四章 加筆:パロマの最期
そして、僕にとって特別な日。
月がとても綺麗な夜だった。
そういえば僕は魚人の町に入ったとき、宿で同じ月を見た。
あのとき心配していた親子、親のほうは死んで、子供は自力で逃げ出せた。
ひどい怪我も癒え、八地区の人たちからも可愛がられている。
もう悔いはないなぁ。
綺麗な月を眺めて、ふとそんなふうに思った。
心はぐちゃぐちゃなのに、なぜかとても穏やかだった。
「敵を前によそ見とは。朱槍の鳩の名が泣くぞ、パロマ殿」
名も教えてくれなかった、魚人の町を愛する人間。
本当は貴方の名前をこっそり調べたんだ。あなたは薙狗の騎士だったんだね。
「失礼しました。つい感慨深くなってしまって。ラディレさん。僕は貴方の名前をよく耳にしていました。なんでも、ものすごい槍の使い手だそうで。いつか手合わせしてみたいと思っていました」
「なんと! こんな状況じゃなければ嬉しかったものを!」
「そうですか? 僕は槍を置く最後の相手が貴方で、素直に嬉しいですよ」
僕は八地区を守るため。彼は魚人たちのため。彼は腰に差した剣ではなく、小振りな槍を握っている。
一歩目を踏み出したのは、ほとんど同時だった。
ラディレの右下から左上へ向けた薙ぎは避けにくく、一歩退いて朱槍でさらに左上へといなす。
そして頭上で円を描くように、今度は右上から左下への薙ぎ。僕はまた一歩退き、彼の穂先を踏んで雪に突き刺し、首に向けて突き出す。
ラディレは一瞬槍を手放し、くるりと身を返すと、槍を引き抜く。
互いに大きく退く。
そして、それから五十合ほど打ち合っただろうか。
こんなに寒いところで互いに汗を流し、血を流していた。
八地区の人たちが退いていき、魚人たちも退いていく。
僕たちは引き分けを宣言するようにふっと笑い、仕方なく引く。
ラディレにも多数の傷を与えたが、僕のほうも結構な怪我を負ってしまった。
彼は思っていたより強かった。僕が槍を置いたら、きっと八地区の人たちは負けてしまうだろう。
頭がくらくらする。もっと長引いていたら、負けたのは僕のほうかもしれない。
どこかで手を抜いて早めに決着をつけてもらえば、上手に死ねたかな。
ボタボタと雪を融かす血に目を落としたところで、背中がかっと熱くなった。
振り返ろうとして足がもつれ、僕は槍を手放して仰向けに倒れた。
あ。
〝君なら、もし傷ついて苦しんでる人がいたら、どうする?〟
〝とどめを刺す〟
脳裏を過ぎった回想はほとんど一瞬で。
「おれ、殺してやるくらいしかできねぇから――」
とても綺麗な月を背に、泣き出しそうな顔で。
僕、槍を置くことができたよ。
ありがとう。
その言葉を言えないまま、僕は死んだ。




