1st.盗人と使徒(1)
この話は救われる話です。
きっと、いつか。
自然、街、人々。
それらとともに、当たり前のように色とりどりの翼を携えた天使達が道を歩く。
道を譲るのも当たり前。
手を合わせている人。
偉そうな男も、ペコペコと頭を下げている。
供物として今買ったケーキを捧げている老夫婦だっている。
信仰深ければ当然の行動だ。
「……ケーキ、いいなぁ」
そんな高貴な方々が来るはずのない影がある。
喧騒、焦燥、嫉妬、嘲笑。
ありとあらゆる掃き溜めの場所。
少年は日の当たらぬその影から、その様子を見ていた。
ポツリとこぼした言葉は、誰にも届かない。
老夫婦と目が合う。
先ほどまでにこやかにしていたのに、一気に厳しい顔になった。
それを見て、少年はスラムへ戻っていく。
その場所では、信仰の言葉より暴言のほうがよく響いている。
そこに、1人の少年がいる。
「お、今日のメシはあたりだ!」
そういって黒に近い青の瞳を輝かせた。
ゴミを漁り、比較的新しい果物の残飯を見つける。
わずかな酸味と甘み、いつもの嫌な酸っぱさがないことに、彼はご満悦だ。
「………ん」
彼が食事を楽しんでいると、客が現れる。
空色のカラスが数匹集まってきた。
「お、お前らもきたのか。おはよ」
カラス達は慣れたように彼を小突いたり、腕に乗ったりしている。
彼は邪険にすることなく、ゴミを漁る様子を見ていた。
「おいおい、俺の飯もあるんだぜ?ったく…代わりにお駄賃は貰うからな?」
彼等の食事を見守りながら、準備運動のように手を動かした。
少しの空白。
カラスは何も気づかず、餌を貪っている。
そしてその指は、カラスの美しい空色の羽を一つずつ奪った。
「カァ?」
一羽だけ不思議そうに彼を見ている。
「まいど。あ、今日はあたりだから結構いいのあるぞ」
そう言ってニコニコ笑った。
そして奪った羽と、胸元のロザリオを彼らに掲げながら
「えーとなんだっけ、“空の祝福が在らんことを”」
形ばかりの信仰を捧げた。
「ファスティア」
「げ………ネマ」
そこまで暑い季節ではないのに、深く帽子をかぶる女性。
よく見ると、真っ白な長髪をできるだけ見えないように束ねている。
だがその美しい顔は隠せていないので、死んだ目線が集まりつつある。
「まーた御羽を盗んだのね」
「何しにきたんだよ、目立つから来んなよ」
ファスティアは嫌そうな顔を隠せない。
その顔を見ても彼女の言葉は止まらなかった。
「貴方も同じよファスティア。その手の中のものは何?」
「オジョーチャンにゃわかんねーだろうけど、これがねぇとやってらんねぇの。」
「何がお嬢ちゃんよ、馬鹿にしてるの?私、前にも言ったわよね?御法度なのよ御法度。私達人間如きが触れていいものじゃ無いのよ」
腕を組み、叱るネマ。
「触れるもなんも、こいつらからくるんだぞ?」
そう言って手を広げ戯けるファスティア。
肩や頭に乗り、一羽に至っては見せつけるように頬擦りしてきている。
少し固まって、カラス達を見た。
苦虫を潰したような顔で言う。
「でもダメよ」
「なんでよ」
「カァッ」
「瑠璃ガラス達も言ってるぞ。俺は見つけた残飯をあげる、俺は代わりにお駄賃をもらう。どっちもヤッター!ウレシイナ!でいいだろ」
「あんたねぇ!」
軽口を叩く様子にいよいよ苛立ちが隠せないようだ。
「ただでさえあんたは黒髪みたいなもんなんだか……ら」
少し前まで、スラムらしからぬ日常的だった空気が、一気に重たくなった。
ネマは口を両手で塞いだ。
でもすでに言葉は出た後だ。
「………ごめん」
「…………ん」
ネマは明らかに狼狽えていた。
だがファスティアはそのまま瑠璃ガラスを撫でる。
笑顔でも、真顔でも無い。
でも穏やかな顔で。
瞳からは明るさが消えた。
瑠璃ガラスは嬉しそうに一鳴きした。
「……っでも、わたし、心配してるのよ」
「うん」
「ただでさえあなたのこと、その……良くないもののように思う人がいるのに、ね?そんな……」
「うん」
「…………っ!……ファスティア、………ね、良い子だから………そんな危ないことはやめましょ?」
