第十三話 赤髪の訪客 其之五
今頃、陸離は何をしておるだろうか。
いつものように縁側に座って、空でも眺めているだろうか。それとも、退屈しのぎに書でも読んでいるだろうか。槐之介は、柄にもなく陸離へと思いを馳せた。
昨日の礼も兼ねて、帰り道に何か甘い菓子を買ってやろうと思った槐之介は、少し気恥ずかしい思いをしながらも、柄にもなく有名な菓子屋に並び、「梅燈篭」を買った。
淡く透ける葛の中で、紅い梅の花びらがひらりと浮かぶ姿は、まるで春の知らせをそのまま閉じ込めたように美しい菓子である。人間の菓子でありながら、妖どもにもたいそう評判の品だ。その見目の美しさと、甘酸っぱく爽やかな味わいに、妖どももすっかり夢中になっている。
「……これなら、あいつも喜ぶかもしれないな」
ふと、陸離はこの世界を、ほとんど楽しめていないのではないかと槐之介は思った。いつも血やら何やらを差し出させてばかりの陸離に、せめてこのような美しい菓子くらいは味わわせてやりたい。
そして、あわよくば――今宵は二人で春の月を眺めながら、この甘味を分かち合いたい。
そんなささやかな願いを胸に、槐之介は帰路を急いだ。
「早く帰ろう……」
帰れば、会える。
そう思うだけで、足取りまで軽くなる。
(いきなり菓子を渡したら、変に思われるのではないだろうか)
そんなことをあれこれ考えながら歩く槐之介の頬を、春の夜風が撫でてゆく。
その風が、妙に心地よかった。
◇◇◇
「ようやく旦那様がお帰りですわ!」
「槐之介様!大変でございます!」
浮き立つ心のまま屋敷へ戻った槐之介は、すぐに屋敷の中へ漂う、どこか慌ただしく不穏な気配を感じ取った。
「……何事だ?」
「陸離様が……」
「陸離が、どうした」
「陸離様が、どこにもいらっしゃらないのでございます!」
槐之介の身体が、ぴたりと固まった。
この屋敷には、結界が張られている。
外から妖どもが入り込まぬよう、屋敷を守るために槐之介自身が施したものだ。そう容易く破られるような結界ではない。
当然、人間である陸離が勝手に外へ出ることも、容易ではないはずだった。
「槐之介様、こちらを……」
侍従の婆さんが、一枚の文を差し出した。
「陸離様のお部屋に置かれておりました」
槐之介はそれを受け取り、すぐさま開いた。
そこには、乱れのない実に達筆な筆跡で、短くこう記されていた。
╭──────────────╮
女は預かりし。
追うことなかれ。
宝寿
╰──────────────╯
槐之介は、しばし何も言わなかった。
ただ、その文を見つめながら、こめかみに青筋を浮かべていた。
ぐしゃり。
気づけば、紙はその拳の中で潰れていた。
「あの野郎……」
静かに唸る声には、隠しきれぬ怒気が滲んでいた。
「槐之介様、我々が鬼月様のお屋敷へ出向いて陸離様をお迎えに上がりましょう!」
瑞穂と瑞彦は、慌てて片膝をつき、主の言葉を待った。だが、槐之介からは何の返事もなかった。
ただ、握り潰した文をその場へ落とすと、ひとり屋敷の外へと駆け出した。
その身は一跳びで宙へ舞い上がり、夕陽の彼方へと消えていった。
あとには、拾われぬまま、床に落ちた小さな包みだけが残された。
槐之介が、陸離のために買ってきた梅燈篭。
透明な葛の中に閉じ込められた梅の花びらは、落ちた衝撃で無惨にも崩れている。
かつて誰かと分かち合った春の記憶も。
これから誰かと分かち合うはずだった春の夜も。
そのどちらをも知らぬまま、梅燈篭だけが、静まり返った屋敷の中に、ぽつりと残されていた。
————- キリトリ線 ————-
【追加情報】
実は、瑞穂と瑞彦は兄妹で、槐之介に仕えています!




