10話 ヴィクター派閥の会議
――ヴィクター・ヴィーゼンベルクは、王城の一角にある重厚な会議室で苛立たしげに机を叩いた。
幾つもの燭台が灯るにもかかわらず、その表情には深い陰が落ちている。
「くそ……クラリッサが捕まっただと? 一体どういうことだ」
低く吐き出す声に、同席している高位貴族たちが顔を見合わせた。
会議室は広いが、今この場にいるのはヴィクターと、その取り巻きである数名の貴族だけ。
いつもなら余裕ある態度を見せる彼らも、今は明らかに焦っていた。
「殿下、まさかフォーレン嬢が失敗するとは……彼女は資金の横領を暴かれた形です。グランディール家のエステル嬢が証拠を握っていたようで……」
怯えたような口調で報告するのは、すらりとした体躯を持つ公爵家の当主。
巻き毛の髪が汗ばんで額に貼りついている。
ヴィクターの表情が険しくなると、場の空気がさらに重く感じられた。
「クラリッサはただの伯爵家の令嬢だろうが! 高位貴族じゃないからこそ、疑われにくい隠れ蓑だと考えていたのに……。あれほど注意するように言っていたのに、なんでこんなにあっさりバレるんだ」
手元の報告書を、くしゃりと握りしめる。
ヴィクターの金色の髪が揺れ、その瞳には激しい怒りが映っていた。
「申し訳ありません、殿下……。クラリッサ嬢は、第一王子である殿下に恋慕を抱いており、それを利用できると思っておりました。彼女も殿下のためなら何でもする、と……」
別の貴族、侯爵家当主が言葉を継いで説明する。
彼の声には若干の震えが混じっていた。
ヴィクターはさらに険しい顔つきになり、深く息を吐く。
「結果的にあの女はエステル・グランディールに敗北した。うちの資金運用のルートまで踏み込まれたら、我々も足がついてしまう」
会議室には薄暗い照明がともり、大きな窓は重厚なカーテンで閉ざされていた。
まるで次期国王候補の表向きの華やかさとは正反対の、陰謀の中心を象徴するかのようだ。
「これ以上、証拠を見つけられれば……」
「ええ、それはまずい。公爵家の私たちにも罪が及びます」
高位貴族が次々に口を開くと、ヴィクターは苛立ちを隠さずに椅子を蹴り飛ばすように立ち上がった。
その金髪が照明に照らされ、怒りに震える瞳が獰猛に光る。
「わかっている! くそ……エステル・グランディールめ。いつからクラリッサを怪しいと思っていた? 財務処理など一度もやらなかったくせに、最近はグランディール家当主の手伝いをしていて、評判がいいだと? ふざけるな……!」
エステルの名前を口にした瞬間、彼の怒りはさらに増幅したようだった。
侯爵は小さく息を呑み、言葉を探すように視線を泳がせる。
「どうやら、あのエステル嬢が社交界で頭角を現しはじめているらしく……。今まで単なる飾り令嬢だったのが、最近になって急に力をつけているという噂です」
「評判がいい、か。まさかグランディール家の令嬢が我々の邪魔をしてくるとはな。……いいだろう、踏み潰してやる」
ヴィクターが唇を歪めて呟くと、会議室の緊迫感がさらに高まる。
そこへ、後方の扉が静かに開き、一人の男が入ってきた。
「いいところにきた、ロドルフ」
騎士団長のロドルフ・エイゼル――威圧感のある長身で、肩幅が広く、鍛え上げられた筋肉が見て取れる体格をしている。
濃い茶色の髪を短く刈り込み、冷やかな目つきで周囲を見渡すその姿は、まさに王家の“剣”としての役目を果たすにふさわしい。
顔には古い傷跡が一筋走っていて、その経緯を誰もが恐れて聞けないほどの迫力があった。
「騎士団長ロドルフ、参りました」
低く響く声でそう言うと、ロドルフはヴィクターに一礼する。
ヴィクターはさも当然という態度で指示を下す。
「ロドルフ、お前に命じる。――エステルを殺せ」
一瞬、ロドルフの眉がわずかに動くが、それはほんの一瞬だけ。
すぐに彼は跪くように頭を下げ、騎士としての従順を示す。
「……かしこまりました、殿下。エステル・グランディールの抹殺、速やかに遂行いたします」
騎士団長ロドルフの姿勢に、レイモンド侯爵らがぎょっとしたような顔をする。
高位貴族の中にも「そこまでするのか」とためらいの色を浮かべる者がいたが、ヴィクターはお構いなしに続ける。
「エステルは王家に、私に仇なす存在だ。殺してでも阻止しなければ、我々の計画は根こそぎ崩れるだろう。足が付かないように、だが確実に殺せ」
「はっ」
ロドルフは短く応じ、立ち上がる。
その鋭い眼差しは、まるで生涯鍛えてきた戦場の嗅覚で「どんな相手でも倒す」と示しているように見えた。
「殿下、本当にそれでよろしいのですか? エステル嬢を殺してしまえば、グランディール家も黙ってはいないでしょうし、王家内部でも波紋が……」
意を決して声を上げたのは、先ほどの公爵家当主。
彼の顔には焦燥が滲んでいる。
ヴィクターはその視線を冷たくはねのけるようにして、口元を歪めた。
「だったらどうする? クラリッサの失敗で、もう後がないんだぞ。エステルがここまで動いている以上、早々に始末しなければ、我々が危ない」
堂々と殺意を口にする王子に、周囲の貴族は言葉を失ったままだ。
確かに、これ以上放置すれば、エステルが握った証拠が増え、ヴィクター派閥の高位貴族たちにも確実に悪影響が及ぶ。
クラリッサの逮捕だけでも緊急事態なのに、それがさらに飛び火するとなれば、全員がただでは済まない。
「わかりました……。では、ロドルフ騎士団長にお任せするという形で。もし万が一、誰かに疑われるような事態になれば、我々の計画も破綻しますので……」
レイモンド侯爵が震える声で念押しすると、ロドルフは粛々と頷いた。
「ご安心を。私は騎士として、殿下の命令を果たすために存在します。この件、必ず成功させましょう」
まるで感情が削ぎ落とされた声音でそう言うと、ロドルフは踵を返し、会議室から出ていく。
その背中を見送るヴィクターは、何とか苛立ちを抑えようと深呼吸をしているようだった。
「エステル・グランディール……。あの女め、二度と口を利けなくしてやる。私に逆らったことを後悔するといい」
そう吐き捨てたヴィクターの瞳は、怒りに染まっていた。
誰もがその凶暴な意志に震え上がり、一瞬息を呑む。
すでに第一王子としての名声や華やかさは影を潜め、彼が露わにするのは冷酷な支配欲そのものだ。
高位貴族たちは黙り込んだまま、薄暗い会議室でヴィクターの命令を受け止めるしかない。
クラリッサの一件を機に、彼が本腰を入れて危険な手段に踏み込むことを、誰も止めることはできなかった。
ヴィクターは怒りを抱えたまま、窓の外を見つめる。
カーテンの隙間から月明かりが差し込む中、その金髪を照らす光には冷たい闇が混じっていた。
「エステル……よくも私に楯突いたな。お前が何を企んでいようと、すべて踏み潰してやる」
そう呟く声が、しんと静まった会議室を震わせる。
焦りと怒りを隠せない第一王子の姿に、高位貴族たちは息を詰まらせるしかなかった。




