9話 クラリッサを断罪
夜の空気が冷たく張り詰める中、私はドレスの裾を持ち上げながら大きな扉をくぐった。
ここは、華やかな燈火が照らす社交界の舞台。以前の人生ならば、ただドレスを優雅に揺らして談笑するだけの場だった。
でも、二度目のいまは違う。
復讐の決意を胸に、私は確かな足取りで会場を見回す。
「エステルさん、今日も麗しいですね」
「どうも、ありがとうございます」
柔らかな笑みを貼り付けて、貴族たちの言葉にさらりと応じる。
けれど耳を澄ませば、会場の隅々から聞こえてくるのは、私を嘲笑するような小声だった。
「エステルは第一王子ヴィクター殿下にも色目を使っているんでしょう?」
「今度は第二王子にも近づいてるの? どういう魂胆かしら」
「それに、グランディール家では財務処理を手伝っているらしいけど、下手くそすぎて迷惑ばかりかけているって聞いたわ」
その言葉を耳にしながら、私は会場をゆっくりと歩き回る。
思わず鼻で笑いそうになるけれど、表情は崩さない。
これらの悪い評判を流しているのが誰か――言うまでもなく、私にはわかっているから。
死ぬ前の人生は、こんなにも早く噂が広まることはなかった。
なにしろ、あの頃の私はただ舞踏会で壁際に立っているだけだったし、財務処理などに手を出すこともなかったから。
けれど、二度目のいま、私は自分の動きを大きく変えている。
そのぶん、彼女もこちらを早めに潰すべく行動しているのだろう。
「あら、エステル。お一人なの?」
背後から聞こえる甘い声。
振り向けば、待ちわびていた張本人が、にこやかな顔をして立っていた。
クラリッサ・フォーレン――私の元親友。
「ええ、少し一人で歩こうかと思って。クラリッサは楽しんでいるかしら?」
微笑みを浮かべながら、私は彼女を見据える。
クラリッサはまるで何事もないかのように、私の隣へすっと近づき、声を潜めるように話しかける。
「大丈夫? 最近、変な噂が流れてるじゃない。エステルが王子方に色目を使ってるとか、財務処理が下手で家の人に嫌がられてるとか……。わたくし、すごく心配で……」
それはもう、好意的に見れば“親友”の気遣いだろう。
でも、私は知っている。これこそがクラリッサのやり口。
表向きは心配しているふりをして、私をさらに追い詰めようとしているのだ。
「ええ、大丈夫よ、クラリッサ。ありがとう」
私がさらりと微笑み返すと、クラリッサのまつげがわずかに震えたように見えた。
まさかこんなに普通に受け答えされるとは思っていなかったのだろう。
「本当に? 無理してない? ねえ、私でよければ相談に乗るわよ」
すぐに態勢を立て直したのか、優しい顔を作って問いかけてくる。
けれど私は、唇を微かにつり上げ、わざとからかうように口を開いた。
「あら、まるで私が大丈夫じゃないことを望んでいるみたいな言い方ね、クラリッサ」
「そ、そんなわけないじゃない! わたくしはただ……」
ぎくり、とした様子がありありとわかる。
クラリッサは慌てて手を振り、周囲の視線にも気を配りながら言い訳をしようとするけれど、私はさらに言葉を重ねる。
「もう無駄な演技はいいわ、クラリッサ。あなたが私の悪評を広めていることも全部、知っているのよ」
その一言に、彼女の表情が引きつった。
周囲の貴族たちも、二人の間のただならぬ雰囲気に気づいたようで、囁きが次第に広がっていく。
「な、何を言ってるの、エステル? 私はただ……」
必死に取り繕うクラリッサ。
そう簡単に白状するつもりはないという顔をしている。
けれど、ちょうど私の声を聞きつけた人々が、好奇の目でこちらを取り囲み始める。
「聞こえない方のために、わかりやすく言いましょうか」
私は会場全体を見渡しながら、一歩進み出る。
音楽が遠のき、貴族たちの視線が集中する中、私ははっきりと声を上げた。
「クラリッサ・フォーレン嬢。あなたに――国家転覆罪の容疑がかかっています」
瞬間、ざわりと会場が揺れたように感じる。
もちろん、いきなりそんな大罪を突きつけられるとは誰も思っていなかったらしい。
クラリッサも目を丸くし、一瞬言葉を失う。
「な、何を言っているの、エステル……っ、そんな大げさな……」
私が示唆したのは「横領や不正資金集めに関わっている」という容疑。
だが、王家の資金に手をかけることは国家の財産を脅かす行為として「国家転覆罪」に匹敵する。
さらに公爵家やヴィクター殿下が絡んでいるなら、事は大問題になる。
「あなた、私の評判を落とそうと必死になっているみたいだけど、そっちの方がもっと重い罪に当たるわ。……ほら、見て。この横領や賄賂の記録書類」
私は懐に入れていた小さな書類を取り出し、高らかに掲げる。
