見守る
ところで、離宮の屋上に仕掛けた罠で捕れた鳥は、結局、そのまま逃がすこととなった。アリストスセラスは「ちゃんと首をしめる!」などと言っていたが、いざとなると手が震えてどうしても出来なかったからだ。
ビィは、そんなアリストスセラスで良かったと思う。
生きるということは、生き物の命を奪うことだろう。ビィは生きることに必死だったので、鳥や魚の命を奪うことにためらいはない。食べるために当然の行為だと考えている。
しかし、アリストスセラスは常人とは違う強い力を持っている。命を奪うことに対して、強い恐れは必要だ。恐れがあれば……その力を安易に振るうことはないだろうから。
でも何より、この天真爛漫な少女が血に濡れる姿を、ビィは見たくなかった。
さて、離宮で茶会が開かれることになった。
といっても招くのは一人だけ、リバーディア公爵の娘フィーリアである。
アリストスセラスは今までマイヤとビィ、護衛騎士、そしてたまに離宮に訪れる両親―――国王と王妃以外は触れ合ったことがない。つまりフィーリアは、少しずつ他の人に慣れてゆくために選ばれた、最初の少女なのだ。
ちょうどアリストスセラスと同じ年で、頭の回転が早く聡明な子との噂であった。
「おともだちになれるかなぁ……?」
茶会の前の日の夜。
ベッドに入ったアリストスセラスは、やや不安そうな目でビィを見上げた。
ビィは優しくアリストスセラスの髪を撫でる。
「大丈夫、大丈夫。ラスと一緒で、竜があちこち旅をする冒険物語が大好きだってさ。きっと話が合うよ。……でも、ラスと違って力が弱いからな? 引っ張ったりしたらダメだぞ?」
「うん、わかってる。こっせつしたら、たいへんだもんね」
今はもう、自分が他の人たちと少し違うということが分かっているアリストスセラスは、神妙な顔で頷いた。
力を上手にコントロールする方法は、学んでいる最中だ。
ビィに「大丈夫」と言われて安心したのか、アリストスセラスはふうっと息をはいて、笑顔になった。
「明日、ビィもよこにいてね」
「ああ。……さ、もう寝な。寝不足になると、ブサイクな顔になるぞ?」
「ならないもーん。ラスはどんなときでもカワイイもん。いつも、ビィがカワイイっていってるもん!」
「あはは、どんなときでもカワイイのは、五歳まで。これからは、気をつけないとブスになるぞ~」
「えー、イヤ~!」
ぱたぱたと足を動かしていたら、部屋の扉が開いた。
「姫さま! いつまで起きているんですか。ビィも、姫さまを興奮させてはいけません!」
「はい!」
「はーい!」
アリストスセラスは慌てて布団をかぶりなおし、ビィも布団を直して、急いでマイヤの元へ行った―――。
お茶会当日。
現れたフィーリア嬢は、幼いながらも非常に礼儀正しい少女だった。
「はじめまして、アリストスセラス・ガラシオスです」
「おはつにお目にかかります、アリストスセラスひめさま。わたくしはリバーディア公しゃくがむすめ、フィーリアでございます。お会いできて、とてもうれしくぞんじます」
流れるように自己紹介し、スッと片足を後ろに引いて美しい礼をする。
あまりに完璧な挨拶に、アリストスセラスは青くなって近くに控えているビィに助けを求める視線を送った。ビィも内心はびっくりしたが、そんな気持ちは表に出さず、「大丈夫!」と言外に込めて頷く。
アリストスセラスは泣きそうな顔になりながら、ぎこちない仕草で礼をした。
―――こうして少女二人だけのお茶会が始まった。
最初は会話も途切れ途切れだったが、時間が経つにつれ互いに打ち解けてきたらしい、話が弾み始める。
そのうち笑い声も上がるようになって、マイヤとビィは顔を見合わせホッと息を漏らした。
アリストスセラスだけではなく、この二人も初めてのお茶会に緊張していたのだ。
やがて、すっかり打ち解けた少女たちは、庭を散歩すると言い出した。
マイヤは、「庭園から出てはいけませんよ」と注意することは忘れず、にこにこと少女たちを庭へ送り出す。一方ビィは後ろからついてゆき、少女たちの邪魔にならないよう、少し離れたところから見守った。
(楽しそうで、良かった)
アリストスセラスは同じ年頃の子供と会うことに、期待と不安を持っていた。その不安が現実化せず、期待がそのまま喜びに変わってくれて、ビィとしても嬉しいことこの上ない。
高貴な生まれなのに、ずっと離宮で人から隔絶されて暮らしているアリストスセラス。
閉塞感もあるだろうに、不満も不平も漏らさない。
ビィとて幸せな幼少期ではなかったが、こんな籠の中の鳥のような暮らしを強いられるのは、苦痛だと思う。しかもマナーや勉強に明け暮れる日々を送らければならない……王族とは、なんと窮屈なことか。王宮に住む人間は、毎日贅沢して遊んで暮らしているに違いないと思っていたのに。
