第七章 少し近づいた距離
土曜日。
水族館に行く約束の日。
朝から少し落ち着かなかった。
別にデートじゃない。
……たぶん。
でも、元カノと二人で休日に水族館へ行くって、普通ではない気がする。
服も少し迷った。
結局、白シャツに黒のカーディガン。
頑張りすぎてると思われたくない。
でも、少しはちゃんと見られたい。
そんな自分が少し面倒だった。
待ち合わせは駅前。
十分前に着く。
また早すぎた。
スマホを見ながら時間を潰していると、後ろから声がした。
「お待たせ」
振り返る。
一瞬、言葉が止まる。
薄い青のブラウス。
髪も少し巻いていた。
高校の頃とは違う雰囲気。
少し大人っぽい。
「……どうした?」
美咲が少し笑う。
「いや」
「変?」
「違う」
少し間が空く。
「似合ってる」
言ってから少し後悔した。
慣れてない。
こういうの。
でも美咲は少し驚いて、それから笑った。
「珍しいじゃん」
「……頑張った」
「ありがとう」
その笑顔が少し嬉しかった。
⸻
水族館は思ったより混んでいた。
家族連れ。
カップル。
大学生くらいの人たち。
周りを見るほど、少し落ち着かなくなる。
なんとなく。
自分たちもそう見えるんだろうか、と考えてしまう。
「まず何見る?」
「順番でよくない?」
「悠真っぽい」
笑われる。
館内は少し暗かった。
青い光。
静かな水の音。
水槽を泳ぐ魚を見ながら歩く。
不思議と会話が自然だった。
大学の話。
高校の懐かしい話。
最近ハマってる動画。
本当に何気ないこと。
でも、楽しかった。
クラゲのエリア。
ゆっくり漂う光を見ながら、美咲がぽつりと言った。
「なんか、不思議だね」
「何が?」
「こうしてまた一緒にいるの」
少し考える。
「……確かに」
「高校の時、もう会わないと思ってた」
その言葉に少しだけ胸が詰まる。
俺もそう思ってた。
別れた時点で終わりだと思ってた。
だから連絡もしなかった。
忘れようとしてた。
「でもさ」
美咲が水槽を見たまま言う。
「また話せてよかったって思ってる」
その言葉が、静かに残った。
「俺も」
気づけばそう言っていた。
嘘じゃなかった。
一緒にいると落ち着く。
大学で一番自然体でいられる。
それが美咲だった。
⸻
昼は近くのカフェに入った。
窓際の席。
人通りを見ながらご飯を食べる。
「そういえば」
美咲が急に言う。
「悠真って、今好きな人ほんとにいないの?」
少し止まる。
「……なんで」
「気になるから」
視線を逸らしてコーヒーを飲む。
本当はいる。
でも。
目の前にいる相手だなんて言えるわけない。
しかも元カノ。
また離れるのが怖い。
「いない」
少しだけ逃げた。
美咲は「そっか」と言って、それ以上聞かなかった。
でも、少しだけ残念そうにも見えた。
気のせいかもしれない。
⸻
帰る頃には夕方だった。
駅へ向かう途中。
急に雨が降り始める。
「うわ、最悪」
美咲が空を見る。
「傘ある?」
「ない」
俺もなかった。
近くのコンビニまで少し距離がある。
雨は強くなっていく。
「走る?」
「しかないか」
二人で少し笑って走り出す。
高校の頃もこんなことがあった気がする。
文化祭の帰り。
突然雨が降って、一緒に笑いながら走った。
コンビニの軒下に着く頃には、少し濡れていた。
「やば」
美咲が笑う。
髪が少し崩れている。
「風邪ひくぞ」
「誰のせい?」
「俺?」
「走るって言ったじゃん」
笑う。
なんでもない時間なのに、すごく楽しい。
その時。
急に風が吹いた。
美咲の髪が少し顔にかかる。
自然と手が動きそうになった。
高校の頃なら、直していた。
でも今は違う。
止まる。
その微妙な距離。
気まずさ。
でも。
「……何?」
美咲がこっちを見る。
近い。
思っていたより。
心臓が変な音を立てる。
「いや……髪」
「え?」
少し迷ってから言う。
「濡れてる」
我ながら下手すぎた。
美咲が吹き出す。
「なにそれ笑」
恥ずかしい。
でも。
少し笑ったあと、美咲が小さい声で言った。
「前なら、直してくれてたのに」
時間が止まった気がした。
高校の頃の話。
覚えてるんだ。
俺も。
全部。
沈黙。
雨音だけ。
そして。
美咲が少しだけ真面目な顔で言った。
「……ねえ悠真」
「ん?」
少し間。
「私たち、また戻れると思う?」
胸の奥が、大きく揺れた。