そこにはフォーレン家と公爵家の間で「怪しい資金のやり取り」がされている証拠がびっしりと書かれていた。
これはヴィクター殿下が不正に集めた資金を、フォーレン家が中心となって管理していたという証拠に他ならない。
「な、なぜそれを……!」
クラリッサの顔が強張る。
まさかここまで具体的に握られているとは思わなかったのだろう。
周囲の人々も息を呑み、その視線がクラリッサへ集まっていく。
「こんなの、何かの間違いよ……!」
声を震わせるクラリッサ。
でも、私が彼女の悪行にたどり着けたのは、私だけの力じゃない。
――そう、レオンハルト様が「無能王子」を装いつつ探り出した裏情報が決め手だった。
私は会場の端に立つ金髪の人影を見やる。
レオンハルト様もこちらを見て、わずかに頷いた。
それが合図。
彼は「第二王子」という立場を今だけ使い、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「グランディール嬢、その証拠をこちらに」
「かしこまりました、レオンハルト殿下」
私は彼に証拠となる書類を渡す。
一緒に見つけ出した証拠なので、レオンハルト様はもう内容はわかっているはずだけど。
書類をぱらぱらとめくり確認すると、レオンハルト様は顔を上げる。
「フォーレン嬢。あなたが行ってきた資金のやり取り、証拠が揃っている。これを王家への反逆、もしくは国家転覆罪とみなさざるを得ない」
レオンハルト様の静かな声が響くと、周りの貴族たちが一層大きなざわめきを起こす。
彼が持つ王族としての権威が、疑いようのない事態の深刻さを証明するようだった。
「レオンハルト殿下……なんで、そんな……私、何も……」
しどろもどろになりながら、クラリッサは周囲に助けを求めるような視線を送る。
だけど、人々は疑惑の視線を向けるばかりで、誰も手を貸そうとはしない。
「くっ……は、謀ったわね、エステル! 親友なのに!」
ついに激昂し、こちらを指差して叫ぶクラリッサ。
私は唇に笑みを刻んだまま、静かに答える。
「親友だったのは私の一方的な思い込みよね? あなたが私の悪評を広めているのは知っているの。それも、自分が不正で得た資金を隠すためだったのでしょう?」
クラリッサの顔が引きつっていく。
私への悪評を流すことで目を逸らし、自分たちの派閥の秘密を隠そうとしていたのだろう。
でも、この場で証拠を突きつけられた以上、もう逃げ道はない。
「連行しろ」
レオンハルト様が低い声で護衛兵に命じる。
クラリッサはあまりの衝撃に目が泳ぎ、哀れなほど取り乱している。
「い、嫌、なんで私が……! そもそも、私以外にも……!」
そう言って周りを見渡すが、視線を逸らす貴族が多い。
助けに入って自分に飛び火するのを避けるためだろう。
「エステル……! この悪女め、最低よ……!」
クラリッサのその言葉に、私は鼻で笑う。
「ふふ、悪女ね――それは最高の褒め言葉ね」
瞬間、クラリッサの顔が真っ赤になり、悔しそうに護衛兵に腕を掴まれながら叫ぶ。
だけど、もう手遅れだ。
会場の空気は一変し、こちらを嘲笑していた令嬢や貴族たちも、クラリッサの凶行に驚きと嫌悪を抱いている様子がありありとわかる。
これで、あなたの策は終わりよ、クラリッサ。
私は冷ややかにクラリッサを見送る。
反抗する彼女の姿は、まるで私が処刑される直前の絶望を表しているかのようだ。
前の人生では私あの位置にいたのだと思うと、複雑な感情がこみ上げる。
しかし、今度は違う。
クラリッサの悲鳴めいた声を聞きながら、私はほっと息をつく。
ざわつく会場に響き渡る足音を耳にしながら、レオンハルト様と視線を合わせる。
そのまま、彼は微かに唇をつり上げて、会釈するように一礼する。
ありがとう、レオンハルト様……あなたの助力がなければ、ここまで一気に追い込むのは難しかった。
そう思いながら、私はまっすぐと彼に微笑みかけた。
「共犯者」としての二人の仕業は、ここに見事成功を収めたわけだ。
もう一度、会場をぐるりと見回す。
悪評を流し、私を破滅させようとしたクラリッサは退場。
これでひとまず、彼女による嘲笑や陰口は静まるだろう。
ヴィクター殿下も、これで少しは動揺するかしら。
クラリッサの失脚はただの序章……私の本当の狙いは、彼をもっと深い絶望に落とすこと。
しんと静まる舞踏会場の中心で、私は胸を張って一歩踏み出す。
悪女と呼ばれても構わない。
二度目の人生――この舞台は前よりずっと険しくとも、絶対に踊り切ってみせる。
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