第四話
出発当日、澪と雪也は航空券を片手に、空港で立ち尽くしていた。
「どういうことこれ。」
「ごめん、俺も知りたいところ。」
当日になるまで航空券を注視することなど無かった二人は、今自分が右手に持っている紙に〈First Class〉と書いてある事実を理解出来ずにいた。
「何ふぁーすとくらすって。」
「澪英語下手になってるよ。Rの発音しっかり。」
「今指導しないでよ。私乗ったこと無いんだけど。」
「もちろん俺もですよ。渡米する時普通だったもん。」
「………」
考えても仕方が無い。澪は緊張を抑えるために雪也の背中を思い切り叩いた。
「痛いです!」
「航空券にこう書いてあるんだから、致し方ないよ。行こう。」
「本当に右手と右足が一緒に出る人って存在してたんだ。」
緊張の余り不自然な歩き方をする澪を横目に、雪也は笑いながら後を追いかけた。
しかし、いざフライト時間を迎え、安定した空中飛行を得ても尚、2人は落ち着きを得ることが出来ずにいた。
「ねぇ、雪。」
澪は雪也にのみ聞こえる程度の声で話しかけた。
「私達、あまりにも場違いすぎない?」
「俺もそれは薄々感じてた。」
雪也も澪と同じ程の声の大きさで返す。
「周り、スーツの人ばっかりだよ。私達のカジュアル加減が比例してなさ過ぎる。」
「むしろファーストクラスにはカジュアルが必要なんじゃないか?…無いか。」
「…飛行機に乗るのに、ドレスコードって必要だったのかもしれないね。」
「セミフォーマルな。」
いくら小さい声と言えど、笑いながら長時間話を続けていれば眠くなるもので、気がつけば澪は、雪也の肩に頭を預けて静かな呼吸を始めた。
『すみません、毛布ってありますか?』
雪也は自身と澪を毛布で包み、静かに澪の頭を撫でてから、自身も目をゆっくりと閉じた。
約12時間のフライトを終える直前、雪也の携帯が震えた。
自分でも思っていなかった程熟睡できたため、雪也は目を擦りながら携帯の画面を見た。
一通のメールの通達が来ており、その差出人は現会長であった。
書かれている長くはない文章を雪也は静かに読み、何も言わず溜め息だけを吐き出した。
すると、今度は澪が雪也の溜め息で目を開けた。
「雪……?」
声になっていない程の小さな声で、澪は雪也の名を呼んだ。
「よく、寝れた?」
気づかれないように携帯を鞄にしまい、雪也は毛布を畳み始めた。
「うん、だいぶ…もう着くよね?」
「そろそろね。」
そこから数十分と経たない内に、飛行機は羽田空港に無事着陸をした。
何度も使ったことのある空港の為、二人はスムーズに入国審査を済ませ、ロビーで落ち合った。
「来たのはいいけれど…今8時半だよね。」
「うーん…とりあえず着いたって連絡してくるから、ここで待ってて。」
澪が頷いたのを見て、雪也は携帯を耳に当てながら、旅行鞄を片手にその場を離れた。
その間、周囲を見渡しながら雪也を待っていた澪の視界に入ったのは、小さな子供だった。
泣きながら1人で歩いている所を見ると、迷子だと判断せざるを得なかった。
「どうしたの?1人?」
自分のキャリーケースを引きながら、澪は子供の前にしゃがみ込んだ。
「パパ、いなくなった…」
「パパと来てたんだね。パパの特徴を教えてくれる?お姉ちゃんと一緒に探そう。」
背格好から見るに年齢は5、6歳。服装を見てみると、男の子だと判断できた。
優しい声色で話しかけた澪に安心したのか、迷子の子供は自信の父親の特徴を述べ始めた。
上半身にはワインレッドのニット服、下半身には黒のスキニーパンツを身につけており、髪型の特徴的な部分は、ふわっとした前髪、らしい。
小さな子供からの説明だけで理解するには難しい部分があったが、澪はできるだけのヒントを手にして、再度周囲を見渡し始めた。
しかし、多すぎる人が歩き回る羽田空港で、全ての特徴が一致する人物を探すことは容易では無かった。
「ワインレッドのニット…」
視界に入っている男性全員の上半身を確かめ、照準を絞る。
「黒のスキニーパンツ…」
二つ目の情報で、大分絞ることが出来た。
「ふわっとした、前髪…」
澪は声にならない声も出せず、思い切り息を吸い込み、右手にキャリーケース、左手に子供の手を引いて、駆けだした。
澪が立ち止まったのは、1人の男性の目の前であった。
「あの!」
「……は?」
男性はまるで不審者でも見るかのような目で澪を見ている。
「この子の、お父さんですか!?」
澪は勢いよく子供を抱き上げ、男性の目の前に顔を置いた。
澪から男性の表情は窺えなかったが、ただ沈黙だけが過ぎ去っていった。
「おねえちゃん…」
「うん?」
「このひと、パパじゃないよ。」
「え。」
子供をゆっくりと下に降ろすと、男性は呆れたような顔をしていた。
確かに、これくらいの子供を持つには若すぎる見た目かもしれない。言われてみれば、前髪もなんとなくだが重い気もしてくる。澪はやってしまったと思い、赤面を通り越して青ざめた顔になっていった。
「えっと、その、すみませんでした!人違いだったみたいで、その…決してあなたが子持ちに見えたとかそういう訳では無く…」
「…迷子?」
男性からは澪が思ってもいなかった言葉が返ってきた。
「えっと、そうなんです、この子のお父さんを探してて!服の特徴とか髪型の特徴を聞いて探してたんですけど…」
それで俺か、と言わんばかりの溜め息をついて、男性は無言で子供を自分の両肩に乗せた。
「かたぐるまだ!」
子供はその状況を無邪気に喜んでいる。
「要領悪いな。子供の言う親の特徴なんてアバウトなもんだろ。本人が高い所から探した方が手っ取り早い。」
ストレートに侮辱されたことに苛立ちはしたが、男性の言うことは最もだと思い、澪は澪で子供の父親を探し始めた。
すると、男性のやり方が正攻法だったのか、子供はすぐに父親を見つけ、その場を駆けていった。
父親にお礼を言われ、男性と二人になってすぐ、澪は男性に声を掛けた。
「あの、ありがとうございました。」
「なんであんたが礼言うんだよ。」
「だって、手伝ってもらったから。」
「…俺の見た目とあの子供の言ってた特徴、違いすぎだろ。」
実際、子供の父親の服装は、赤のパーカーに黒のゆるめのパンツ、髪はあまり多い方では無かった。
「あの子自身の表現はあながち間違いじゃ無かったんですけどね。私が美化しすぎちゃったんでしょうね。」
男性は何度目かの溜め息をついて、その場を去ろうとした。
「あ、本当にありがとうございました!」
男性に向かって勢いよく頭を下げる澪に振り返る事無く立ち去った男性の代わりに、澪の頭を叩いたのは雪也であった。
「何してるんだよ、こんなところで。」
「あ、雪!」
あ、じゃない。雪也は再度澪の頭を叩いた。
「さっきのところにいろって言ったろ。」
「ごめん、迷子の子がいたから放っておけなくて…無事見つかったよ!」
「それは良かったけど…澪が迷子になりかけてたぞ。」
「子供扱いしないでよ。」
雪也は頬を膨らませた澪の頬を指で押した。
「連絡してきたよ。迎えに来ているそうだ。」
澪の表情に一瞬曇りが見えたが、それも一瞬で消え、2人は普段と変わらぬ様子のままその場を歩き出した。




