閑話:怒りの代弁者
来たる決行日。
それは天気のいい日だった。
そろそろと押し寄せる討伐隊に、鯨人はのっそりと巨体を起こし、まるで待ち合わせの時間を遅れてやってきた相手に対するような目でじろりと周囲を見回す。
「ずいぶん大げさな奴らだ。いつになったら来るのかと思ったぞ」
「余裕な態度だな。これから討たれるというのに」
鯨人はフシューと笑い声のようなものを漏らす。
「――あれの母親はな、最期にこう残したんだ」
ラディレは少しだけ剣を降ろし、怪訝げな目で続きに耳を傾ける。
「産んであげられなくてごめんね、勇魚ってな。勇魚っていうのは本来、鯨って意味だ。あれは鮫という意味だと思ったんだろうがな」
人間ごときと俺が交わるわけがない、と不快気に顔をしかめ、しかしどこか懐かし気な表情だった。
「いつかあいつに本来の意味を教えて絶望させてやろうと思ってな。あいつには鮫という意味だと教えてやった」
「本当にそう思っているのか?」
ラディレが問うと、鯨人は返す。
「お前の望む真実はどうだった? 人と交わった穢れた魚ども、それにすらなれない半端者どもを従えて、今さらどんな真実を望む!」
ラディレは怒りに震える手で剣を握り直すと、まっすぐ鯨人に向けた。
「過去の亡者に憑りつかれた貴様にも、人への愛が一匙でも継がれていているなら……。そう考えて今日まで魚人と共に堪えた!」
鯨人を前に、人間の持つ剣はあまりに短い。
しかし、勝敗はすぐに決した。
巨大な手が大きく振り払おうとし――その手が止まる。
ラディレの剣は鯨人の腹に深く突き刺さり、それは上方に向かって切り裂いた。
地鳴りのような音を響かせ、巨躯は前のめりに倒れ込む。
それはあまりにも簡単すぎる決着で、意表を突かれたラディレはもう少しで押し潰されそうになった。
「お前は……」
鱗を持つ少年は血濡れのナイフを手に、立ち上がる。
何度も巨躯の背を小さすぎるナイフで突き立てるさまは、つい先ほどまでは非力な少年だと思われていた。
やがて疲れた手はナイフを取り落とす。その顔には汗と血飛沫。
今度は血塗れの手でずたずたになった背を掴むと、鋭い牙で引きちぎって吐き捨てる。
周囲が言葉を失い、誰も彼を止めようとしない。
これだけのことをされる理由が、鯨人には多すぎて。
それでも、魚人たちの怒りを代弁しているにはあまりに激しくて。
肩で息をしながら呆然と膝立ちでいるイサナに対し、足許から怒声が飛ぶ。
「とろくさいやつだ! 同胞に捕まらないところに、さっさと逃げろ!」
立ち上がった少年は迷いのない足取りで、八地区のほうへと駆けていった。




