二章 八地区に差す光:謝罪の言葉を忘れた人々
一日ぶりの白い家に帰り着くと、そこでは思ってもみなかった光景が広がっていた。
「ああ、パロマ。呼びに行こうか十回ほど考えた」
僕が少年のために借りた家の主は、困った顔で誰かと言い合っている。
「何事ですか?」
「パロマか。ほら、見ろ。ちゃんといるじゃないか!」
「なんだ。ここに嫌気が差してついにいなくなったかと思った」
軽い怪我を負った人が三人。興味深げに僕が抱えているものに目を向ける。
「あ、この子のことは、もうしばらく放っておいてくれると助かります」
僕は彼らを差し置いて奥の患者用ベッドがある部屋に行くと、そこに少年を降ろした。
「うるさいかもしれないけど、寝られそうならたっぷり眠ってね。枕元に水と呼び鈴を置いておくから、何かあったときに鳴らしてくれたらすぐに来るよ」
それだけ言い置くと、僕は騒々しいお客さんたちの元に戻る。
「さあ、まずは座ってください。立ち話は聞きません」
四人がけの長椅子を勧めると、みんな行儀よく座ってくれた。
「手当てをしながら聞きます。この騒ぎはなんですか?」
一人目は左頬が軽く腫れている男。
「さっきも言った。お前がここから出ていったんじゃないかって話したんだ。そしたらこいつに殴られた」
「なるほど。もともとはどんな用でここに?」
「これを届けに来た。まさか自分に使うとは思ってなかったがね」
顔腫らし男はアモーレから届いた薬を湿布に加工してくれている。
「ありがとうございます。ちょうど無くなりそうだったので助かります」
それでそちらは? と二人目に尋ねる。一人目の顔を殴った張本人だ。
「俺はこの傷を診てもらいに来たんだ。思えば我慢して家にいれば、胸糞悪い思いをせずに済んだものを……」
おじさんはずっと前に魚人との戦いで足を折った。今はもうほとんど良くなり、それでもまだ痛むことがあるから時々診ている。
「腫れてはいないようですね。痛み止めだけ出しておきます。痛むときに一錠ずつ飲んでください」
僕はそれだけ言うと、三人目に話を聞く。川で魚を獲ってる女性の漁師だ。
「私は水と魚を届けに来ただけだ。そしたらそこの不細工に物を投げつけられた。パロマの帰りがもう少し後だったなら、うるさいのが一人減ったな」
漁師の女性は剣を一撫でしてにやりと笑う。
「エトレ。痛かったんでしょうけど、そんなに簡単に殺しちゃいけません」
何を投げられたのか、たぶん固いそれは頭に当たったらしい。こめかみから目尻を伝い、頬に流れた血はもう乾いている。
「察するに、おじさんは僕の代わりに弁明してくれたんでしょう。でもそっちの人は僕を責めたわけじゃないと思います。僕はここにいることを、誰かに強要されたことがありませんから」
二人は互いを窺うように見ると、バツが悪そうに視線を落とす。
「そしてエトレに物が当たったのは事故でしょう。きっとおじさんに投げつけた物が外れて飛んできたんだ」
「私がぶら下げてる魚を見て腹を立てたんじゃなければ、そうだろうな」
「その線は薄いでしょうね。許してあげてください」
僕たちが湿布の男を見ると俯きながら一言、事故だった、と返ってきた。
「パロマが言うなら許してやってもいい」
エトレは最後に大きな舌打ちをして、漁師らしく水に流した。
「成り行きで留守を任された俺の身になってみろ。迷惑にもほどがある」
謝る言葉を忘れてしまった三人に代わって謝ると、いい、と不機嫌にあしらわれてしまった。
「もううんざりだ。俺は帰らせてもらう。それからパロマ」
「は、はい」
急に家を借りたから怒ってしまっただろうか。
「魚の燻製が余っていたから簡単なものを作っておいた。あれに食わせてやれ」
それだけ言うと、僕がお礼を言うのも聞かず出て行ってしまった。
やれやれと振り返る。エトレを除く二人は右へ左へ目を泳がせた。
「よりにもよってここで、ケガ人を増やさないでください」
二人はすまなそうに笑うと、そそくさと出ていく。
「言っておくが、本気で殺そうとしたわけじゃないからな」
「分かってます。災難でしたね」
「無駄な時間を過ごした。大八から落ろすのを手伝ってくれ」
エトレは外にほったらかしになっている大八へと向かう。
本来なら牛に引かせるようなものを、信じられないことに彼女は人力で、しかも一人で簡単そうに引く。
「うちの衆が今朝獲ったものだ。宵越しの魚はない」
「ありがとうございます。……って、こんなにですか?」
樽をいくつも降ろし始めた彼女に言うと、彼女は豪快に笑う。
「一人増えるんだろう? 水は汲んだままだから煮沸して飲め」
エトレはもう一度笑うと、空になった家の樽を回収して行った。
「……燻製と干物のお兄さんはもう起きてるかな?」
澄んだ空気の中、思わずつぶやいた。




