働く
アリストスセラスは七歳となった。
元々、非常に愛らしい容貌だったが、成長するにつれその可愛さには磨きがかかってきた。特に笑顔は最強である。
おかげで今や姫の護衛任務は、騎士たちに大人気だ。
なにせ姫は、顔を合わせると必ず可愛く挨拶をし、任務を労ってくれる。天真爛漫な愛らしい姫がニコッと笑って労ってくれると、瞬時に心が癒され、誰もがメロメロになってしまうのだ。
姫が小さい頃は、泣いて暴れると騎士数人でも抑えるのは大変だったものだが……この頃は、滅多に癇癪も起こさない。なので、姫がとんでもない怪力の持ち主だと知らない若い騎士も多くなっていた。
さて現在、アリストスセラスは離宮で暮らしている。
あの牢獄のようだった部屋は、アリストスセラスの安全のために作られた部屋だったので、目を離したすきに壁によじ登ったりしなくなってからは、離宮住まいだ。
だが、相変わらず姫付きの侍女はマイヤとビィの二人だけである。
今さらではあるが、アリストスセラスの怪力を広く知られないようにするためと、アリストスセラスがビィにべったりなので、ビィをお役御免にすることができず……そうなると、ビィの身元がバレても困るので、他の者は迎えられないという状態になっていた。
だがそんなビィも、この数年で驚くほど上品になった。言葉遣いもまったくの別人である。初めて会う者は、ビィはどこかの貴族の娘に違いないと思うことだろう。
それはずっと孤独に生きてきたビィが、全力で甘え頼ってくる小さな存在に……すっかり心を囚われてしまったせいだった。
小さな姫の無垢な信頼に応えるため、ビィは懸命に努力を重ねた。
重ねた末、ようやく超ぶ厚い皮を被れるようになったのである。マイヤの厳しい指導のおかげでもあっただろう。
ただ皮は厚くなったが……残念ながら中身までは変えられなかった。相変わらず素は、粗野で女らしさなど微塵も無いままだ。
「ビィ。これ、うまくむすべない」
「あん? ちょっと見せてみな。……ああ、ここをこうやって、こうすればいい。ほら、完成だ」
「やったぁ! じゃあ、これをおいておけば、いいのね?」
「ああ」
今も離宮の屋上で、ビィはお仕着せの黒い制服のスカートをアラレもなく広げて座っている。その横では、同じように足を広げて、アリストスセラスがいそいそと罠を設置していた。
今日は、屋上に鳥を捕まえるための罠を仕掛けに来たのだ。
アリストスセラスが最近、森で狩猟暮らしをする親子の物語を読んで、「わたしも、狩りをしたい!」と言い出したせいである。実際に森へ行って狩りをする訳にもいかないので、こうやって離宮の屋上で罠を仕掛けることにしたのだ。
ちなみに、マイヤにバレると怒られるので、二人だけでこっそりと活動している。
「あとは、ここにエサをおこうか。……捕まえたら、ホントにラスが首を絞めるんだな?」
「うん。今日のよるごはんに、だしてもらうの。それと、ちゃんと、トリさんの命にかんしゃもする」
「そう、命には感謝しないとな」
設置した罠の具合を確かめ、ビィはにやっと笑った。アリストスセラスも同じようににやっと笑う。
完全に仲の良い姉妹か、親子のようである。
ちなみにラスとは、アリストスセラスの愛称だ。ビィとアリストスセラス、二人だけのときに使っている。
さて、屋上から壁を伝って下に降り、離宮の中へ入るとマイヤが待ち構えていた。
「どちらへ行っていたのです?」
「庭園を散歩しておりました」
「サンポしておりました」
済ました顔で言う二人にマイヤは疑いの眼差しを向ける。
だが何も言うことなく小さく頭を振って、奥のテーブルを指した。
「お茶の準備が出来ておりますよ」
「わあ! リンゴのケーキ、すき」
パッとアリストスセラスの顔が輝く。
すぐテーブルの方へ行こうとするアリストスセラスに、ビィは苦笑しながら「手を洗ってからです、姫さま」と声を掛けた。
「はぁい」
アリストスセラスは元気よく返事し、ビィの元へ戻ってきて「いっしょに行こう」と彼女の手を引いた。
「ビィ! 荷物、持つよ」
洗濯室まで、洗濯物を持っていこうとしていたビィに、護衛騎士の一人が声を掛けてきた。
「いえ、大丈夫です」
「いいから、いいから。ビィは働きすぎだよ、少しくらい手を抜いたらいい。姫の側付きがたった二人なんて、少なすぎる」
ビィより二つ年上のイリオスは、つい最近、離宮に配置されたばかりだ。
離宮に来たときからビィに好意的でよく話しかけてくる。
