第五話
間もなくして空港のバス乗り場付近の出口から外へ出ると、サングラスをかけたスーツの男が一人立っていた。
「お待ちしておりました。」
一言だけ発した後、すぐに澪の荷物を車のトランクに乗せ、後部座席のドアを開けた。
「え、ちょっと待って下さい、雪の荷物は?」
「雪也殿の送迎は、別の者が承ります。」
その言葉に驚いたのは、澪だけでは無かった。
「どういうことですか。俺は、家に来るなと?」
「そのような訳ではございません。まもなく到着しますので、澪殿、お乗り下さい。」
有無も言わせない会長の使用人に、澪は嫌々ながら従った。
「雪、後でね。」
「うん、気をつけて。」
座席に座ってベルトを着けても尚、澪は雪也が見えなくなるまで後ろの窓から外を眺めていた。
空港からスワログループの家までは、来るまで約三十分かかる距離にある。
鬱陶しげな沈黙を破ったのは、使用人の男であった。
「先程のような振る舞いをしたことをお許し下さい、澪様。」
〈澪様〉と呼ばれたことに違和感を感じている澪を見て、信号に止まった使用人はサングラスを外して、ワックスで固めていたのであろう髪の毛を崩した。
その姿を見て、澪はこれでもかという程口を大きく開いた。
「須野さん!」
「お元気そうで、何よりでした。」
須野昌己、34歳。澪が産まれた時から澪のことを知っている数少ない人間の一人である。
昔からスワログループ家の庭師として仕事をこなしてきた。
澪がアメリカに発つ少し前から顔を合わせていなかった為、約5年ぶりの再会であった。
「雪也殿と別移動をして頂いたのには、訳があります。」
「訳?」
「澪様が日本に呼び戻されました理由です。」
家に着くまでの間に須野に説明を受けたが、澪はあまり理解出来ないまま家の会長室に着いていた。
そして、再度同じ内容を繰り返されようとしている。
「須野から聞いたとは思うが、おまえの事を思ってなんだ、澪。」
「私達としてはあなたには、20歳になったからと言ってお見合いを無理強いしたくない。だからこそ、これを提案したのよ。」
澪と会長達との間のテーブルには、履歴書の様な書類と、それぞれに指定された目標到達点という訳の分からないものが書かれていた。
「須野さんから聞いたには聞きましたけど、理解は追いついてません。」
ではもう一度。須野は静かに口を開いた。
「あぁ、もし疑問点等がございましたら、こちらのベルを鳴らして下さい。」
澪の目の前には、よく定食屋などで見かけるあまり綺麗とは言い難い音の出る銀色のベルが置かれた。
「澪殿にはこれから、スワログループの所持する中でも、最大の別荘へと移って頂きます。」
開始早々澪はベルを鳴らした。
「まずもって、日本本社に異動という話では無かったんですか?」
「日本に戻っておいでとは言ったが、本社に配属とは言ってないぞ。」
澪の質問に颯爽と答えた会長は、目配せで須野に続きを話させた。
「そして、その別荘に住むことになるのは、澪殿だけではございません。色々と問題を抱えた御曹司達も住むことになります。」
再びベルが鳴る。
「何故ですか。」
「今から理由を述べさせて頂きます。」
須野は一度咳払いを挟んだ。
「その御曹司の方々の問題は、ほとんど全てが厄介なものであり、親御様もお手を焼かれているとのこと。可能な限り社会に適応する人間に育って欲しい、と常々祈っていたそうです。」
「祈る暇あったらそうなるように育て始めればいいでしょうよ。」
澪の突っ込みにも動じず、話は続けられる。
「そのような言葉をお聞きになった会長が、少々汚い言葉で申し訳ありませんが、問題児達を一カ所に集めて調教し直せば良いんじゃないか、とお考えになったのです。」
「調教じゃ無くて教育でいいじゃないの。」
須野は先程とは意味の違う咳払いをした。
「しかし、再教育というものは、そう簡単に行えるものではありません。勉学が足りない者も確かにおりますが、そこら辺の教師に頼むのは、少々話が変わってくる。かといって、他会社の社長や重鎮その他、もしくは弁護士や議員などに教育をさせるというのも、考え方があまりにも偏ってしまう危険性がある。何より、そのような人間達全てが社会適応を成せているかというのは、まったくの別問題になってしまうのです。」
そこで。須野は澪の顔をまっすぐ見た。
「会長や我々が信用でき、そして早くから社会に出ることで適応力を身につけている人材というと、澪殿しかいらっしゃらないのです。」
澪は、隙も与えずベルを鳴らした。
「だから、何故私!」
「澪、これがあなたのこれからの仕事なのよ。」
会長夫人が囁くように言葉を並べた。
「こんなことが、仕事ですか?」
「こんなことじゃないわ、これは誰にでも出来る事じゃないの。大変なことの方が多いかもしれない。でも、そこから学べることは多いはず。私達からのお願いでもあるのよ、澪。」
