第弍章ー力ー
「……はい。あの蜘蛛……いえ、あの化け物は何なんですか?」
もっともな疑問だ。普通に生きていて、あんなものを見る機会があるとするならばそれはテレビの中か、映画館でくらいしかないだろう。
「うん。日向」
その疑問に答えるのは君だろう?とでも言いたげに炎陽は日向へと顔を向ける。
さて、どう言ったものか。日向は言い淀む。
「伊吹さん」
「ちょっと待って」
意を決し、日向が口を開くとすぐに加那はそれを止める。
心の準備を整えるのか。トラウマ級の出来事だ。思い出すだけでも辛いはずだ、と日向は加那を慮り、口をつぐむ。
「なんかむず痒いんだよね、君にそう呼ばれるの」
しかし、加那の口から出た言葉は日向の思考の斜め上を行っていた。
「へ?」
「いやいや、呼び方だよ。西牙くん私のこと伊吹って呼ぶでしょ?なんでかすごくむず痒いの。こう、ほっぺたの辺りがむずむずする感じ?」
「は、はぁ」
果たしてこの人は何を言っているのか、日向は加那の考えに追いつかず、ただひたすら相槌を打つしかなかった。
「うーん、加那って呼んでみて?」
「うぇ!?」
「違う違う、私の名前だよ。苗字じゃなくて名前で呼んで」
何を言い出すのかと思えば呼び方だと言う。はぁ、やれやれ。心配して損をしたと言うか……いや、これは彼女なりに気を紛らわせようとしているのかもしれない。ならばそれに答えるのが道義というものだろう。
すうと息を吸い、彼女の名前を言葉に出そうとする。
が、
「っっ!」
それは言葉にはならなかった。
日向は知らなかった。同年代、それもクラスメイトで学年のマドンナ。そんな女の子の名前を呼ぶのがこんなに小っ恥ずかしいものだったとは!
日向の言葉を待っているのか、加那は小首を傾げ日向をじっと見ている。それが目に入ると更になんだか恥ずかしくなり、咄嗟に目を逸らしてしまった。
(そ、そうだ。父さんに助けを……!)
日向が知る限り、この世で一番頼りになる存在へと助けを求め目線を向ける。
「……」
(そ、そんな……)
炎陽はそんな日向の事など露知らず、呑気にお茶をすすっている。
あぁ、どうしよう。そうだ、まだ水景がいる。彼女ならばすでに伊吹さんと打ち解けていたし、どうにか助け舟を出してくれるかも知れない。
「……っぷ……」
目線を向ける前に、助けを求める前に全てを察したらしい水景は小さく吹き出した。その肩は笑いを堪えているのか小刻みに震えている。
……ちくしょう!
どうやら日向に助けを差し伸べる者はこの場にはいないようだった。




