13話 レオンハルトの胸中
兄上――第一王子ヴィクターが「優秀」だと周りから囃し立てられるようになった頃、僕は王城の片隅で無気力を装って日々を過ごしていた。
母の地位が低かったからか、やがて王位を継ぐのはヴィクターだと、誰もが当然のように思っていたし、俺もそれで構わないと思っていた。
大して才能のない「無能王子」だと呼ばれるほうが、目立たなくて楽だったから。
そんな僕にとって、エステル・グランディールはただの兄上の婚約者候補に過ぎなかった。
初めて会ったときの彼女は、華やかな容姿をしていたけれど、どこか浮ついた印象があった。
兄上の金髪と王子らしい堂々とした態度に、すっかり騙されているように見えたし、実際彼女はヴィクター殿下を尊敬している――そんな目をしていた。
だから、僕は特に興味を抱かなかった。
ただの令嬢たちの一人という認識で、社交界でちらりと姿を見かける程度。
だが、いつからか彼女の評判が変わってきた。
グランディール家の書類仕事を手伝い始めたとかで、内政や財務に詳しくなっているという噂を耳にするようになった。
とはいえ、僕も偽りの「無能」を演じながら裏で兄上の資金調達を妨害する作業に忙しかったから、彼女の評判など聞き流していたんだけど……。
ある日、僕の元に手紙が届いた。
宛名も差出人も控えめな書き方だったけれど、その内容は衝撃的だった。
――「あなたがある方の資金調達を邪魔していること、知ってます」と。
それを読んだときは、心臓が止まるかと思った。
この妨害工作がバレれば、即座に兄上からの粛清が来るに違いないし、手紙を書いた者に弱みを握られたのは間違いなかった。
自分はどうなるのか、兄上から殺されるのか、あるいは手紙の主に利用されるのか――最悪のシナリオばかりが頭を巡った。
ところが、僕の恐怖をあざ笑うかのように、手紙の差出人に会うと……共犯者になろうと提案された。
意味がわからなかった。
あの兄上にだまされた可哀想な令嬢、程度にしか思っていなかった子が、僕の裏工作を看破し、しかも「共犯者になろう」と提案してくるとは。
見た目は良いけど、あまり思慮深くなさそうだと思っていた自分が、いかに浅はかだったか思い知らされた。
初めて直接会って話したとき、彼女の鋭い目、言葉を聞いてわかった。
『――あの人は、私の尊厳を壊したんです。人生を奪われかけた』
『――死んでも許さない』
あれは、ただの令嬢の戯言じゃない。
彼女は本気で兄上の悪行を知り、倒そうとしているんだ。
そして、自分の尊厳を壊した人間を絶対許さないという、強烈な意思を秘めていた。
そうか――なるほど、こういう方向に話が進むなら、僕も楽しめるかもしれない。
衝撃と興味が混ざり合ったあの瞬間の気持ちは、今でも忘れられない。
そこからは怒涛の日々だった。
僕は無能王子を装いながら、実際には兄上派閥の裏側を探り……エステルは社交界の中心で華麗に動き、クラリッサをはじめとするヴィクター派の手駒を一つずつ潰していった。
僕一人じゃ集まりきらなかった情報を、彼女の地道な財務調査や貴族とのやり取りが補ってくれた。
その成果を組み合わせて、ヴィクター派の力をじわじわと削り取っていく。
正直、すごいとしか言いようがない。
まさかあの令嬢が、ここまでやるなんて。
元親友に裏切られて死んだ、というのは彼女が言葉を濁しながら少し話してくれたけれど、僕には想像もつかないほどの苦痛だったに違いない。
普通の令嬢ならそこで心が折れてしまうか、泣き寝入りするかだ。
でもエステルは違う。
毅然と立ち上がって復讐に燃え、実際に成果を上げる姿が……俺には眩しく映った。
――昔の僕にはできなかったことだと思う。
だからこそ、今彼女に頼られているのが素直に嬉しい。