玉座にふんぞり返っている王でさえも、朝から晩まですべて予定が決められていて、自由な時間はほとんどないそうだ。
王族に生まれなくて良かったと、しみじみ思う。
「きゃーーー!」
そのとき、何かの倒れる音と、少女の甲高い悲鳴が聞こえた。
少女二人が蝶を追いかけて大きな木を回った先からだ。
ビィは仰天して駆け出した。あっという間に木の向こう側へたどり着くと……背の高い重そうな木製の梯子が倒れており、その下にアリストスセラスがいた。
すぐそばにフィーリアが座り込んでいる。
「ラス!」
「……だいじょうぶ」
背中で受けていた梯子をずらして地面へ下ろし、アリストスセラスがぎこちなく笑った。しかしビィは血相を変えて駆け寄る。
「大丈夫なわけ、あるか! 背中みせてみろ!」
「だいじょうぶだよ、ビィ。アリストスセラスは体、じょうぶだもん。ちょっといたかっただけ」
「でも……!」
「フィーリア、だいじょうぶ?」
心配するビィを押しのけ、アリストスセラスは座り込むフィーリアに手を伸ばした。
フィーリアは目を大きく見開き、口をパクパクさせる。
「あ、あ……アリストスセラス姫さま、だ、だいじょうぶなのですか……。だって、だって、そんな大きなハシゴが背なかに……」
「うん、わたしは体がふつうの人よりじょうぶだから、へいき」
「ほ、ほんとうに……?」
脅えるようなフィーリアの眼差しに気付いて、アリストスセラスは伸ばした手を力なく下げた。
そして、そのままゆっくりと後退る。
「ほんとうに、だいじょうぶ。でも、やっぱり……きもちわるいよね?」
ビィはハッとした。
昨夜、アリストスセラスが不安そうだった一番の原因は、もしかすると自身の異質な能力のことだったのかも知れない。
気持ち悪くない、そう叫びたいのを拳を握りしめて我慢する。ここでビィがそう言っても、意味はない。
祈るような気持ちで、座り込んでいるフィーリアに視線を向ける。
フィーリアは、後退るアリストスセラスを呆然と見ていたが、ふいにキュッと口元を引き締めて一人で立ち上がった。
「しつれいしました、アリストスセラス姫さま。とつぜんのことに、おどろいてしまって。あの……わたくし……わたくしのヒミツを姫さまにおしえますわ!」
「ヒミツ……?」
突然の話の展開に、さすがにアリストスセラスもぽかんとして聞き返す。
フィーリアは、真面目な顔で頷いた。
「はい。そのまま、そこで見ていてくださいませ」
そう言って、少女は両手を天に上げてぐいっと背を反らせた。そして……ぐにゃりと後ろに手をつく。
「えっ?!」
「すげー……」
アリストスセラスは驚きに目を見張り、ビィも思わず声を洩らす。
「フィーリア! だ、だ、だいじょうぶ?!」
「だいじょうぶです。わたくし、からだがすごく、やわらかいのです。……わたくし、きもちわるいですか?」
アリストスセラスは息を飲んだ。
その言葉は、先ほどアリストスセラスが尋ねた言葉だ。
勢いよく首を振る。
「ううん。ううん、きもちわるくない。すごい。すごいよ、フィーリア」
「よかった」
フィーリアは弓なりに反ったまま笑い、そこからぐんにゃりと起き上がった。
「アリストスセラス姫さまも、ぜんぜん、きもちわるくないですよ。からだがつよいなんて、うらやましいくらいです」
少し乱れたドレスを直しながら、フィーリアが明るく言う。
先ほどアリストスセラスの手を取らず、呆然としていたのは、単に驚いたせいだったようである。
アリストスセラスはホッとしながらも、もじもじとそばの大木を指した。
「でも、力もつよいの。たぶん、おもいっきりなぐったら、その木をおることもできるくらい」
「まあ! それは、ステキですわ。ナイショですけど、わたくし、こっそりジャムをつまみぐいしようとしたのに、フタをあけられませんでしたの。姫さまといっしょなら、あけていただけますね」
ふふふと笑う少女に、アリストスセラスはじんわりと涙を滲ませた。
滲んだ涙がゆっくりとこぼれ落ち、それが地面へ落ちる前に、アリストスセラスは歪んだ顔で笑った。
「うん……うん、あけてあげる。どんなにかたくても、平気だよ!」
「ありがとうございます! 姫さま、これからもわたくしと仲よくしていただけますか?」
「わたしの方こそ、フィーリアとおともだちになりたい。なってくれる?」
「もちろん! わたくしのこと、これからはフィーとよんでくださいませ」
アリストスセラスはちらっとビィを見た。ビィは込み上げる温かい想いを抑えながら、頷いた。
ラスは二人の間だけの愛称だったが、この優しくて賢い少女にも許されてしかるべきだろう。
「じゃあ……わたしのことは、ラスとよんで?」
―――こうして、アリストスセラスとフィーリアは大の親友となったのだ。
次の更新は、来週に…