「……………」
「ファスティア……っ」
さらに言おうとして、彼と目が合った。
黒にも見える、深い青の瞳。
ネマは思わず息を呑んだ。
そんな彼女を静かに見つめたまま、ふっと笑った。
「うん、分かってるよ」
眉を八の字にしながら、彼は笑った。
ネマの喉から音が漏れた。
そんな2人を現実に戻す、大きな影。
「お嬢ちゃん、ずいぶん素敵なお召しもんだねぇ?」
少年少女はハッとした顔で声の主を見上げた。
どっぷりと太った男が彼女を見下ろし、筋肉質な男が少年を見定めた。
太った男は粘着質に顔を歪ませた。
「こんな場所にどうしたんだい?道案内ならしてあげるよ」
「……結構よ、これでも道には詳しいの。あんたみたいな不細工に用はないわ。こうみえて相手は選んでんのよ」
「あ?何調子乗ってんだガキ」
ファスティアはネマの言葉に思わずギョッとした顔をする。
案の定筋肉質な男が迫ろうとしたところを、手で静止する太った男。
筋肉質な男はぴたりと動きを止めた。
その様子を満足そうに頷いた後に、さらに言葉を続けた。
「…おやおや澄まし顔も素敵だね。元々はここにいたのかい?これでもわしはこの辺りでは顔がきく方でね。
目上への作法はきっと詳しいだろう?」
するりと不細工な指で、華奢な肩の上を滑らせた。
強く拒否していたのに、その感触には眉を顰めた。
ファスティアはハッとした。
この男に見覚えがある。
…先ほど、天使に頭を下げていた男だ。
ああそうか、と納得する。
天使に相対せるのは、それなりの地位の人間か、金持ちか。
身なりは綺麗だし何よりその胸元に。
「なぁに悪い話じゃないだろう?
一晩わしの家に来てくれれば、それ相応の宝石を渡そう。」
「っ…………こんなところに来る人間、貴方には不相応ですわ」
ネマも気付いたようだ。
___胸元に光る、紫色の教会の紋章に。
最低の地位とはいえ、あの教会の人間だ。
下手な対応はできない。
どうする?
ネマは嫌がっているように見える。
でも男は引き下がらなさそうだ。
加えてこんな大男、まともに戦えはしないし、普通逃げきれない。
そう、ネマだけなら逃げきれない。
再度彼は指を動かす。
ばらばらに動く様は、まるで蛇。
その様子に、そばで守るようにいた瑠璃カラス達が飛び立った。
太った男はいやらしい目線を懐に収め、ファスティアを見定める目に変えた。
「……坊主、関わって得になるものと、損になるものが世の中にはある。
これは後者だ、そうだろう?」
その言葉に警戒する筋肉質な男。
驚くネマ。
「っ、あんた……」
ファスティアは深呼吸した後に、にかりと笑った。
「……でも、女の子守れない男ほどだせぇもんはないじゃん。このすけべじじぃ」
「ほっほ、英雄気取りか?女も知らん子どもが、若いのう。………おい」
愉快そうに笑った後、目で指示を出す太った男。
パキパキと指を鳴らす筋肉質な男。
小さく首を振るネマ。
その様子を見ながら…
急に走り出すファスティア。
「は?」
「あ?」
「えっ」
ファスティアは、距離を置いてニヤニヤと笑った後に大声で叫ぶ。
「これ、なーんだ!」
手のひらを見せつけるようにチラチラと動かす。
手のひらには、紫が光っている。
一気に血の気が引いていく太った男。
「っこの、戯け!!お前のようなものが触れていいものではない!!」
「そんなモンをこんなスラムのガキに取られちゃヤバいだろ〜、そんなもんなの?護衛さんも全然役に立たねーなぁ!くそだっっっせぇ!」
ぎゃはははと笑う様子に、大慌ての太った男と、挑発に顔を赤くする筋肉質の男。
「これ落とし物ですって教会に出してくるわ!じゃあな!」
「このクソガキ!おい、追え、追えぇぇぇ!」
「ファスティアッ!!」
「じゃーなネマ!もうこんなとこ来んなよー!」
全速力で走り出すファスティアと、本気で追いかけ出す大人達。
「ファスティア、何度だって聞くぞ。
本当にこれ、落ちてたんだな?」
「しつけーなぁ、本当だって!見るからに高そーなもんだからわざわざ届けたんだぜ!
