14話 撃退
夜道での襲撃は、まだほんの数分も経っていないはずなのに、私にはずいぶん長く感じられた。
馬車の中に縮こまりながら、じっと震える。
だけどレオンハルト様が一人で戦っている様子を、ただ黙っているだけじゃいけない――そんな思いが胸を突き上げる。
「こ、怖いけど……ちゃんと、見届けないと」
何度も深呼吸をして、馬車の窓越しに外を覗いてみる。
そこには、闇の中で剣を振るうレオンハルト様の姿があった。
黒いフードを被っていて、顔のほとんどは見えないはずなのに、動きははっきりと見える。
まるで空気を切り裂くように、彼の剣先が襲撃者を次々に退けていくのがわかるのだ。
「……すごい」
思わず息を飲んで、小さく呟いてしまう。
知っていたけど、彼は無能王子なんかじゃない――こんなに圧倒的な実力を持っているだなんて。
敵が何人いるのかも把握できないのに、レオンハルト様はまるで踊るかのように華麗に相手を倒していく。
剣戟の金属音が幾度か鳴り、やがて夜道に静寂が戻った。
「終わったの……?」
鼓動がまだ速いままだけれど、どうやら敵は全滅したらしい。
馬車のドアがゆっくりと開き、黒いフードの下から覗く瞳がこちらを見やる。
「お待たせ。無事に終わったよ、エステル」
いつもの穏やかな口調で言われると、私はつい安堵のため息を漏らした。
ゆっくりと馬車から降りようと片足を踏み出すが、気が緩んだせいか足元が滑ってしまう。
「あ……!」
身体が傾き、ドレスの裾が絡まってうまくバランスを取れない。
反射的に目をつぶった瞬間、レオンハルト様が腕を伸ばして私を受け止めてくれた。
彼の胸に抱きつくような姿勢になってしまい、お互いに固まる。
「ご、ごめんなさい……!」
慌てて身を引こうとするが、彼の手が一瞬だけ私の腰に触れているのを感じて、さらに心臓がドキッとする。
レオンハルト様も焦ったようにパッと手を離してくれたものの、気まずい沈黙が数秒流れた。
「え、えっと……大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい、大丈夫です。すみません……」
互いにぎこちなく視線を逸らす。
馬車の周囲には、私の護衛たちが気を利かせて距離を置いているようだけれど、こんな場面を見られたら恥ずかしい。
さっきまでの刺客との緊迫した空気が嘘みたいに、胸の奥が妙にドキドキするのが困る。
私は頬を染めながら視線を宙に泳がせ、レオンハルト様はわざとらしく咳払いして言葉を続ける。
「とにかく、馬車の周囲を警戒させるからね。何人かは殺さずに無力化したから、そいつらを問いただそう」
護衛たちが見張っていた生き残りの襲撃者のもとへ向かおうとした矢先、男たちは苦しそうに口から泡を吹き始めた。
明らかに毒物反応のような光景に、護衛たちは混乱する。
「まずい! 毒を吐き出させろ!」
レオンハルト様が急いで近寄るが、遅かった。
男たちは数秒もしないうちに生気を失い、その場で事切れてしまった。
「自害用の毒が、おそらく口の中に仕掛けていたんだろうね」
レオンハルト様は奥歯を噛みしめて、無念そうに拳を握る。
私も呆然とその場を見下ろすしかなかった。
こんな形で口封じをするなんて、思った以上に周到だ。
「ごめん、詰めが甘かった。まさか自害するなんて予想してなかった……」
低く呟く彼の肩が、わずかに落ち込むのがわかる。
私はそっとその腕に触れて、首を振った。
「いいえ、無事だっただけでもありがたいです。本当に、ありがとうございます、レオンハルト殿下」
「……僕も君を無事に守れてよかった。だけど、せっかく生け捕りにして情報を引き出そうと思ったのに」
自嘲するような声に、胸が痛む。
さっきの戦いで彼がどれだけ気を遣ってくれたのかは、見ていればわかる。
相手を全滅させるのは容易なのに、あえて生かして捕まえるよう気を配ったのだろう。
「でも、今は私がこうして生きています。あなたのおかげです。それだけで十分……」
自然と心からの感謝が言葉になって出た。
レオンハルト様は苦笑しながらも、ほんの少しだけ和らいだ目で私を見てくれる。
「そっか。まあ毒で自死するとは想定外だけど、今後もっと警戒するべきだね。ロドルフが絡んでる以上、これで終わりじゃない」
「そうですね」
同時に、グスタフ財務大臣の存在が脳裏をちらつく。
次に狙うべき目標は、国の根幹を揺るがすような巨大な相手だ。
きっと簡単にはいかないだろうし、こういった暗殺未遂はまだまだ起こるはず。
でも、今は――。
私は彼の手を改めて握り返したい気持ちを抑えつつ、微笑みを浮かべる。
「わかっています。また一緒に踏み込んでいきましょう。私たちの目標は、まだ先にありますから」
「うん、そうだね。じゃあ、帰ろうか。ここに長居するのも危険だし、護衛たちの傷の確認もしないと」
少しだけ気まずかった抱き合いの空気も、自然に溶けていく。
護衛たちが馬車を整えてくれるのを待ち、もう一度車内へと乗り込む。
暗殺を受けたことのショックは大きいけれど、それでも私が無事でいられるのは、彼が側にいてくれたから。
「改めて……ありがとうございました、レオンハルト殿下。あなたは本当に、無能王子なんかじゃありませんね」
馬車が再び動き出した時、私は心の中でそっと呟く。
そして、隣の席でフードを深く被ったままの彼と、微かに視線が合った。
あの眠たげな瞳が優しく細められているのを見て、また胸が締めつけられるような感覚が走る。
――二人で共有する秘密の共犯関係。
もっと多くの敵が待ち受けているかもしれない。
だけど今は彼とこうして馬車に乗り、無事に帰路につけることを、素直に喜んでいたかった。
夜の道を走る馬車の振動が、先ほどの死闘の名残を思い出させる。
でも、レオンハルト様が隣にいるというそれだけで、私はどうしようもないほど安心してしまうのだ。
「エステル、大丈夫?」
そっと囁く声が聞こえ、私は「はい」と言って小さく微笑み返す。
彼がいるから、きっと怖くない。
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