫婦まで。
周囲を宝石で着飾る兵士のような奴らが取り囲む。
これだけの人を雇ってまで、やる事なのか。
よほどあの紋章は大事なのだと、今になって気づく。
幼子の泣き声がするが、ジェラルドは耳障りだと舌打ちをした。
「静粛に!!!!!!」
圧のあるまっすぐな声が、夜のスラムを駆け巡った。
ビリビリと指先にまでくる衝撃。
その細身のどこからその大声が出ているんだ、場にそぐわない疑問を抱いたのもつかの間、次の言葉に真っ黒になる。
「この者は卑しくも宝石の使徒!紫階級ジェラルド様の象徴である階級証を盗んだ極悪人である!」
「っな…」
「さらには!空の象徴である瑠璃ガラスを傷つけ!御羽を千切っていたとの報告も受けている!」
広場に嫌などよめきが広がる。
「異端者ってこと?…」
「うわ、黒髪じゃねあれ?」
「不吉よ不吉……」
「それは、俺は」
「何が違うのだ?」
カラフル髪が冷めた目で見下ろしてくる。
「神の前で、それは嘘だと言えるのか?」
「っは、……っは……」
「うわ、まじなんだ」
「くわばらくわばら……」
「悪魔じゃ……」
言葉が出なくて浅い息に溺れる。
神に口を塞がれてるようで苦しかった。
その様子を、まるで正当な手順なのだと理解し始める周囲。
心も、体も、逃げ場がない。
勝ったような顔でにちゃりと口を歪めるジェラルド。
「悪人はどっちのほうよ!」
どよめきを切るように、反対側で聞き覚えのある声が近づこうとしていた。
お嬢ちゃん無茶するな!と言う声と共に声が響く。
「あんたよりも明らかに小さな子に何人で集ってんのよこの卑怯者ッ!!アタシに振られたからってムキになってんじゃないわよ良い大人が!!」
「あの小娘……ッ!」
思わずじわりと熱いものが目を伝う。
やめろ、ネマ。
あとで恨まれるようなことは。
俺は、いつものことだから平気だから。
なのに何故こんなにも、ほっとしてしまうのだろう。
「ファスティアはアタシがそいつから逃がすために気を引いただけよッ、このスケベジジイ!!ナンパも出来ないからってあてつけに子供いじめるなんてどんな神経してんのよっ!」
「何、あの子?」
「使徒さまがそんな事する?」
「でもあの子、真っ白な髪の子だぞ」
「よほど信仰深くないとあんな綺麗にならないわよね……」
彼女の叫びで、明らかに嫌などよめきが困惑に変わった。
何より、視界の端でカラフル髪が驚き動揺している。
「ええい黙れ小娘ッッ!お前ら何をしてる!!我々の裁きを邪魔する不届き者じゃ!!はよ止めんか!!!」
「ジェ、ジェラルド様しかしあれは…」
「っやめろ!!ネマに何すんだっ!」
「動くなガキッ!お前は裁きが終わるまで動くな!」
さらに地面に頭を擦り付けるように、強く押さえられる。
「ファスティアッ、!」
悲鳴のように名前を呼ばれる。
血の味と土の味。
慣れてるとはいえ不味くて仕方がない。
擦れる頬の痛みが、まだ生きていると知らしめてくる。
「ビーンズよ、忘れるな。このガキを捕らえているのは、それだけではない。」
焦ったようにも聞こえるが、妙なことを言っている。
「それだけじゃねえって……?」
「ふん、覚えがあるだろう?今のうちじゃよ」
「何のことだよ?」
見下ろしていた顔が近づいた。
鼻息荒く、怒鳴るジェラルド。
「先日このスラムに、我らの教徒である“天使”様のご遺体が見つかったのだ」
天使。
ご遺体?
「え、このスラムで!?」
「なんということじゃ……」
困惑する俺にさらに問いかけてくる。
「どうも、殺された可能性もあるようなのだ。……のう坊主?
貴様、羽根を抜くのが趣味なのだろう?まさか烏様に飽き足らず……」
「こじつけがましいわよこのジジイ!!」
頭に血が上りきっているのだろう、息を荒げて顔を真っ赤にさせながら叫ぶネマ。
「だったら何!?その子を天使殺しにするつもり!?ふざけないでよ、その子がそんな酷いことするわけ無いわっ!!」
「だが、羽根は抜いていたんだろう!?怪しいに決まってるじゃろうが!
ましてや黒髪、邪教徒の可能性も高いときた!