どうだ?偉いだろ!」
月明かりが照らす、小さな建物横。
十字架の代わりに月の模様が描かれている教会裏で、青年2人と少年1人が小競り合いを続けている。
最も、青年2人は頭を抱えているが。
「わーった、わーったよ!……くそ、三日月の日はついてねーな本当………」
「あんだよその言い草、仕事しろよ使徒候補さん達よ!」
「お前、これがどういうもんかわかってっか?俺らですら触るなんて烏滸がましいもんなんだぞ…!?」
1人はどうぶつぶつと何かを考えており、1人は青筋を浮かべている。
情けない。
ファスティアには到底この2人が偉そうに見えない。
だが背中には堂々と月を彩る紋章が光る。
「じゃあ俺ぁそれ持ってっていいのか!?よく言ってんじゃん、カミサマの前で誓えることをしろって!」
「しーっ、しーっ!馬鹿、デケェ声で滅多なこと言うなよ……!」
ハッとして口を結ぶ。
大人しくファスティアはこくりこくりと頷いた。
その様子にほっとした顔をする二人を見て、思わずおかしくなって笑うファスティア。
「ったく笑い事じゃねーよ...でもあんがとよ」
「へへ。あ、そうだ、これ!」
忘れるところだった、と言いながら取り出すのは瑠璃ガラスの羽だ。
二人は目を丸くしたあとに笑った。
「お!取ってきてくれたんだな!」
「ああ!頼まれてたしな!でもこんなもん役に立つのか?」
「おう、何かとありがたいもんだからな!やるじゃねーか」
そう言って汚れた髪の毛に構わずワシャワシャと撫でた。
革手袋の感触。
よほど嬉しいのか、ファスティアは口元をきゅっとすぼめた。
いつも通りの僅かばかりの金銭を用意しながら、感心したように言葉が出た。
「よく綺麗に取れるよなー。暴れただろ?」
「いや?大人しいよ。あいつら俺と仲いいし」
「仲いいとかあんの?鳥様と?」
「あるよ!」
「あんま変なこと人に言うなよ、神様に異端者!って言われちゃうぞ」
軽く言ったつもりだったのだが、目線が泳ぎ、手をぎゅっと握るファスティアを見て、様子がおかしいと気づいたようだ。
「…なんかあったか?」
「別に、黒髪みたいって言われただけだよ」
「「あー…」」
納得した顔で見てくる2人に、さらに心がキュッとした。
「でもそればっかしはしゃあねえもんなー。でもちゃんと信仰してるだろ?」
「俺等のいうこともちゃんと守ってるしな。」
「うん…」
少し震えた瞳は、二人を見上げた。
月明かりが絡むと、青が引き立つ。
「それにファスティア。噂じゃ、黒髪の使徒様がおられるらしいぜ。」
「え!?」
「なぁ、ファスティア。
いい子にしてればきっと、お前だって神官になれるかもしれねーぞ?」
「…………!」
神官になる。
これは現状考える限りの最善策。
少なくとも残飯を漁る日々とはおさらばできる。
「なぁ、その…本当に、その使徒様は真っ黒なのか?」
「らしいぞ。でもすげぇ厳格らしい」
「ゲンカク?」
「んー…めちゃめちゃ……キビシーって感じだな。」
ニヤニヤとしながら片方が指をさす。
「法にうるさいらしい。お前なんか変な態度とったらあっという間に収監されるぞ」
「なんでだよー!?」
「そーいうとこだよ!」
「口調に気をつけろ!一発で育ちがよくねーってバレるぞ!」
「しょーがねーだろ!?俺の周りそんなんしかいねーんだから!」
「はぁー!?こいつ!」
そう言って指を差し返す。
困ったように怒りながら頭をグリグリと拳骨で擦れば、良い鳴き声がなった。
それをケラケラと二人が笑ったあとに、その様子を見てファスティアも悪い気はしなかった。
「ほら、そろそろ帰った帰った。あんま長居するとじゃねーぞここは。」
「ええ、けちんぼ...」
そう言いつつも、明らかに眉毛が下がった様子に、同じような顔をしながら笑いかける2人。
「………またな」
「………ん、またな!オツトメお疲れさまです!“空の祝福が在らんことを”!」
「おう!“空の祝福が在らんことを”」
「“月明かりに見守られんことを”」
別れ際に互いを祝福し合った。
穏やかな空気に微笑む2人と、見えなくなるまで手を振るファスティア。
「ほんと、あいついい子だよな」
「ああ、ほんとに。あんなに黒に近い髪でさえなけりゃ、もっと見る目もちげぇだろうに……」
