第五話 血の呪い
昼下がりの広間。
槐之介が顔をそらしながら正座をしていた。
その横には千歳も同じく、別方向に顔をそらしながら座っていた。
二人の向かい側には、鬼教官のように長い牛蒡を手にして、目をギラギラさせた陸離がいた。
「これは何が始まるのかしら……」
部屋の外で覗き見していた、牛蒡を貸した張本人の瑞穂が、わくわくした様子でぼそり。
その瑞穂の後ろから、他の従者たちも次々と集まり、物珍しそうに目を輝かせながら、中の様子をじっと覗き見していた。
なんせここ十年、昼間に槐之介が屋敷にいることは、ほとんどなかったというのだ。
「そろそろ、その血の呪いとやらを詳しく教えてもらえませんか!」
前の晩の仲良し晩酌のせいで顔がパンパンにむくんだ陸離は、ともに縁側で寝落ちした二日酔いの槐之介をようやく捕まえ、すっかり気合が入っていた。
沈黙。
そして。
「ぷっ」
できるだけ陸離の顔を見ないようにしていた槐之介が、ふと目が合った瞬間、噴き出してしまった。
その横で千歳も身体を震わせながら、必死に顔をそらし続けている。
「だーかーらー、人のむくんだ顔を笑うんじゃないーーー!」
顔をパンパンの陸離が、鬼の形相で牛蒡を高々と振り上げ、二人に向かってぺしぺしと振り下ろした。
「血の呪い……だったっけ?そんなに知りたいなら、教えてやろう」
身体を震わせながら、槐之介が笑いを堪えてそう言った。
いつまで経っても笑いの止まらない槐之介を前に、陸離はすっかり呆れ果て、死んだ魚のような目をしていた。
(いやいや、世界を闇に落とした血の呪いの話だよね?!もっと真剣にやってくれーー)
ごほん。
槐之介が、気を取り直すように咳払いをした。
「呪いを受けたのは、ちょうど十年前の春の満月の夜。日が沈み、辺りが暗くなった頃だ。そもそも、俺ほどの大妖怪を、位の低い小妖怪が呪うことなど、妖力の量も質も違いすぎるゆえ、天地がひっくり返っても不可能だ。ましてや、わが屋敷ごと呪うなど……」
(だから、家のみんなも……)
「槐之介さんより上の位の妖怪たちなら、その呪いができてしまうってことですね」
「俺と肩を並べるほどの大妖怪は、この世にあと四人しかいない」
「じゃあ、その四人の誰かが呪いをかけたってことですか?」
「いや、それはありえない」
槐之介が言い切った瞬間、陸離の胸にも緊張が走った。その先に続く言葉を待ちながら、つばをごくりと飲み込む。
「なぜなら、その四人もまた、我々と同じ日の同じ刻に、同じ呪いをかけられた」
予想外の答えに、陸離は再び手がかりを失ったような気がした。
「そっか……それじゃあ、何かほかに手がかりがあればいいんですね……」
それを聞いて槐之介は袖をまくり、陸離に手首を見せた。
「あるのは、これしかない」
そこには、漢字の「契」に見えなくもない、文字とも紋様ともつかぬものが、刺青のように赤黒く刻まれていた。
「最初はなんともなかった。だが、次第に赤い血への渇きが増していき、身体にも少しずつ異変が現れ始めた。まるで幾日も食事をしていないかのように、身体は痩せ細っていった」
「その折、丹若大社に赤き血を持つ柘榴姫がおられると聞き、我々はそこへ向かいました」
千歳が、槐之介の言葉を継ぐように口を開いた。
「いざ参ってみれば、柘榴姫はまだ十ばかりの女子でして。さすがに幼い子供から多くの血をいただくわけにもまいらず、その場にいた槐之介様と下名だけが、生きながらえるために必要なだけの血を分けていただき、毎日通うこととなったのでございます」
(十歳の子供が、呪いに苦しむ妖たちを哀れみ、自ら血を分け与えていたなんて……そんなことが、本当にあり得るのだろうか)
拭いきれない違和感が残った陸離は頬に手を当て、しばし考え込んだ。
……
「っぷ――」
真剣な顔で血の呪いを語っていた槐之介が、張り詰めていた糸が切れたように、再び噴き出してしまった。
「その顔で考え込むのおもしれぇ」
むすっとした陸離が、横に置いてあった牛蒡を再び手に取ろうとした、その瞬間。
槐之介が目じりの笑いの涙をひと吹きしてすっと立ち上がった。
「おかげで楽しいひと時を過ごせた。では、そろそろ今日はこの辺にしておこう」
(そっか。毎日って言ってたもんね……)
「柘榴様のところですか?」
「あぁ」
槐之介は颯爽と去っていった。
その背中を見つめていると、陸離の胸に、ひどく寂しいものがこみ上げてきた。
(十歳から十年なら、今の柘榴はちょうど二十歳のはず……)
槐之介にとって、毎日欠かさず会ってきた柘榴との十年。
その十年間に、いったいどれほどの時間を重ねてきたのだろう。
どれほど言葉を交わし、どれほど同じ景色を見て、どれほど互いのことを知っているのだろう。
陸離には、そのどれひとつとして知らない。
牛蒡と共に広間に取り残された陸離は、遠ざかっていく槐之介の背中を目で追いながら、あぐらをかいて頬に手をつき、なんとも男前な姿勢で寂しさを噛みしめていた。