諭されるように話された澪は、それ以上の反論を述べることが出来なかった。
「…この履歴書みたいな紙に書かれたことを読んで、私は何をすればいいんですか?」
「抽象的で申し訳ないが、再教育をして欲しいんだ。」
突然澪の後ろのドアの向こうから声が聞こえたと思った刹那、ドアが開き、大勢の大人が部屋に入ってきた。
「え、どちら様方ですか?」
「こちらに書かれた御曹司の方々の親御様方です。」
「でしょうね、そんな気がした!」
問題児の親たちは、煌びやかな衣に身を包み、指や首、手首に色々な装飾をつけたまま、澪に頭を下げた。
澪はそれを見てほんの少し苛ついてしまったばかりに、ここに来るまでの色々な出来事がフラッシュバックし、苛立ちが瞬時に最高潮まで達してしまった。
「親として、なんとも情けないのですか…更正させてやってはくれませんか?」
「更正しなきゃいけない程、息子さんはまずいことをしでかしたんですか?」
「高校を勝手に中退して、フラフラしてるんです…」
「高校に入ることが出来たのに中退を選べる程、何不自由ない生活を与えてきたんですね。」
「会社を継いで欲しいのに、長男も次男も継ぐ気が無く、しかも将来をはっきりと見据えている訳でも無いんです。」
「私職安じゃないんですけど。」
「普段から部屋に籠もりきりで、お医者様に頼んでも解決しなかったので、もう心配で心配で…」
「中卒の私に医者を超えろというのもなかなか酷なお話ですね。何より、別荘に来なかった人は範囲外なので、その場合は知ったこっちゃありませんから。」
やはり無理か、とその場の全員が諦めかけていた瞬間の澪の言葉で、全員の顔が上がった。
「〈別荘に来なかった場合は〉とうことは、〈来たら引き受ける〉ということか?」
誰よりも驚いていたのは、会長本人だった。
「仕事だと言われましたし、何より…ここまでされてしまったらやらざるを得ないでしょう。」
澪は溜め息交じりだが、内容を承諾した。
「期限とかはあるんですか?」
その問いには、親達全員が唸りながら考えた。
「期限は設けていなかったが、そうだな…3ヶ月にしてみよう。」
「短期バイト感覚か。」
保護者達の数から見て、澪が再教育をしなければならない問題児は、どうやら5人いるらしい。
それら全てを3ヶ月で完遂させろというのは、火を飲み込み、それをそのまま消さないで出せという程不可能なものだろう。
「3ヶ月で完璧に正せ、という訳じゃない。3ヶ月である程度のところまでいけばいいんだ。3ヶ月ごとにここにいる彼らの親に、彼らの状況と状態を報告して、もし満足できたらそれぞれで帰宅させるということにしよう。晴れて全員別荘から帰すことが出来たら、澪もバイトが終わるというシステムだな。」
「もうバイトってことになっちゃった。」
澪は、釘を刺すかのように保護者全員に向かって凛とした声を発した。
「申し訳ありませんが、私には学がありません。それにきっと、皆様方のご子息は私なんかよりも年上なんでしょう。ですので、決して良い結果が返ってくるなどというような過度な期待は控えて頂きたい。私も、まぁストレス発散の為じゃ無いですが、できる限りのことはしようと思っております。それでもプレッシャーをかけられるとモチベーションが下がってしまいますので、そこも避けて頂きたい点です。」
その場にいる全員が唖然としている中でも、澪は続けた。
苛立ちが澪の中のバラメーターを超えて、無意味な自信に変わってしまった為、今の澪は異常な程強靱なメンタルを所持しているのだ。
「どうやら皆様方の息子様は本当に問題児のようですね。しかもたちの悪い。常識のある馬鹿と頭脳の優れている非常識人を比べた際、好かれるのは前者です。ですから、私は思ったことは言いますし、普段親御様方が決して言わないようなことも躊躇しません。それを理由に私を解雇するなんてことがないことを、お約束して頂けますでしょうか。」
澪の勢いに押し巻けているのか、親達は一斉に何度も頷いた。
「叔父さん、叔母さん。」
「お父さんとは、呼んでくれないんだね。」
澪の表情が一瞬強ばったが、変わらずの口調で続けた。
「やれることは、やります。だからこの仕事が終わったら、1つ願望を聞いて下さい。」
澪は心から真剣な面持ちで会長を見つめた。
「…もちろんだ。応援しているよ。」
澪はその勢いのまま全員に向かって一礼し、自身の荷物と書類を持って、部屋を出た。
ドアを閉めてからしばらく歩いた後、澪は深い溜め息をついた。
「完全にやってしまった…」
〈やらぬ後悔よりもやった後悔〉とはよく聞くが、今の澪は〈やってしまった後悔〉を深く感じ、数十分前の自分に戻りたいと全力で祈るのであった。