ちなみにイリオスは、ビィが盗賊だったことを知らない。というより、ビィの正体は限られたごく一部の者のみが知る極秘情報である。王宮で逃げ回った際、多くの騎士から追われたのだが―――顔を隠していたせいだろう、あの盗賊がビィだと気付いた騎士はいない。そもそも盗賊が女だったと気付いた者もいないはずだ。
ちなみに、あのときの逃走劇はいまだに騎士の間で語り草になっているらしい。あれほど俊敏な盗賊は今後、二度と現れまい、と。ただ件の盗賊は、捕まって処刑されたとみな、思っている。
さてビィは物心ついたときから、朽葉色の髪をずっと短くしていた。
しかしアリストスセラスの侍女になったときに、マイヤから言われて髪を伸ばすようになった。
この頃はすっかり長くなり、練習も兼ねていろいろな形に結い上げる毎日だ。印象的な萌葱色のつり目は大きくぱっちりとしているので、髪を結って女らしくなったビィは、護衛騎士たちの間で密かに人気になっていた。
「今日の髪型も可愛いね。やっぱりそれも姫さまが結ってくれたの?」
「ありがとうございます。はい、そうなんです! この髪も、姫さまが結ってくれました」
普段、ビィは騎士とは最低限の会話しかしない。さんざん追いかけ回された記憶のせいで、騎士には苦手意識を持っている。
しかし、そんなビィでも饒舌になるときがあった。それは、アリストスセラスに関する話題になったときだ。
今も、パッと表情を綻ばせた。
イリオスは感心したように頷きつつ、さりげなくビィの髪に触れる。
「すごいなぁ、毎日、違う髪型だよね? 姫さまって器用だなぁ」
「うんうん、そうですよね。あたし……じゃない、私よりも器用ですから! 最近は刺繍も練習していて、とてもお上手なんですよ。今度、刺繍したハンカチをくださるそうです」
思わずニコニコと自慢して、ハッと我に返る。
少し頬を赤くして、ビィは横を向いた。
「失礼しました……」
「どうして謝るのさ。僕も、お仕えする姫さまの話を聞けてうれしいんだよ? 護衛の騎士は、姫さまと話ができないからね」
イリオスはそう言って、ニコッと笑う。
ビィは、なるほどと内心で頷いた。
護衛騎士は、基本的に部屋の隅や外に控えている。姫から声を掛けられた場合を除いて、騎士から話しかけてはいけないという規則があるらしい。
仕えている主の好きなものや得意なことを知りたいと思うのは、自然なことだろうと納得した。
……実際は、ビィとの会話を増やしたくて、イリオスは姫の話題を取り上げているだけなのだが。
そのとき、窓の外から「クァーーー!」と不思議な鳴き声がした。
ビィとイリオスが揃って窓の方を向く。
「キアノのやつ、今日はご機嫌だな」
「えっ、イリオスさまは飛竜の気持ちがわかるんですか?」
ポツリと漏らしたイリオスの一言に、ビィは目を丸くする。
さっきの鳴き声は、ガラシオス王国に帰属する飛竜の鳴き声だ。
現在、この国には十二の飛竜がいる。
「うん、大体わかるよ。そうじゃないと、飛竜には乗れない」
「そっか……そうですよね。飛竜に乗るのって、どんな感じですか? 気持ちいいですか?」
「ビィは、飛竜に乗りたいの?」
今まで、姫のこと以外ではビィとなかなか会話が続かなかったので、イリオスは目を輝かせた。
この国で限られた騎士しかなれない飛竜騎士であることは、イリオスの誇りである。だが女性たちは、飛竜騎士という肩書きに興味は示すけれど、飛竜の話には興味がないことがほとんどだった。
ビィにいたっては、飛竜騎士という肩書きさえ興味を持ってくれなかったので、イリオスは話題にしようと考えたことがなかった。
ビィが、王宮の門塔の上で休む飛竜を眺める。
「空を自由に飛び回るっていいなぁと思っていたので……一度でいいから、乗ってみたいですね」
「へえ、そうなんだ! ビィは空を飛んでみたいんだ!? じゃあ、乗せてあげるよ、と言いたいけれど……うう、さすがに飛竜はムリかなぁ」
「あはは、それはもちろん、わかっています」
飛竜は国の宝である。
ビィのような罪人は、そばに近づくことさえ許されないに違いない。
ちなみにビィが空を飛びたいのは、単に盗みに入るのも逃げるのも簡単そうだという理由からであって、イリオスが思っているような可愛いものではない。今はもちろん、盗賊に戻る気など一切ないが……空に竜の影を見るたび、つい、(アレに乗れたら楽に……)と考えてしまうビィなのだった―――。




