二章 八地区に差す光:どっちでもいいや
三日間少年と過ごして、いくつか分かったことがある。
一つは少年の名前、ホーク。
二つ目は、今まで必要なものは人から盗んでいたこと。
以前は物乞いをしていたけど、もらったパンに毒が入っていたことが何度もあったらしい。そのたびにひどい苦痛を味わいながら、運良く彼は死ななかった。
怪しい食料を野良犬に食べさせて安全か確認する方法を思いついても、毒が入っていると思うものを、何も知らない犬に食べさせることはできなかったと言っていた。
三つ目は、ホークは本来人と打ち解けるのが苦手ではないということ。
危険な思いをして生きていれば、警戒心は当然のように強くなる。
どうやら彼には良い人や悪い人など見て分かるものらしい。
そのおかげで八地区の人たちが自分を敵視していないとすぐに理解した。
それでも僕のことをどう思えばいいのか分からないのか、気づくといつも僕のことを観察している。
彼の眼にはどう映ってるんだろう。
「パロマもここに来たときケガした? なんでこんなとこにいるの? 事情って?」
突然の質問に、僕は少し困惑した。
「ここに来たときはすぐさま危害を加えないことを伝えたから、ケガはしなかったよ」
「おれはこんなケガさせられたのにな。あんまり覚えてねぇけど」
「ちょっと待って。それはここの人にやられたの?」
聞くとホークは難しそうな顔で考え込んだ。そして、
「違うのか?」
「僕が駆けつけたときには、すでに血だらけだったから……」
警告の矢は放たれた。それを受けてホークが暴れたなら、八地区の人は攻撃を仕掛けてもおかしくない。
怪我は新しいように見えた。でも、それならあの人数で囲んでいたんだ。殺されるか取り押さえられるかしてなかったのはおかしい。
「魚人だったか人間だったか覚えてる?」
「……さあ? よく考えたらどっちでもいいや」
「よくないよ! ここに君を狙う人がいるとしたら、大問題だ!」
「敵が一人もいないほうがおかしい。パロマは難しく考えすぎだ」
「君がざっくばらんすぎるんだよ」
ホークの紅い瞳を見た人は多かった。でも誰かに命を狙われるような気配は感じない。暴れたから警戒する人なら何人かいたけど。
八地区の人にとって戦う相手は魚人だ。こんな考え方はどうかと思うけど、そのおかげで鬼子へ関心が向かなかったのは幸いだ。
それらの考えが間違いだとすれば、これからはここにくる患者なんかを全て警戒しなくちゃならない。
「本当に覚えてないんだ。ぐちゃぐちゃに走ったし、魚人も見た記憶がないし。いてぇなって思いながらずっと逃げてて、気づいたらベッドの上にいたような」
たしかに錯乱した様子だったから、むしろ覚えていないほうが自然だ。
でも、それじゃあホークは、いつから錯乱して、いつから朦朧として、何を忘れた?
「自分がどこから来たのか覚えてない? どこに住んでたとか、頼れる人や親しい人は誰もいなかった?」
「……人がたくさん死んだ。腐った町があって、眩しい部屋に閉じ込められて、暗いところを探して、誰かに盗みを教えてもらって、それから、わけ分かんねぇやつらが集まってきて、あと人が殺された」
どうやら極端に記憶が混乱しているらしい。
ただ表情と断片的な話から察するに、嫌なことがたくさんあったことなら分かる。
きっとホークは、今までずっと逃げたり戦ったりしなきゃいけない環境にいた。
「嫌なことを聞いてごめんね。この話はもうおしまいにしよう。それともまだ話したい?」
暗く沈みかけていた瞳に光が戻る。
「パロマのこと、まだ聞いてない」
僕はしばらく考え、数日前に自分で言ったことを思い出した。
〝難しい事情があって、ここでお世話になってるんだ〟
「ここは八地区。拒絶の石壁を越えてすぐのところにある魚人の町の人たちと八地区の人は、長く争ってる。僕は魚人たちが気さくでいい人が多いことを知ってる。だから、どうしてここの人が魚人と争うのか少し興味があったんだ」
僕は少し嘘をついた。
魚人に会う前からここでの争いのことは知っていた。でも争いのことを先に知っていたなら、なぜここに来たのか気になるだろう。
すると僕は、歴史を記すためと答えるしかなくなってしまう。
ホークの平穏を望むのなら、このことはなるべく隠しておいたほうがいい。
僕たちが歴史を記し続けていることは、知られたくない人たちに知られるだろう。いつか、ひょっとすると、すでに。
彼が関係者と思われて捕まってしまう可能性を、作ってはいけない。
そこまで考えてハッとした。
彼はすでに、僕と関わってしまっている。
「……ここに来て、医者がいないことを知った。だから僕は、医学を学びながら医者替わりをしてるんだ」
「パロマ、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「平気だよ。ちょっとケガが痛んだかな」
どうにか誤魔化しながら話を収束させようとすると、ホークは血相を変えて立ち上がる。
「おれがやった? わ、わりぃ! 思い出した。パロマのこと、蹴った気がする」
ホークは強引に僕を引っ張り、自分が座っていたベッドに無理やり寝かせた。
そしてがちゃがちゃと薬棚を漁り始めたから、僕は慌てて止める。
「もう手当てしたから大丈夫! 痛み止めを減らしたくないから、このままでいいよ」
「パロマも薬がダメなのか?」
頷くと、ホークはしゅんとして戻ってくる。
つかなくていい嘘までついてしまった。心配をかけたくないだけだったのに。
気遣わしげに見上げるその頭を撫でながら、一つ思いつく。
「じゃあ僕も休むから、君もちゃんと休むこと」
言って抱え上げると、彼を隣りに寝かせる。
「パロマより元気だって!」
「君がちゃんと休まないなら、僕も起き上がるよ?」
ホークは少しむすっとして、すぐにまどろみ、すやすやと寝息を立て始める。
やれやれと立ち上がろうとしたら、裾を引かれた。器用なことに掴んだまま眠っている。
勝負で言うなら引き分け、喧嘩で言うならあいこってところか。
仕方なく横になり、僕たちは仲良く午睡を堪能した。




