第17話 大きな影
都市核が変わったあと、アークの外縁では点検と拡張が続いていた。
ノアは制御盤の前に立ち、外縁図を見ていた。
「外海変換炉、安定しています。出力低下なし。高濃度落骸水への対応処理も継続中です」
ノエルが淡々と報告する。
「日々どんどん変わっていくな」
ノアは外縁図に増えた線を見、頷きながら言った。
「推進機構も、動かせるようになったんだよな?」
「はい。ただ、現在地で行える修繕と拡張を先に進めた方が効率的です」
「分かった。今は都市を安定させる方を優先しよう」
ノアが答えると、ノエルは頷いた。
「ノエルやプチたちがいなくても、俺たちだけで最低限の操作はできるようになっておかないとな」
バルドとエリスは、プチたちの作業をしばらく眺めていたが、そのうちノエルに技術の詳細を聞き始めた。
ノエルが出した解説書を、二人は並んで読み込んでいる。言葉には出していないが、考えていることは同じなのだろう。
一方で、外縁では、プチたちが列になって動いていた。
昨日継ぎ足した区画の境目を調べ、固定具の緩みを確認し、洗浄管の先を細い隙間へ差し込んでいる。小さな足音が床を渡り、時々、工具が金属に触れる軽い音がした。
外縁近くの安全な場所では、子供たちも手伝っている。
手伝いといっても、まだ遊びに近い。部品を運ぶプチのあとをついて歩いたり、工具箱をのぞいたり、使わない板に絵を描いたりしている。
何台かのプチには、子供たちが勝手に名前をつけていた。
色のついた線を外装に描かれたプチが、困ったようにその場で向きを変える。止めに入った別のプチにも、今度は小さな星が描かれていた。
「ほどほどにしろよ」
ノアが声をかけると、ミナが振り向いた。
「分かってる。動くところには描いてないよ」
「ならいい」
本当にいいのかは分からなかったが、プチたちの動きに支障はなさそうだった。ノエルも止めていない。
外縁の透明な壁の向こうには、落骸海が広がっている。
暗い水のような中を、細かな粒がゆっくり流れていた。遠くには、塔の欠片らしい細い影が斜めに沈んでいる。別の方向には、壊れた橋のようなものが半分だけ見えた。
「ノア兄」
ミナとセナが声をかけてきた。
「あの子たちが、前に、外ででっかい黒い影を見たって言ってる」
「でっかい黒い影?」
「うん。すごく大きくて、横切って、そのまま見えなくなったって」
「見間違いじゃなくて?」
「三人とも言ってる。だから、見間違いじゃないと思う」
ミナの横で、セナがうなずいた。
「私も変な音を聞いた。鳴き声みたいだった」
落骸海の中で、動くものがいるとは考えづらい。
ここは毒性の強い落骸水で満たされている。壊れた都市や残骸ならいくらでもあるが、生き物が泳いでいるような場所ではない。
「ノエル、何か記録残ってる?」
「いえ、確認されていません」
「今後、外縁作業中も、外を見るようにします」
「頼む」
ノアは透明な壁の向こうを見た。
暗い水の奥に、今は何も見えない。
翌日も、外縁の作業は続いた。
プチたちは新しく使える床を増やし、崩れた壁の位置を測り、運び込んだ部材を順に並べていく。子供たちは昨日より少し離れた場所で、プチが戻ってくるたびに名前を呼んでいた。
突然セナが言った。
「……また聞こえる」
セナは耳を押さえ、外縁の方を見た。
「どこから?」
「あっちのほう」
ノアはすぐに外縁へ向かった。
ノエル、エリス、バルドも続く。透明な壁の外は、相変わらず濁っていた。細かな粒がゆっくり流れているだけで、何も見えない。
ノアたちには、まだ音も聞こえていない。
「ノエル」
「微弱な振動が感じられます」
ノアは透明な壁に近づいた。
暗い濁りの奥で、粒の流れが乱れている。はじめは小さな揺れだった。それが、外縁の端から端へ広がっていく。
次の瞬間、黒い壁が現れた。
見えた、というより、暗がりそのものが押し寄せてきたようだった。
上も下も分からない。端も見えない。アークよりもはるかに大きな何かが、落骸海の中をこちらへ向かっている。
「なんだあれは」
バルドが低く言った。
「こっちに来てる」
エリスの声が硬くなる。
「ノエル、避けられるか!?」
「推進機構を稼働させます」
ノエルの声が、都市内に響いた。
『未確認物体が接近しています。アークを移動させます。近くの手すりを持ち、姿勢を低くしてください』
子供たちが息を呑む。
子供たちのそばにいたリナがすぐに動き、一人ずつ外縁から下がらせた。
「手すりをもって姿勢を低くして」
外海変換炉から伸びる管に光が走った。
床下の振動が一段強くなる。アーク全体が、ゆっくり横へ押し出されるように動き始めた。
黒い影は止まらない。
落骸海の濁りが大きく乱れ、外縁のシールドが青白く光る。影の端が視界いっぱいに広がり、近すぎる外殻のようなものが透明な壁の向こうを流れていった。
「間に合うか」
ノアは制御盤の縁を握った。
アークが大きく傾いた。
床が軋み、工具箱がひとつ倒れる。子供たちの悲鳴が上がったが、リナとバルドがすぐに支えた。
衝撃が来た。
正面からぶつかったわけではない。
巨大な何かがすぐそばを横切り、その流れにアークが揺さぶられたのだ。
透明な壁の外を、黒い外殻と淡い灯りが流れていく。
それはいつまでも続くように見えた。アークが避けたあとも、影の端はまだ見えない。
やがて、低い音が遠ざかり始めた。
濁りが戻ってくる。
黒い壁は、落骸海の奥へ消えていった。
「損傷は」
「構造損傷は確認されていません」
ノエルが答えた。
ノアは息を吐いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると、とても励みになります。
感想もいただけましたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いいたします。
※本作は「カクヨム」にも掲載しています。