実は無能王子なんかじゃなかった――ということも、エステルが認めてくれているようで、自己肯定感がくすぐられる。
そんな彼女に「共犯者」なんて言われるのも、悪くない。
そして、今。
僕は馬車の扉を開け放ち、黒いフードを深く被ったまま外へ飛び出す。
襲撃者たちが道の真ん中で待ち伏せしていたのは、明らかにロドルフが手配した刺客だろう。
兄上がエステルの存在を危険視した時点で、いずれこうなる予感はあった。
(まあ、せっかく彼女がここまで苦労しているんだ。こんなところで死なれては困るし、何より……彼女を失いたくない)
――そう、失いたくない。
ちょっと前までは誰とも深く関わらず、ただ無能を装いながら兄上を妨害できればいいと思っていた僕が、いまやエステルという一人の令嬢を守りたいと思っている。
妙な変化だけど、不思議と心は穏やかだ。
「そこまでして道を塞ぐなんて、物好きな連中だな。――この中には、僕の大事な“パートナー”が乗っているんだ」
突き出した剣先で、道を塞いでいる数人を睨みつける。
どいつも黒ずくめの装いをしていて、王家の騎士や兵士とは名乗れないのだろう。
彼らは僕を、ただの護衛傭兵だと思っているかもしれないが、生憎だ。
「さあ、帰ってくれるなら構わない。だけど、僕たちが踊る舞台を荒らすつもりなら、容赦はしない」
冷やかな声が自然と口から出る。
襲撃者たちは何も言わず、一斉に剣を構えて迫ってくる。
予想通りの展開だ。
(エステルは馬車の中で待っている。怖いはずなのに、必死に耐えているんだ)
そう思うと、自分の中に妙な熱が湧き上がってくる。
そもそも無能なんかじゃない俺が、こうして堂々と力を振るうのは久しぶりだし、何より彼女を守るために剣を振るうことが嫌じゃない。
「ちょうどいい、手合わせにはもってこいの連中かな」
剣の柄を握り直し、一歩踏み出す。
夜の闇が静かに包む馬車の周囲を、敵の気配が取り囲んでいるのがわかる。
問題ない。
(エステル――君は大丈夫。僕が守るから)
心の中でそう告げると同時に、襲撃者の一人が踏み込んできた。
迷わずその腕を払い、返す刃で相手の背中を蹴り飛ばす。
複数の息づかいが重なり、剣と剣が交わる金属音が響いた。
――ほんの数秒後には、自分が倒した相手の悲鳴が闇へ吸い込まれるようにかき消えていく。
無能王子などという仮面は、もはやどうでもいい。
こうして剣を手に立ち回るほうが、よほど自分に正直でいられると思う。
顔にかかる黒いフードが視界を少し遮るけれど、それも気にならない。
包帯で隠した口元の奥で、僕はひそかに笑っているのかもしれない。
「行くぞ……!」
勢いを乗せてもう一人を薙ぎ払う。
馬車の中には、僕の大切な共犯者がいる。
この夜はただの前哨戦、もっと大きな舞台が待っているんだから、こんなところで負けるわけにはいかない。
彼女と共に目指すゴールは、兄上ヴィクターの悪を暴き、この国を浄化することだ。
だけど――それ以上に“彼女を失わないために”という気持ちが、俺の身体を奮い立たせている。
「さあ、かかってこい。踊ろうじゃないか、闇の中で」
気障な台詞を吐きながら、剣を構える。
周囲を取り囲んでいた連中も、何人かが倒れたのを見て動揺しているようだ。
ならば、一気に蹴散らすだけ。
(エステル、待っていてくれ。僕がすぐに終わらせるから)
たとえ騎士団長ロドルフが後ろで糸を引いていたとしても、負けるつもりなんてさらさらない。
そうして剣を振り上げる瞬間、心の奥底で確信が生まれる。
――いつか、エステルが笑顔で踊る舞台に、堂々と隣に立ちたい。
その願いのために僕は戦う。
深く息を吸い、フードの下で微笑む。
そして、襲撃者たちへ向けて、再び剣を振り下ろした。
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