第八話
休み時間に毒にも薬もならない雑談を交わす同性のクラスメイトが二人できただけ。放課後や休日に行動をともにするような友だちは一人もできないまま、勇が高校一年生になって一か月が経とうとしていた。
その二人とは、昼休み時間にいっしょに昼食はとらない。二人は席が隣同士で、勇だけが離れている。だからもともと、二人は二人、勇は勇だけで食べていて、三人が仲よくなったあともその組み合わせに変動はなかった。二人は勇を誘わないし、勇が仲間に入れてほしいと二人に願い出ることもない。
彼らの胸の内は不明だが、勇が行動を起こさない理由は明確だ。「いっしょに食べよう」と言い出す勇気がないのだ。
フィクションの世界では、ひとりぼっちの人間は白い目で見られる存在として描かれがちだが、実際はよくも悪くも無関心。
『あいつ、友だち一人もいなくね?』
『いつも一人でいるよな』
陰ではそれくらいのことは言われているのかもしれないが、表ではまったくの無風。
だからといって無視されているわけではなく、必要が生じた場合は普通に言葉を交わす。そのさいの会話は、関係を深めるための行動に結びつくことはない。月並みな表現だが、まさに空気のような存在。
自分がそんな人間だと知って、勇はさびしかった。しかしすぐに、仕方ないと諦めた。自分から行動を起こそうとしない、消極的な自分は、そのような扱いを受けて当然だと。
しかし悲しみがひと段落すると、肩の力が抜けた。開き直りの気持ちが生まれた。教室で昼食をとるという、入学したばかりのころは考えもしなかった真似を平然とやってのけるようになった。
高校生になって一か月が経ち、交友関係は侘しいなりに安定した。安らかな気持ちでいられる昼休みのひとときは、よくも悪くも不動だと信じきっていた。
「ねえ、いっしょに食べてもいい?」
だから、勇の前の椅子に着席し、勇の机の上に真っ赤な包みを置いて、小首をかしげて微笑みかけてくる女子が現れたのには愕然とさせられた。
クラスメイトの出井小毬だ。
生まれつきだという砂色の髪の毛は、当時は肩にかかるかかからないかの長さだった。どこかあどけない印象の穏和な微笑は、勇と恋人となった今もまったく変わらない。
小毬は絶句している勇から視線を切り、ナプキンをほどいて弁当を食べはじめた。
大きいとはいえないプラスティック製の弁当箱に、数種類の小さなおかずがふんだんに詰め込まれている。小毬は上品な手つきで、おかずを一つ一つ箸でつまんでは口に運ぶ。咀嚼しているさなかの彼女の顔には、絵に描いたような幸福そうな表情がたたえられている。
あまりにも平然と振る舞う、これまで接点のなかったクラスメイトの姿に戸惑うばかりだった勇は、思い切って口を開いた。
「えっと、出井さん。どうしてここでお弁当を?」
「えっ、だめ?」
小毬は口元を掌で隠し、大急ぎで口の中を空にしてから反問した。そう返されるとは思いもよらなかったというような表情であり、声音だ。
「だめっていうか……。理由が分からないから、正直すごく戸惑っているんだけど」
「理由はね、ほらわたし、柳内くんとほとんどしゃべったことがないでしょ? 一人で食べていたから、仲よくなるのにちょうどいい機会かなって。だめ?」
「いや、だめっていうか、その……」
「あっ、エビフライだ。いいよねー。わたし、エビ大好き」
小毬は無遠慮にそのおかずへと箸を伸ばしてきた。勇は面食らって、机を挟んだ対面に座る少女の顔を直視した。奪おうとしていた張本人は「冗談だよ」というふうに白い歯をこぼし、Uターンさせた箸で自分の弁当のおかずをつまむ。
「柳内くんも食べなよー。で、なに話す? いい感じの話題がちょっと思い浮かばないから、そうだな、今日の授業のことでも話しておこう。わたしはあんまり興味ないけど、貴重な共通の話題だもんね」
小毬は宣言どおり授業の話から入り、それからは雑多な話をした。文字どおり雑多だったので、詳しい内容は覚えていない。ただ、明るく楽しい話題がほとんどだったことは記憶している。
「やっぱり男の子って食べるの早いねー。ていうか、わたしがしゃべりすぎなだけ? はじめての子とだからテンション上がっていたんだね。うわー、やっちゃったかも」
食べるのが遅いことに小毬は自力で気がつき、照れ笑いをこぼして箸を動かす手を速めた。弁当箱が空になると、手早く片づけて自分の席に帰っていった。「またね」とか「楽しかった」といった一言さえも残さないまま、まるで風のように。
