第九章 ちゃんと、好きだと思った
五月の終わり。
空気が少しずつ春から夏に変わり始めていた。
大学にも慣れてきた。
講義の流れ。
昼休みの過ごし方。
誰と話すか。
少しずつ、自分の居場所みたいなものもできてきた。
でも。
最近、一番変わったのは多分そこじゃなかった。
美咲との距離だった。
あの日、水族館の帰りに話してから。
何かが少し変わった。
毎日じゃないけどLINEは続く。
授業終わりに会う。
一緒に帰る。
週末に少し出かける。
でも、まだ付き合ってはいない。
曖昧なまま。
ただ。
前よりずっと自然だった。
無理に気を遣わない。
思ったことを少し言えるようになった。
それが、前との違いだった。
⸻
「で、結局どうなの?」
健太がニヤつきながら言う。
学食。
昼休み。
「何が」
「元カノ」
最近、健太には少し話していた。
完全には隠しきれない。
「順調?」
「……わかんない」
「いや絶対好きじゃん」
否定できない。
もう自覚していた。
好きだ。
また。
ちゃんと。
でも。
まだ言えていない。
告白なんて、もっと先の話だと思ってた。
今の関係を壊したくない気持ちもある。
でも。
曖昧なままなのも少し苦しくなっていた。
「言わないと誰かに取られるぞ」
健太が軽く言う。
冗談のはずなのに、少し刺さった。
大学だ。
出会いはいくらでもある。
俺みたいに慎重に考えてる間に、誰かが近づくかもしれない。
その時。
スマホが震える。
朝倉 美咲
『今日、一緒帰れる?』
それだけなのに、少し嬉しい。
『帰れる』
すぐ返信した。
⸻
夕方。
校門前。
美咲はベンチに座って待っていた。
「お疲れ」
「お疲れ」
最近、このやり取りが増えた。
自然になった。
並んで歩く。
少しだけ近い距離。
でもまだ、手は触れない。
「最近さ」
美咲が言う。
「大学、少し楽しくなってきた」
「ほんと?」
「うん」
少し笑う。
「悠真と会う日あるから」
その言葉が、思った以上に嬉しかった。
「俺も」
気づけばすぐ返していた。
沈黙。
でも悪くない。
駅前の信号で止まる。
その時。
「あ、美咲!」
後ろから声。
振り向くと、男が手を振っていた。
同じ大学っぽい。
背が高くて、明るそうな雰囲気。
「あ、悠斗」
美咲の知り合いらしい。
少し話し始める。
サークルの話。
飲み会の話。
俺は少し後ろで待つ。
別に普通のことだ。
でも。
なんとなく落ち着かない。
「今度またご飯行こ」
男が笑って言う。
「考えとく」
美咲が軽く笑う。
その瞬間。
少し胸がざわついた。
嫉妬。
たぶん、そうだった。
嫌だった。
誰かが近づくのが。
その感情に、自分で少し驚く。
別れた相手なのに。
いや。
もう違う。
また好きだからだ。
男が去った後。
少し沈黙が落ちる。
「サークルの人?」
「うん」
「仲いいんだ」
思ったより低い声が出た。
自分でも少し嫌になる。
美咲が少し止まる。
それから。
少し笑った。
「……嫉妬?」
「違う」
即答しすぎた。
「絶対そうじゃん」
笑ってる。
でも、少し嬉しそうだった。
「ごめん」
「別に嫌じゃない」
その言葉に少し止まる。
信号が青になる。
歩きながら。
美咲がぽつりと言った。
「私、あんまりそういう気ないから」
「え?」
「サークルの人」
少しだけ視線を逸らす。
「……他に気になる人いるし」
心臓が大きく鳴る。
聞きたい。
でも怖い。
違ったら嫌だ。
「そうなんだ」
情けない返ししかできない。
美咲が少し笑う。
「相変わらず鈍いね」
その言葉の意味を、ちゃんと考えられないまま駅に着いた。
⸻
その日の夜。
ベッドでスマホを見ていた時。
美咲からLINE。
『今日ちょっと楽しかった』
続けて。
『あと、嫉妬してたの少し嬉しかった笑』
しばらく画面を見つめる。
もう。
たぶん。
答えは出てる。
好きだ。
ちゃんと。
もう一回。
怖いけど。
ちゃんと伝えたい。
次会った時、言おう。
そう決めた。
でも。
その前に。
思ってもいなかった出来事が起きる。
翌日。
大学で、美咲の姿が見当たらなかった。
昼を過ぎても、LINEの返信もない。
夕方。
やっと届いたメッセージ。
『ごめん、熱出た』
その後。
『少しだけ、会えないかも』
急に。
胸の奥がざわついた。




