第7話 お前が言うなら
放課後。
私は図書室にいた。レンとツムギは一緒に帰っただろう。今日は見届けなかった。見届ける必要がないと、自分に言い聞かせた。
『大陸植生史概論』の切り取られたページ。あの続きが知りたい。図書室のデータベースで同じ本を検索したが、蔵書は一冊だけで、デジタル版は存在しなかった。
著者名も分からない。出版社はもうない。八十年前の本だ。
代わりに関連しそうな資料を片っ端から引っ張り出した。巨樹の生態学。大陸の地質学。植物の組成分析。どれも表面的な内容ばかりで、核心には触れていない。
まるで——誰かが意図的に、情報を薄めているみたいだ。
「こんなところにいたのか」
振り向くと、レンが立っていた。
「……帰ったんじゃなかったの」
「ツムギとは途中まで一緒だった。でも、お前が気になって戻ってきた」
——戻ってきた?
ツムギと一緒にいたのに、私のために?
胸の中で何かが激しく揺れた。嬉しさ。罪悪感。そしてまた、ツムギの揺れた目を思い出す。
「……来なくてよかったのに」
「来たかったから来た。文句あるか」
レンが向かいの椅子に座った。机に積まれた本を見て、眉を上げる。
「すごい量だな。やっぱり巨樹のこと?」
「……うん」
隠しても仕方なかった。レンには嘘がつけない。
「今朝、巨樹の幹に触ったの」
「は?」
「脈打ってた。心臓みたいに。それで、この本に——」
『大陸植生史概論』を開いて、切り取られた第七章を見せた。レンの目が細くなる。
「切り取られてる……誰かがやったのか」
「わざとだと思う。カッターみたいなもので、きれいに」
「何が書いてあったんだ?」
「巨樹の中心部の組成。カルシウムとリンの比率が——」
そこまで言って、私は口をつぐんだ。言っていいのだろうか。この先を言ったら、もう戻れない気がした。
「比率が、なんだ?」
レンがまっすぐ私を見ている。逃がさない目。でも、追い詰める目じゃない。一緒に受け止める目だ。
「——人間の骨と、同じかもしれない」
言ってしまった。
図書室の静寂が、一段深くなった気がした。
レンは何も言わなかった。驚いた顔もしなかった。ただ、私の目をじっと見て、それから、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
「分かったって、信じるの?」
「お前が言うなら」
「根拠は?」
「お前が嘘をつく理由がない」
——ずるい。
そういう言い方は、ずるい。
泣きそうになった。泣かなかったけれど。
「なあ、ハンナ」
「なに」
「俺さ——お前が巨樹のこと気にしてるの、前から知ってた」
「……え?」
「小学校のとき。写生大会で巨樹の絵を描く授業があっただろ。みんな緑色のクレヨンで葉っぱ描いてたのに、お前だけ——幹のところを赤く塗ってた」
「……覚えてないよ、そんなの」
「俺は覚えてる。先生に『木は赤くないでしょ』って言われて、お前、何も言い返さなかった」
「……」
「あのとき聞けばよかったんだ。なんで赤く塗ったのかって。でも俺は——聞いたら、お前がどこか遠いところに行っちまう気がして」
レンはそこで言葉を切った。首の後ろをがしがしと掻いて、黙った。
——そんなこと、知らなかった。
レンがそんなふうに思っていたなんて。
何か言わなきゃと思った。でも、何を言えばいいか分からなかった。
「お前、もっと調べるつもりだろ」
「……うん」
「ひとりで行くなよ」
「レンには関係な——」
「ある」
強い声だった。レンにしては珍しい、有無を言わせない声。
「お前に関係あることは、俺にも関係ある。昔からそうだろ」
返す言葉がなかった。
昔から。そうだ。レンは昔から、そうだった。幼稚園の頃、私が他の子に仲間外れにされて泣いていたとき、黙って隣に座っていたのがレンだった。何も言わず、ただ隣に。それだけで世界が少しだけ柔らかくなった。
あの頃から何も変わっていない。変わったのは、私の方だ。素直に「ありがとう」と言えなくなった。隣にいてくれることを、当たり前だと思えなくなった。いつか失うことが怖くて、自分から距離を取るようになった。
「——ありがとう」
小さく、言えた。
レンは「おう」とだけ言って、少し照れたように首の後ろを掻いた。




