退く
アリストスセラスが十歳の誕生日を迎えるにあたり、王宮でパーティーが開かれることとなった。
同年代の貴族子女とは少しずつ交流を重ねていたが、アリストスセラスが公式の場に出るのはこれが初めてである。
他国の人間は招かないが、国内の主だった貴族はほとんど出席する。この誕生日パーティー以降は、国の行事にも顔を出していく予定だ。
「たくさんの人の前で挨拶なんて、緊張するぅぅぅ」
パーティーで着るためのドレスの最終調整をされながら、アリストスセラスは小さく唸った。
その横で、ドレスの意匠図を見ていた親友の公爵令嬢フィーリアが笑う。
「みな、ラスの可愛らしさにポーッとしますから、大丈夫ですわよ。ね、ビィ?」
「はい。ちょっと間違えたり、噛んだりしても、可愛らしさに拍車がかかるだけでしょう」
「そうそう。ありのままのラスでいいと思いますわ!」
無責任な言葉に、アリストスセラスはムッとする。
アリストスセラスを見ずに熱心に意匠図を見ているフィーリアとビィに「べーっ!」と舌を出して、わざとらしく大きな溜め息をついた。
「二人とも神経が図太すぎるから、わたしの繊細な気持ちなんてわからないんだわ」
「繊細な姫さまなら、そんなふうに舌を出したりしません」
服飾屋の採寸を手伝っていたマイヤがぴしゃりと断じた。
マイヤは、常日頃からアリストスセラスが姫らしく上品に楚々とした振る舞いが出来るよう、教え諭しているのだが……なかなか実現には至らない。
「マイヤとビィも、パーティーのときはそばにいてくれる?」
ようやく調整が終わり、フィーリアの横に座ったアリストスセラスは、上目遣いにマイヤとビィを交互に見た。
マイヤは首を振る。
「わたくし達は、付き添いません。特にビィは、大勢のお客さまの前で粗相をしそうですからね。危なっかしくて、とても無理です」
ビィは肩をすくめた。
フィーリアには、ビィはマイヤの遠縁の娘で、両親が亡くなったためにマイヤの元に引き取られたと説明している。平民として下町で育ったので、礼儀作法があまり身についていないという設定だ。
しかしアリストスセラスには、ビィが侍女となった経緯を最近、打ち明けていた。
アリストスセラスももうすぐ十歳、今後は離宮を出て王宮で暮らす手筈だ。そのため侍女も、きちんとした貴族の娘たちを、一国の姫に相応しい人数で揃えることが決まっていた。
ということで、ビィはお役御免となる。
ビィが専任侍女から外されると教えられ……久々にアリストスセラスは泣いて暴れた。どれだけ宥めても聞かず、あまりにも泣き続けるので、マイヤは渋々、ビィは本来、姫付きの侍女になれる人間ではないと打ち明けざるを得なかった。
さらにビィも「これ以上はラスのそばにはいられない」と身を切る想いで告げ、ひとまず騒動を収めたのだが―――
「広間の端でいいから、マイヤとビィにも晴れ姿を見てほしいな」
ドレスの意匠図を見つめ、ぽつりとアリストスセラスが漏らす。
その切ない響きに、マイヤは胸を突かれたように唇を噛み締めた。
その夜。
しばらく離宮から姿を消していたマイヤは、帰ってくるなりビィを呼び出した。
今日はアリストスセラスが早めに就寝したので、自室でのんびり寛いでいたビィは慌てて着崩していた服を整え、マイヤの元へ行く。
「はい。どうされましたか?」
マイヤは、珍しく柔らかい表情をしていた。
かすかに微笑みながら、ビィの手を取る。
「陛下に奏上してきました。……姫さまの誕生日パーティーで働く使用人の一人に、あなたを加えて欲しいと」
「えっ」
「姫さま付きは無理ですが、食事の配膳をする一員に加わる分は良いとの許しを得ました」
「本当ですか!?」
ビィは目を大きく見開き、唇をわななかせた。
アリストスセラスの晴れの舞台、影からでもいい、一目見れたら、とひそかに願ってはいた。
でも、自分は罪人だ。
そんな人間がアリストスセラスの華やかなお披露目の場にいては、泥を塗るようなものだとも思う。
アリストスセラスのためにこそ、自分はここできちんと身を引かねばならないと自戒していた。
していたが……許されるなら、これほど嬉しいことはない。
「ありがとう……ございます、マイヤさま……」
「あなたがどれだけ姫さまに尽くしてきたか、わたくしが一番存じておりますもの。姫さまの晴れ姿を見たい気持ちが、わからないはずがありません」
アリストスセラスが熱を出せば、一晩でも二晩でも寝ずに看病を続けた。
アリストスセラスのために料理を習い、ケーキを焼いた。
必死で文字を覚えては、毎夜、絵本を読み聞かせた。
長じてからは、アリストスセラスの苦手な教科の勉強を、ずっと横で一緒にやり続けた。
朝から晩まで、ビィの日々はアリストスセラス一色だ。最初は、王宮へ盗みに入ったことへの罰だったかも知れない。しかし今、ビィにとって、アリストスセラスがすべてなのだ。
「あたしは……処罰されず、ここで働かせてもらったことだけでも、幸せでした。これ以上、望んではいけないとわかっているのに……マイヤさま、本当に、本当にありがとうございます」
「ふふ、これはあなたのためだけでは、ありませんよ。姫さまの願いでもありますからね。すっかり我がままを言わなくなった姫さまのささやかな望みくらい、叶えてあげたいではないですか」
「それも……ありがたいことです。姫さまは、あたしの過去を軽蔑しなかった……」
自身の過去をアリストスセラスに打ち明けた際、もしかすると侮蔑され嫌われるかも知れないと不安に思っていた。しかしアリストスセラスは、「ビィは……たった一人でがんばって生きてきたのね。だから、そんなにカッコいいんだ……」と涙ながらに共感してくれたのだ。
それだけで、幼い頃の辛い記憶が浄化される気がした。
マイヤは、両手で包んでいたビィの手を優しく撫でた。
「あなたの過去の行為、確かに間違ったものはあるでしょう。でも……実をいうと、わたくし達にも負い目はあるのです……」
マイヤは静かに語り始める。
―――あなたの出自は、我が国と接する東の山脈に暮らすカートの民だと思います。そのカートは……今から二十年近く前、滅びました。
アスヒモス国があなた達の故郷を襲ったためです。
あのとき、カートは近隣諸国へ救援の要請をしました。しかし我が国は当時、陛下が即位したばかり。国がゴタゴタしていて、応えることが出来きなかったのです。長らくカートとは友好関係にあったというのに。
陛下は、今もそのことを悔いておられます。だから……あなたを姫さまの侍女にしたのかも知れません……。
「あたしの故郷が滅びたのは、別に陛下のせいじゃない」
ビィは首を振りながら、呟いた。
悪いのは、アスヒモス国だ。今も、アスヒモス国はあちこちの国を蹂躙していると聞く。
「ええ。それにあなたの罪を許したところで、償いになるとも陛下は考えてはおられぬでしょう。だけど……あなたが今、盗賊稼業から足を洗い、真っ当な生き方をして姫さまと良い関係を築いている、そのことを陛下はひそかに救いにしておられると思うのです」
(あたしが真っ当な生き方ができるようになったのは、ラスがいたからこそ。あたしの方こそ、陛下に感謝だ)
実のところ、ガレノス王は苦手なのだが……ビィはこっそりと胸の内で王に向かって頭を下げた―――。




