第九話 赤髪の訪客 其之一
日が昇っても、陸離はなかなか目を覚まさなかった。
それを見守るように、槐之介が隣に座っていた。
槐之介は、昨夜陸離もらった血の味に、遠い昔の覚えがあったのだ。
しかし、それは勘違いであってほしいと思った。
あるいは、現実とも夢ともつかない、遠い記憶の残滓がそう思わせているのかもしれない。あまりの恋しさに、そう勘違いしてしまっただけなのかもしれない。
「おはようございます……」
ようやく目を覚ました陸離が、たっぷり眠った者らしいあくびをしながら、隣の槐之介に声をかけた。
「昨日は申し訳なかった。体は平気か?」
槐之介はいつものように落ち着いた様子を保ちながらも、その目には陸離を案じる色が浮かんでいた。
「私は平気です!槐之介さんこそ、かなりの怪我だったみたいで……」
「お前のおかげで、昨夜の一件が嘘みたいに元気さ」
「なら、よかった……」
陸離は、安心したようにほっと息を吐いた。
寝起きのぼんやりした頭で、髪でも手櫛で整えようと手を伸ばす。ところが――。
「……ん?」
昨夜の傷の手当てをされた右手が、手首から先まで包帯でぐるぐる巻きにされ、まるで饅頭のようになっていた。
「……なんだこれ」
自分の手をまじまじと眺めていると、槐之介が申し訳なさそうに口を開いた。
「こんなにも大きな傷を負わせてしまった。面目ない」
「……いえ。私がしたくてしたことなので、どうか気にしないでください」
陸離は、饅頭と化した手をひょいと持ち上げにっこり笑った。
「今日は、ゆっくり休むとよい。欲しいものがあれば、遠慮なく申すといい」
「今日も、柘榴様のところへ行かれるのですか?」
その言葉に、槐之介の表情がわずかに曇った。
だが、目の前の上月陸離という人間をどう扱えばいいのか、何をどう答えればいいのか分からず、ただ沈黙を貫いた。
「いや、なんでもないです。行ってらっしゃい!」
迷惑をかける、めんどくさい女にだけはなりたくない――そう思った陸離は、自分の気持ちを胸の奥へと押し込めた。
◇◇◇
ここ数日の快晴から一変して、今日の空は今にも荒れそうな曇天だった。
いつもより強い風が吹き抜け、遠雷が低く鳴り響いているようにも聞こえた。
「やっぱり、柘榴様のところに行っちゃうのか……」
「柘榴様はどんな方なのかな……」
ひとりになった陸離は、布団にくるまれながら空を眺めてぽつりと呟いた。
「柘榴に会いたいのかい?」
「オェッ!」
いつの間にか、庭から見知らぬ男が縁側へと入り込んできていた。
「だ、だ、誰?!」
「ああ、失敬失敬」
男は悪びれもせず、へらりと笑った。
「俺は別に怪しい者じゃねぇよ」
そう言いながら、男は着物の襟元を少しだけずらした。
胸元に刻まれた「契の印」が、ちらりと覗く。
「ほら、俺もあいつと同じ。十年前に呪いを受けた同志だ」
「そ、そうなんですか……」
陸離は、しばらく男の姿を凝視した。
真っ赤な髪に、漆黒の二本角。その鮮烈な赤を引き立てるように、身にまとった着物もまた黒かった。
整った顔立ちは、槐之介とはまた違う種類の美しさを湛えている。鋭くも涼やかな目元には、どこか人を食ったような飄々とした色が浮かび、その端正な容貌を惜しげもなく軽薄さへと染めていた。
それでいて、その姿からは目を逸らすことができない。まるで、見る者の視線さえも自分のものにしてしまうような、鮮烈な美貌だった。
そんな男の背には、槍のような武器がひと振り背負われていた。その柄からは、赤と黒の襷のようなものが何本も伸びている。風になびくそれらは、どこか異様でありながら、妙な風格を漂わせていた。
「でさ、今、柘榴に会いたいって言ったね?」
「はい、言いました」
「連れてってあげよっか?」
「え!いいんですか?!」
「ここにずーっと閉じ込められてても、退屈っしょ?」
「お願いします!」
陸離は身を乗り出した。
「柘榴様というお方に、遠目からでいいので会ってみたいです!」
「いいよいいよ。そんなに会いたいなら、俺が連れてってあげる」
男は、にやりと笑った。
「囚われの姫君に、ちーっとばかり自由ってことで」
「ありがとうございます!」
「はいはい、どういたしましてー」
次の瞬間。
(えっ――)
男は陸離をひょいと抱き上げた。
そのまま、軽々と地を蹴る。
「わああああっ?!」
「しっかり掴まっててねー!」
満面の笑みを浮かべた赤髪の男は、陸離を抱えたまま、一跳びで屋敷の外へと飛び出した。
陸離は人生で初めて、生身のまま空を飛んだ。
————- キリトリ線 ————-
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