第十七話 神々 姫鶴 其之二
大きな城門が開いた。
陸離は恐る恐る、その中へ足を踏み入れた。
階段を登り、降り、庭園を抜ける。かと思えば、別の庭園へと続く廊下を歩き、ようやく天守閣へ辿り着くのかと思えば、今度はまた階段を下りる。
「よ、よ、ようやく……」
壁に手をつき、息を切らしながら、陸離が天守閣の門へ辿り着いたのは、一時間後のことだった。
(やっぱり姫路城じゃねぇかー!)
心の中で盛大に突っ込みながら、陸離は天守閣の中へと入っていく。
「姫鶴様がお待ちです」
そこで待っていた小さな童子が、陸離を案内してくれた。やがて、大きな広間の前へ辿り着く。
童子が襖を開けた。
その向こうに、鶴の描かれた金の屏風が立っている。
そして、その前にひとりの女がいた。
白と黒の着物をゆるく着崩し、長い黒髪が畳の上へと艶やかに流れている。
女が、ゆっくりとこちらを見た。
切れ長の瞳。その目元に引かれた赤い色が、金屏風の鶴よりも鮮やかに陸離の目に残った。
凛としているのに、どこか気だるい。
美しい――そう思うより先に、陸離は息を呑んでいた。
そんな陸離を見つめながら、女はゆっくりと身を起こした。
「よくぞわらわの元にたどり着いた。そなた、名はなんという?」
「陸離です」
「陸離……。光彩陸離のような、良い名じゃな」
「あ、ありがとうございます!」
思わず目を丸くする。
(なんか思っていたより、ずっと優しい)
「お主も、わらわの名は聞いておろう。わらわは当代最強の妖のひとり、神々 姫鶴じゃ」
堂々と言い切るその姿が、なんとも格好いい。陸離は思わず目を輝かせ、こくこくと頷いた。
「近う寄れ。そなたの目的も、申してみるがよい」
陸離は言われた通り、姫鶴のすぐ前まで歩み寄り、童子が用意した座布団へ腰を下ろした。
そして、ここへ来た目的を一通り伝える。
「それで、この羽根なんです」
陸離は持ってきた箱を開け、二本の羽根を取り出した。
「これは、なんの羽根なのか、姫鶴様ならお分かりになると思って……見てもらいたくて」
「ふむ」
姫鶴は羽根を一本、指先でつまみ上げた。
しばらく無言で眺めたあと、そっと目を伏せ、羽根を鼻先へ近づける。
すう、と静かに匂いを嗅ぐ。
姫鶴の表情が、ほんのわずかに曇った。
切れ長の瞳が、何かを思い出すように細められる。
「……これは、鳶の羽根じゃ」
「なるほど。とび、ですか……」
海辺で子供のパンを奪う鳶の姿が、陸離の脳裏に浮かんだ。
しかし姫鶴は、手の中の羽根から目を離さなかった。
その横顔には、先ほどまでの気だるげな余裕とは違う、どこか寂しげな色が滲んでいる。
「ありがとうございます! これで、鳶の妖という方向で、みんなと探してみます!」
そう言って、陸離は羽根を箱へ戻そうと手を伸ばした。
「待て」
「はい?」
「その羽根、一本、わらわにくれぬか」
「え……?」
「わらわも呪われた身じゃ。そなたらが呪いの元を探す手伝い、少しでもできればと思うてな」
「わ、わかりました。大変ありがたいです!」
姫鶴からの意外な提案に、陸離は嬉しそうに頷き、短いほうの羽根を箱へ戻した。
「それと、姫鶴様は、あのとき何か見たものとか、覚えていることはありませんか?」
姫鶴に会う、もう一つの大事な目的。呪われし五人の大妖怪から、それぞれの手がかりを集めたい。どんな些細なことでもいい。呪いの元へたどり着くための糸は、一本でも多く欲しかった。
「そうじゃのぅ……」
姫鶴は頬杖をついたまま、じっと陸離を見つめた。切れ長の瞳が、ほんのわずかに細められる。何かを思い出そうとしてくれているのだろうか。やがて姫鶴は、ふっと視線を落とし、両手をひらりと上げた。
「暗くてよう見えんくてよ、なす術なかったのじゃ」
「そうなんですね……」
姫鶴の言葉に、陸離は少しがっかりした。
あの春の夜は、聞いた話では辺りが暗くなった頃だった。姿すらまともに捉えられない相手に不意打ちされれば、姫鶴ほどの妖でも、何もできなかったとして不思議ではない。
そう思いながらも、ほんの一瞬だけ見えた姫鶴の瞳が、なぜか気にかかった。そこには、わずかな切なさが滲んでいたようにも思える。何かを思い出したのだろうか。けれど、それを確かめる言葉を、陸離は持っていなかった。
これでまたひとつ、手がかりを得る機会がなくなってしまった。仕方がない。今は、そう思うしかなかった。
そして、ふとまた思い出したように顔を上げる。
「そうでした……槐之介さんと宝寿さんも、元気にやってると伝えてほしいって言ってました」
「あやつらが元気であろうが、元気でなかろうが、わらわにはどうでもよい」
「……あはは」
陸離は苦笑いを浮かべた。
やっぱり、あの二人と姫鶴の間には、触れてはいけない何かがあるらしい。
「じゃあ、今日は色々とお話を聞けてよかったです。ありがとうございました。そろそろお暇します」
陸離が立ち上がった。
「待て」
「はい?」
姫鶴は傍らに置いてあった刀へ手を伸ばした。
「これを持ってゆけ」
そう言うと、打刀を乱雑に陸離へ向かって放った。
「わっ……!」
慌てて受け取る。
「これは……?」
「いずれ、そなたに必要となる日が来るやもしれぬ」
姫鶴は、静かに陸離を見つめた。
「使い方が分かる日が来るまで、護身用にでも持っておくがよい」
(姉貴、やっさしいーーー!)
「ありがとうございます!」
陸離は刀を抱きしめるようにして、嬉しそうに頭を下げた。
「ふむ。では去るとよい」
「はい!」
陸離は部屋を出ようとして、ふと足を止めた。
「あ、姫鶴様」
「なんじゃ?」
「また、遊びに来てもいいですか?」
すっかり姫鶴の格好よさに心を奪われた陸離は、少し照れながら尋ねた。
「もちろんじゃ。貔貅と麒麟がおらぬのなら、いつでもよいぞ」
姫鶴の優しげだった顔に、すっと険しい影が差した。
(結局、あの二人が何をやらかしたのかは聞けねぇ……)
陸離は苦笑しながら、その場を後にした。
(くぅーーーこれずっと、やってみたかった!)
陸離は愉しそうにもらった刀を腰の帯へ差すと、得意げな顔で天守閣を出ていった。
もちろん、帰りもしっかり一時間かかった。