可哀想だな、とポツリ呟く神官。
同じようにため息をつくもう一人。
「……ま、俺達は俺達の仕事をやろうぜ。きっといつかそれも救いになるはずさ」
「おう。…………まずは、なぁ」
「………これだなぁ」
手のひらの紋章。
二人で見合ってため息をつく。
目を見合わせたあとに小さくうなずき、教会の中へ入っていく。
一般の人もはいれる祈祷室の奥。
鍵穴に、月模様の描かれたカギを差し込んで、扉を開いた。
その奥には月を模した模様が広がり、ぽつんと水晶のようなものが置かれている。
二人はその前にしゃがみ、頭を下げる。
水晶はまるで月明かりのような光を放つ。
やや黄金を感じさせつつ、穏やかな光。
そして音が響く。
『月明かりに見守られんことを』
「「月明かりに見守られんことを」」
いつものように祝福を交わす。
向こうの無機質な声の主は二人の言葉を聞き終わったあとに続ける。
『珍しいですね。そちらの協会から報告とは。』
「はっ、お手数おかけ致します。メフィスト様。」
「恐れ入りますメフィスト様」
某協会のとある一室。
勤務中の彼は、普段は光の灯らない水晶をみて、わずかに目を細ませた。
眩しいほどではないとはいえ、その光に照らされても尚彼の髪と瞳は“真っ黒”である。
僅かに瞳が光るのは、黒のなかに混じる金色の色彩が反射しているからだろう。
長い黒髪を手で遊ばせながら、彼は尋ねる。
「で、何の用件でしょう。」
わずかに息の音が漏れる音がした。
当人は気づいていないが、彼の声はひどく無機質だ。
怒っているようにも聞こえる。
『っ、は。本日拾得がありました。しかしモノがモノなので報告させていただきます。』
「ものがもの?」
『はっ!その拾得物というのが……
宝石の神の使徒様用の、紫の紋章にございます。』
髪を弄る指が止まる。
「間違いはないのですね」
『はっ!』
『2人で確認いたしました』
思わずため息が出る。
目を閉じたあとに、その口はある事実を紡いだ。
「……実は、私からも君たちに連絡をしようと思っていました。」
『………と、言いますと?』
「まさに宝石の協会からとある被害の申し出がありました。
紋章をスラムの子供に奪われた、と。」
嫌な静寂が部屋を包む。
その空気に触れ、違和感を感じるメフィスト。
「心当たりがありますか?」
『っ、………その……………』
「偽りなく教えてください。」
『………申し訳ございません。
まさに、届けてくれたのが…スラムに住んでいる少年だったのです』
思わず目を見開く。
「…………なるほど。確認の必要がありそうですね。
どちらにしても私はそちらに向かわねばなりませんので、そちらで話しましょう。
神託があったので」
『し、信託……ですか?』
「ええ。
天使殺しが発生しました。そして主によると、その犯人は貴方方二人の管轄にいる、とのことです。』
『て、天使殺しが…………!?』
『しかも、主の信託……ってことは………!?』
「相当ひどい状態で見つかったようです。天使の象徴である翼は折られ、何度も刺された跡があり、その宿は血の海だったと。
しかもその天使は宝石の使徒だったそうです。」
向こうはさらに沈黙する。
彼は一息ついたあとに命令をする。
「神の使徒として命令します。
その少年は確保してください。
事情聴取の対象です。
また宝石の使徒、神官にも連絡を。
“月の使徒、赤の階級メフィスト”が、直々に向かう、とね。」
「っおのれ、スラムのガキが!!わしの、わしの階級証を………!」
別の教会にて。
男が鼻息荒く、脂汗を垂らしながら大声を上げている。
「ジェラルド様、只今月の教会側からこちらに連絡が。
階級証を保管しているとのことです。」
「なんだと……!?あの野郎、本当に届けやがった………!」
頭をかきむしる。
その横で、月夜に照らされた色とりどりの髪が風に靡く。
「まずはその盗人を探さねばなりませんね。
我々の被害を月の教会側にも説明するためにも。幸い黒髪とのことですから、捕えてしまえば向こうも納得できるでしょう」
「おお、そうだな………滞りなく頼むぞ」
三日月のように、二人は口を歪めた。
この話は救われる話です。
きっと、いつか。




