12話 襲撃
その後、私とレオンハルト様は忙しく社交界を駆け回る日々を過ごしている。
元々、私は社交界に出るたびに周囲の目を気にしていたが、彼の護衛がついている今は、妙に心が落ち着いているのが自分でも不思議だった。
「あら、エステル。お久しぶりね。最近は社交界でご活躍と聞いているわ」
ふいに私の背後から柔らかな声がかかる。
振り返ると、そこには従姉妹のミリアムが立っていた。
けれど私は、彼女と会うのは本当に久々だったため、少し戸惑う。
ミリアムは相変わらず落ち着いた微笑みを浮かべている。
「ミリアム……こちらこそ久しぶりね。元気にしていた?」
「ええ。今日はたまたま同じ夜会に招かれていて嬉しいわ。グランディール家のこともいろいろ聞いているわよ。クラリッサのことも……大変だったのね」
「ええ、少しね」
「そう……今日は時間がないし、またお話ししましょうね」
そんな言葉を残して、彼女はひらりと踵を返す。
相変わらず穏やかな笑顔だったけれど――何とはなしに、胸に小さな違和感が芽生えた。
「さ、どうぞお乗りください、エステル様」
夜のパーティが終わると、いつも護衛に扮したレオンハルト様が馬車へ先に私を誘導してくれる。
レオンハルト様が第二王子という立場であることを隠して護衛をしてくれるなんて、普通に考えればあり得ない話だ。
しかし、彼は「無能王子」の仮面を被り続けるため、護衛をしている時は黒いフードを深くかぶり、口元を包帯のような布で覆っている。
だから、私の周囲の令嬢や貴族たちでさえ、それが王子とは気づいていないようだった。
人前ではただの護衛として振る舞う彼の姿は、いささか不自然かもしれないが、ここしばらくは誰も疑う気配はなかった。
「ありがとうございます、レオン……護衛さん」
私は彼の名を言いそうになるたび、咄嗟に言い直す。
馬車に乗り込むと、向かい合わせの席に彼が腰を下ろした。
黒いフードから覗く瞳は眠たげかと思いきや、夜道の闇を油断なく見張っているようだ。
こうして二人で馬車に乗る時間が、最近は妙に多い。
そのたびに彼と会話をしているうちに、私たちの距離が少しずつ縮まっている――そんな気がしてならない。
共犯者として共にヴィクターを倒す目標を持つ仲間だから……それだけではない、かもしれないけど。
「今日のパーティはどうだった? 何か新しい情報は手に入った?」
いつものように穏やかに問いかけてくれるレオンハルト様。
私はドレスの裾を直しながら頷いた。
「ええ、いくつか気になる噂がありました。グスタフ、つまり財務大臣もヴィクター殿下の派閥だという話を小耳に挟んだんです」
「グスタフ……財務大臣、か。僕も名前は知ってるけど、まさか兄上の派閥に入っているとは」
レオンハルト様の瞳がわずかに鋭く光る。
国の財政を握る財務大臣が汚職に手を染めているなど、考えたくもないが、今回の横領事件やクラリッサの一件を鑑みると、可能性は十分にある。
「もし本当に財務大臣までがヴィクター派の汚職に加担しているなら、クラリッサの時なんか比べ物にならない大騒ぎになるわ。国庫を管理する最重要責任者が税金を横領しているかもしれないなんて……」
「国民が知れば、王族全体への信頼だって揺らぐだろうね。僕自身、兄上の派閥がこんなところまで手を伸ばしているなんて想像していなかった」
彼の口調にはわずかに落胆が混じっているように感じた。
とはいえ、今さら悲観するのも違う。私たちには、汚職を暴くという使命があるのだから。
「だが、やらないといけませんね、レオンハルト様。ここで止めておかないと、国が完全に汚職で染まる可能性があります」
「うん、わかってる。グスタフ財務大臣の動きも追わないといけないね」
一度軽く頷き合って、私たちは黙り込む。
暗い夜道を進む馬車の車輪が、かすかにガタガタと振動を伝える。
向かい合って座っている彼の姿をちらりと盗み見ると、いつも隠れている口元の包帯の下に、どんな表情があるのかが気になって仕方がない。
この人は、本当に無能なんかじゃない。
むしろ剣の腕前は見たことあるが、達人に近いだろう。
そんな彼が私の護衛をしてくれるなんて、どれだけ心強いことか。
そう思うと、自然と口元がほころんでしまう。
数分ほど無言が続き、いつものように私は車内でくつろごうとしたその時、馬車が急に大きく揺れた。
「きゃっ……!」
横に流されるように体が傾いた。
外では御者の叫ぶ声と、護衛の兵士たちの緊迫した声が聞こえる。
まさか――刺客?
「エステル、大丈夫?」
レオンハルト様がすぐにこちらへ身を乗り出し、私の体を支えるように腕を回してくれる。
急な心拍数の上昇が、恐怖なのか、彼に触れられた恥ずかしさなのか、自分でもわからない。
「え、ええ……何か襲撃を受けたんだと思います」
馬車の外では明らかに金属がぶつかる音が響き、御者の慌ただしい足音もする。
大きく揺れた車体は、どうやら路肩に寄せられたようで、急停車しているらしい。
「ロドルフ殿の手配した刺客……かな。やっぱり来たか」
低く呟くレオンハルト様。
私の胸が大きく鼓動を打ち、恐怖の汗が背中を伝う。
――死んだ時の記憶がフラッシュバックしそうになるけれど、ここで取り乱してはいけない。
「わ、私は、何かできるかしら」
震える声で言いかける私を、彼はそっと制するように頭を撫でる。
「大丈夫、エステル。君はここにいて。すぐに終わらせるから」
落ち着いた口調で言われると、どこか魔法でもかけられたように心が静かになる。
彼は私の頬にわずかに触れるようにして、優しく笑みを浮かべた。
ここで彼が笑顔を見せるのは滅多にないことだから、余計に胸がドキリとした。
「死なないでくださいね……」
自分でも驚くほど弱々しい声が出る。
王子である彼が危険を冒すなんて、本来ならあり得ないことだけど、彼は共犯者であり、仲間であり――それだけじゃないかもしれない存在だから。
「任せて。そんな刺客、何人来ようが問題ないよ。僕は無能なんかじゃないんだから」
そう言うと、レオンハルト様は馬車の扉を開け、黒いフードをかぶったまま外へ飛び出した。




