第六章 少しだけ、怖くなった夜
『今日、ちょっと電話できる?』
そのLINEを見てから、落ち着かなかった。
普段、美咲から電話なんてしない。
用事がある時も大体LINEだった。
だから余計に気になる。
悪い話なんじゃないか。
誰か好きな人ができたとか。
「相談がある」とか。
考えなくていいことばかり浮かぶ。
二十一時。
少し迷ってから、俺はメッセージを送った。
『今なら大丈夫』
数秒後。
着信。
画面に表示された名前。
朝倉 美咲
少し深呼吸してから出る。
「……もしもし」
『もしもし』
久しぶりに聞く電話越しの声。
少しだけ懐かしい。
高校の頃、寝る前にたまに電話していたことを思い出す。
意味もない話をして、気づけば一時間とか。
でも今は、少し緊張する。
「どうした?」
少し沈黙。
『あのさ』
声のトーンが少し低い。
『今日、サークルの人に告白された』
頭が、一瞬だけ真っ白になった。
「あ……そうなんだ」
なんとか出た言葉がそれだった。
胸の奥が少し重くなる。
やっぱり、そういうこともある。
大学だし。
美咲は普通に可愛い。
誰かが好きになるのは当たり前だ。
でも。
思っていた以上に、しんどかった。
『断った』
その一言で、少し呼吸が戻る。
「……え?」
『なんか違った』
美咲は少し笑った。
でも、その笑い方は少し疲れていた。
『優しい人だったんだけどね』
「そっか」
『でも、なんか無理だった』
沈黙。
なんで俺に電話したんだろう。
相談?
報告?
それとも——。
『悠真なら、どう思うかなって』
少しだけ心臓が鳴る。
「俺?」
『うん』
言葉に詰まる。
正直。
少し安心した。
断ったって聞いて。
そんな自分が嫌だった。
「……好きじゃないなら、無理して付き合わなくていいと思う」
結局、普通の答えしか出なかった。
『だよね』
少しだけ笑う声。
『悠真って変わってない』
「悪い意味?」
『違う。安心するって意味』
その言葉が、少し嬉しかった。
窓の外を見る。
夜の街。
大学生になって、生活は変わったはずなのに。
美咲と話してる時だけ、高校の頃に少し戻る。
でも。
戻るだけじゃない。
前より少し、大人になってる。
『ねえ』
「ん?」
少し間。
『悠真って、今好きな人いる?』
急だった。
「……いない」
半分、本当で半分嘘だった。
“好きな人”というより。
また好きになりかけている人ならいた。
電話の向こうで、小さく「そっか」と聞こえる。
『私も、いない』
その言葉の意味を、少し考えてしまう。
期待していいのか。
いや、だめだ。
勝手に期待して、違った時が怖い。
高校の時みたいになるのが怖い。
『なんかさ』
美咲が小さく笑う。
『最近、悠真といると落ち着く』
胸の奥が少し熱くなる。
「……俺も」
自然に出た。
沈黙。
でも嫌じゃない。
むしろ、心地よかった。
『またどっか行こうよ』
「うん」
『今度、水族館とか』
「ベタだな」
『いいじゃん笑』
笑い声。
久しぶりに、自然に笑えた気がした。
電話が終わったのは一時間後だった。
特別な話をしたわけじゃない。
大学のこと。
授業の愚痴。
高校の懐かしい話。
それだけ。
でも。
切った後、少しだけ思った。
——やっぱり、まだ好きかもしれない。
認めたくなかった。
また傷つくのが怖かったから。
でも、もう誤魔化せない気がした。
翌日。
大学で健太と昼を食べている時。
「藤沢、なんか元気じゃね?」
「そう?」
「顔」
嫌な予感がする。
「なんかあったろ」
少し迷ったあと。
初めて、人に話した。
「……元カノと会ってる」
健太の箸が止まる。
「は?」
「大学同じで」
「え、ドラマ?」
「違う」
「で?」
ぐいっと身を乗り出してくる。
「まだ好き?」
答えられなかった。
沈黙だけで、健太は察した顔をした。
「めっちゃ好きじゃん」
否定できなかった。
その日の夕方。
美咲からLINEが来る。
『土曜、水族館行く?』
その後に。
『楽しみ』
その一言が、少しだけ嬉しかった。
でも同時に、怖かった。
また期待してしまう自分がいた。
そして。
その水族館の日、少しだけ関係が変わり始める。




