第三話 貔貅という者たち
再び夢から目が覚めたら、すっかり昼になっていた。
どれくらい寝ていたんだろう……なんて考えながらぼーっと天井を見つめる陸離の耳には、忙しそうに行き交う人々の声が聞こえてくる。
屋敷に会ったことのない人たちがいると思うと、陸離は少し緊張した。慣れない着物の身なりを整えて部屋を出ると、ちょうど腰がつらそうな婆さんが、大きな箱のような荷物を家の中へ運んでいた。陸離は咄嗟に駆け寄り、その荷物を取り上げた。
「手伝います!」
「あっら、お嬢様、お目覚めでございますね! そんな重たいものを運ばせるなんて、旦那様に叱られてしまいます」
「いいんです! 私、体力かなりある方なんで!」
それに、あの悪態ばかりつく男が、私なんかを大事に扱うわけないし――そう思って、陸離は苦笑いした。
「それと、私は陸離といいます!」
「では陸離様、お言葉に甘えて」
微笑んだ婆さんは、陸離に一礼すると荷物を任せた。
「大切な血を分けていただき、ありがとうございました」
(このおばあちゃんが、昨日の五人の中にいたんだ)
「いえ……人助けは、当たり前のことなので……」
陸離は、久しぶりに誰かから感謝されたことが、素直に嬉しかった。
そんな婆さんの手伝いをしていると、昨日、血を与えた三人の従者たちも集まってきた。
すっかり元気を取り戻した家の者たちと楽しく話をするうちに、陸離はこの世界で何が起きているのかを、少しずつ知ることになった――
昨夜、陸離が血を与えたのは、槐之介の従者たちだった。
彼らは皆、槐之介と同じく十年前、赤い血を飲まなければ身体が徐々に干からび、やがて粉塵となってこの世を去るという、おぞましい「血の呪い」を受けていた。
だが、この世界には、赤い血を持つ人間がほとんどいなくなってしまった。そのため彼らは、呪いに抗うために必要な血を手に入れることができず、長いあいだ、癒えることのない血の渇きに苛まれていたのだ。
「それは……大変でしたね」
陸離は、長いあいだ血の渇きに苦しんできた彼らを思うと、胸が痛んだ。けれど同時に、ひとつの違和感が胸に引っかかった。
「しかし、どうして槐之介さんと千歳くんは、干からびていなかったんですか?」
「それは、旦那様と千歳は、柘榴様から血を取り分けていただいているからですよ」
後ろから、会話に割り込んでくる声がした。
振り向けば、とても綺麗で儚げな少女がそこに立っていた。長くふわふわとした薄い金色の髪に、見るからに上等な着物を身にまとっている。
「昨夜は血を分けていただき、ありがとうございました。わたくしは、ずっと前から旦那様に仕えております、貔貅の瑞穂でございます」
「どうも……貔貅ですか」
「はい。槐之介様は貔貅の大妖怪ゆえ、仕えている我々もみな貔貅でございます」
「失礼かもしれませんが、貔貅って……あの、噂に、お尻の穴がないと言われている……」
しばしの沈黙。
「…………ぶっ」
誰かが吹き出した。
「わははははははははは!」
それを皮切りに、あたりから一斉に笑い声が上がった。その場にいた皆が腹を抱え、涙を浮かべながら大笑いしている。
「えぇ、伝説では確かにそのようでございますが、我々はちゃんと人間の姿をしておりますので、人間にあるものはすべて持っておりますよ」
陸離のくだらない質問にも、瑞穂は優しく答えてくれた。そんなふうに丁寧に答えてもらったことがかえって恥ずかしくなり、陸離は少し頭をかいて、苦笑いしながら「えへへ」とごまかした。
「あ、そうだ。先ほどおっしゃっていた、柘榴様って……」
「柘榴様は、陸離様が来る前、この世に存在する唯一の赤い血を持つ人間でございました。丹若大社という、大きく立派な神社に祀られております。呪いに苦しむ妖たちを哀れみ、惜しむことなくご自身の血をお分けくださるお方で、皆から女神様のように慕われているのです。旦那様とその付き添いの千歳も、毎日そこへ通い、その場で血を分けていただいております」
(なんだ、月下老人様の言ってることと、全然違うじゃないか……。女神様がいるなら、私なんていらないんじゃない)
陸離は、わかりやすくしょんぼりした。
「しかし、ご覧の通り、我々のような小妖怪は、そんな高貴な血を分けていただくことができず、干からびてしまいまして。旦那様にもひどくご心配をおかけしましたゆえ、このように禁術を使って、陸離様をお呼びしたのです」
分かりやすくしょんぼりした陸離に、瑞穂が優しく言葉をかける。
「そっか。じゃあ、私はちゃんとみんなを救えたんですね」
「えぇ。陸離様のおかげで、これでひと月は動けそうです」
(ひと月……。みんな、これまでずっと、こんな大変な思いをしてきたんだね……)
「任せてください! 私の血があれば、みんなをずっと元気でいさせます!」
陸離は、元の世界ではこれほどまでに誰かから必要とされたことがなかった。だからこそ、この優しい家のみんなの力になりたいと、心の底から思った。
それに、陸離は忘れてはいない。
月下老人から託された使命を。
ようやく話の中に出てきた「血の呪い」。
そして、この世界から赤い血が失われた理由。
陸離には、知っておかなければならない。探らなければならない。
この世界で、いったい何が起きているのかを。
この呪いによって、人々は長いあいだ苦しみ続けている。
ならば、ちっぽけな自分にできることを、なんでもしたい。
一人でも多くの者が、この苦しみから解き放たれ、再び安寧を取り戻せるように。