それとも貴様は他に心当たりでもあるのか!」
「あんたねぇ………ッ!」
ネマの声色で、もう爆発寸前だと分かった。
止める前に彼女は叫ぶ。
「そんなひどいこと、ファスティアがするわけない!あんたの方がよっぽど人を殺しそうよ!」
「っ貴様!!使徒を愚弄したか!?」
汚名を着せられたとばかりに怒るビーンズ。
ネマは止まらない。
一度爆発すると、良くないことまで言うのは彼女の悪い癖だ。
「いくらでも馬鹿にしてやるわよ!どいつもこいつも、石頭ばっかね!!」
「石頭、だと………!?」
宝石の使徒にとっては、石扱いは地雷のようだ。
様子見していたビーンズが目つきを鋭くして彼女を見ている。
「使徒を愚弄したんじゃないわよ、そのデブを貶してるだけよ、そのカラフル髪に思考回路費やしてんじゃないのかしら!?」
「黙っていればスラムのアバズレ風情が……ッ!」
このままではネマまでこいつらに目をつけられる。
どうして?
なぜここまでされなければならない?
俺が紋章を盗んだから?
ネマがこのジジイの誘いを拒否したから?
……違う。
(俺が、黒髪だから?)
現にこの混沌の中、動こうとしているのはネマだけだ。
他は様子見している。
だって、神の使徒はトクベツだから。
間違うわけがなくて。
そして俺は、黒髪。
俺が何をしたって、間違いになるんだ。
でも。
(理不尽に声を上げるのは、だめなことなのか?これでネマは捕まるのか?だから俺も?)
俺には何もない。
できるのは盗むだけ。
大事なモンも守れない、ただの盗人。
分かってる、俺に力がないだけだ。
でも。
神様がいるなら、俺も見てくれよ。
誰も教えてくれないから、形ばかりの信仰を捧げた。
盗むのも生きるためだけにやった。
家族だって助けようとした。
神様には、この二人が正義でネマが悪に見えんのか?
コイツラに汚名を着せるのは罪で、俺に汚名を、罪を被せるのは良いのか?
俺は地面が妥当なのか?
「………ちくしょう、」
ビーンズがネマに向かうのを横目で見ながら、涙が出る。
思わず潰れた声が出た。
誰でもいい。
ちゃんと見てくれ。
俺を、ネマを、こいつらを!
ふと、傷口に熱さを感じた。
視界の端を、日の光が見えた。
気がつけば紫の空は赤く焼けていた。
日が昇り、暗かったスラムへ光が差し込む。
噴水周りの騒音がぴたりと止まった。
急に、誰の声も聞こえない。
何かが起きた。
地面と誰かの靴しか見えない視界で、それだけが確かにわかった。
「騒々しいですね。」
知らない声だ。
無機質で、夜みたいな静かな声。
夜明けと相まって、この状況を救ってくれるような予感がした。
「め、メフィスト様………」
「あれが噂の………」
小声で宝石の神官達の声が聞こえる。
こつ、こつ、と革靴の音が近づいてくる。
「で、これは何のおつもりで?
宝石の使徒殿と、その配下の皆様。」
俺のすぐ横にいる。
服のずれる音がしたあと、土埃にまみれた俺のロザリオを持ち上げた。
ちゃり、と古びた鎖の音がする。
「………我々の信徒を、なぜ踏みつけているのですか?」
ひっと息が漏れる音と同時に、踏みつけていた足ごと離れていった。
一気に人が離れ、圧迫感も消えた。
どうすれば良いのかと固まっていると、また声が振ってくる。
「……いつまでそうしているのです?それが貴方の趣味ですか?」
「っ、え、あ、……はい、し、失礼します……」
まるで怒られているような気がして、慌てて、顔を上げようとする。
でもずっと地面に突っ伏していたからか、上手く起き上がれず、頭がフラフラする。
それでも何とか、顔を上げる。
「……あ」
その人は思ったよりも近くにいた。
しゃがみ込み、興味深そうに俺の顔を覗き込んでいる。
朝日の逆光を浴びながら、それでもなお艶髪は黒く揺らめいている。
瞳はなおも黒いのに、わずかに星のように金色が光り、胸元は太陽のような真っ赤な紋章が、彼の威光を示している。
「……黒髪の、使徒様」
呆けたように思わず呟いた。
少し目を見開いたあとに、変わらない無表情で俺に手を伸ばしてくる。
思わず反射的に目を瞑る。
やっぱり、顔を上げてはダメだったのか?
少し怯えていると、頬に指の感触がする。
「え……あ?」
「め、メフィスト様!御手が汚れます!」
慌てたようなビーンズの声を無視するようにじっと俺の顔を見ている。
さら、と頬を触れたあとに一言。
「……傷に泥がついている。すぐ洗ったほうがいいな。」
目を見開いた。
俺に触れるだけではなく、傷の心配まで。
メフィストの言葉を聞いて、慌てたように近づいてくる二人組。
「手当は任せます。……私はやるべきことがあるので」
そう言って目を閉じたあとに立ち上がる。
向き直るは宝石の使徒。
俺は教会の神官二人に大丈夫か、と声をかけられながら、彼から目を離せなかった。
これが、ファスティアとメフィストの最初の出会いだった。
いつか救われる、きっと。