以来、小毬は機会を見つけては勇に話しかけるようになった。彼女は基本的に、昼食は同性のクラスメイトといっしょに食べたが、一週間に一回は真っ赤な包みを手に勇の机までやって来た。
いっしょに昼食を食べる理由として、「柳内くんと仲よくなりたいから」と言っていたが、どうやら嘘ではなかったらしい。
ただ、仲よくなりたいと思った動機はなんなのか。そして、なぜ仲よくなろうとする努力をやめないのか。
一か月近くもクラスメイトをやっているのだから、僕が消極的で、陰気で、冴えない人間だという基本情報は把握しているはず。会話する機会を何度も持ったことで、無趣味で、トークが下手な、面白味のない人間だってよく分かったはずなのに。
前者の謎は、n回目の昼食をともにした機会に氷解した。
「わたし、クラスメイト全員と仲よくなりたいの。仲よくっていうのは、友だちになるということじゃなくて、話す機会ができたときに気軽に話せるくらいになれたらいいな、という意味ね。もちろん相性とかもあるし、全員とそうはなれないって理解しているけど、やってみなくちゃ分からないでしょ」
そう話す小毬の面持ちは授業中よりも真剣なくらいだ。
「わたし別に、なにがなんでも挑戦しようっていうタイプじゃないよ。むしろずぼらなところ、かなりあると思う。自分がやりたいと思うもの以外はやろうとしない。逆に言えば、やりたいことは禁止されてもやっちゃう。周りの迷惑を顧みずに突っ走っちゃう。……こうやって人に説明してるとよく分かるんだけど、けっこう迷惑な性格してるよねー、わたし」
変わった子だ、と思いながら勇は相槌を打つ。軽蔑する気持ちは微塵も湧かない。
付き合う機会と時間が重なったことで気がついたが、小毬はしょっちゅうと言ってもいいくらいの頻度で風変わりな言動を見せる。昼食をたまにいっしょに食べるようになる前から、いじられキャラなのかな、という漠然とした印象はあったが、彼女の言動に友人たちがツッコミを入れる場面をたびたび目にしてきたからこその印象だったらしい。
クラスメイトの一部には、「かわい子ぶっている」「キャラを作っている」などと小毬をネガティブに評価する者もいた。
ただし、あくまでもごく少数派。もう一つの特性である人当たりのよさが物を言って、彼女に好感を抱く生徒が大半を占めていた。
クラスの中心的なグループに属する神楽坂が小毬に好意的に接したのは、彼女への攻撃を抑止するという意味でも大きかった。
神楽坂は勇に対して、いじめ未満いじり以上の加害行為を日常的に働いていた。その勇と小毬が急速に仲を縮めているのに気がつくと、勇に対する振る舞いを自主的に改め、健全な形でのコミュニケーションをとるようになった。
勇は小毬とはじめて昼食をともにしたときのように戸惑った。なにか企んでいるのではないかと疑いもした。
ただ、いくら疑り深く見つめても、変化後の神楽坂の言動からは裏表を感じなかった。小毬の行為を引き寄せたいという欲求が、振る舞いを紳士的にさせたのだと、勇はやがて悟った。
神楽坂はデリカシーのない発言や乱暴な行為もたまにあるが、根は正直で仲間想いの、付き合ってみると気持ちのいい男だった。
一学期が終わるころには、自他ともに友だちだと認めるくらいに、勇と神楽坂の関係は深まった。周りの人間からは、両男子と良好の関係を維持している小毬も併せて、仲よし三人組と見なされるようになった。
月日が経つにつれて、小毬と神楽坂の関係の深まりは加速度をつけ、やがて結ばれた。
このことを予期していた勇は、二人の口から事実を告げられて、落胆よりも諦めが先に来た。諦めが納得に変わるまでは一週間もかからなかった。他のクラスメイトが言うように、美男美女のお似合いのカップルだったし、三人のあいだの友情は維持されたからだ。
手は届くが気軽には触れられない存在になったことで、勇は遅まきながら、小毬に対する狭義の好意を自覚した。
自分が神楽坂の立場だったら、小毬さんが僕の恋人だったら、どんなによかっただろう。
しばらくはそう羨むのが日課といっても過言ではなかった。もっとも、二人の関係を壊そうと本気で考えたことは一度もない。
勇はその理由を、自分が道徳的で倫理的だからではなく、臆病な人間だからだと分析している。




